2018/05/27

蒲田八幡神社

大田区蒲田にある神社で、創建の詳細は不明だが公式ページの由緒書によれば慶長年間に蒲田村から新宿分村にあたり、稗田神社から鎮守の神として勧請されたと伝えられている。


昭和二十年、戦災により社殿は焼失したが戦後の復興とともに再建機運が高まり、昭和二十四年に新宿八幡神社から蒲田八幡神社に改称。昭和三十三年に社殿が復興した。


京急蒲田駅に近く、JR蒲田駅からは徒歩で10分弱の場所にある。立派な赤い鳥居が目印で鉄筋コンクリート造りの社殿もあるのだが、2018年5月現在、復興60周年の御社殿改修工事のため確認できなかった。


改修は8月頃まで続くとのことで、新しく生まれ変わった社殿を楽しみに改めて参拝したい。工事中は仮御社殿が設けられ境内の通り抜けができないので注意が必要だ。


なお、御朱印や各種お守りは社務所で拝受することができる。兼務社の御朱印もここでいただけるので、時間をかけて蒲田神社巡りをした後に立ち寄るのもよいだろう。


2018/05/22

大原稲荷神社

世田谷区大原にある神社で天明二年(1782年)に京都伏見稲荷本宮に請願し本宮正官御殿預羽黒摂津守荷田宿禰信邦氏により勧請したと伝えられる。


東京都神社庁の由緒書では元禄十五年(1702年)の検地水帳に現在地に稲荷社があることが記されているとあるので、創建はもっと古いと考えられる。


京王線の代田橋駅近くの線路脇に境内があり、商店街から踏切を渡る手前で細い路地のようなところを抜けると鳥居が見える。鳥居をくぐり左手に手水舎があって正面が拝殿となる。


拝殿から右側が広く、本殿の右手には境内末社の大鳥神社が鎮座。また例大祭の時に使用すると思われるテーブル類などがまとめて置かれ、酉の市に奉納演芸が行われる神楽殿もある。


また線路と境内の間には小さな祠と狐の石像が並んでおり稲荷社であることが感じられる。途切れなく電車が通る脇にありながら静けさを感じるのは不思議だ。


なお御朱印は宮司様のご自宅兼の社務所でお願いできる。インターホンを押すと玄関まで出てきてくださり、丁寧に対応していただいた。



2018/05/20

日吉八王子神社

八王子市日吉町にある神社。天慶三年(940年)に一尺一寸五分の御神像を御神像を造立したのが始まりとされ、天正二年(1574年)八王子城主である北条氏照が滋賀県大津市の日吉山王七社中の八王子権現を勧請して祈願所となった。


八王子城の落城により八王子権現は一時中絶するも文禄四年(1590年)に法印島之坊俊盛が社殿を造営し日吉山王八王子明神社と称した。これにより由井領山根九万石、七十五ケ村の総鎮守となった。


JR西八王子駅から徒歩10分弱の住宅街の中に境内がある。鳥居をくぐると左手にあゆ塚がある。あゆ塚とはその名の通り鮎の供養塚のことで、昔は浅川で採れた鮎を幕府に献上していたらしい。


そのまま進むと右手に拝殿があり、その右奥には境内社の稲荷神社が鎮座。また拝殿の左手奥には延命子育地蔵尊があって長命と安産を祈願できる。古くから地域の鎮守として崇敬を集めていたものと推測される。


境内には社務所はないが、50mくらい離れた宮司様の自宅?が社務所を兼ねており、そこで御朱印を拝受できる。御朱印帳を渡して書き上がるまで待つ形式でお茶をいただいた。


宮司様から気さくに話しかけていただき、御朱印帳についての話題に。近々オリジナル御朱印帳も作成することを検討しているとのことだ。




2018/05/16

西向天神社

新宿区新宿六丁目にある神社。安貞二年(1282年)京都の北野天満宮を勧請し明恵上人が創建したと言われる。古くから東大久保村の鎮守として知られ、以前は大久保天満宮と称していた。


社殿が西向きであることから西向天神と呼ばれるようになり、寛永年間に、三大将軍家光が鷹狩りに来た際に荒廃した社を見て金の棗の茶入れを下賜して再興を促したことから棗(なつめ)天神という俗称もあるようだ。


新宿区役所の辺りからかつての都電の引き込み線だった細い道を進んでいくと右手の高台になった場所に境内がある。一の鳥居をくぐると石段で上った二ノ鳥居の左手に手水舎、正面が拝殿となる。


高台は横長になっておりサラリーマンが昼食休憩などができる小さな公園や旧別当寺の大聖院も隣接する。また藤圭子のデビュー曲「新宿の女」の歌碑、不動明王の石像や富士塚・東大久保富士などがある。


花園神社には藤圭子のヒット曲「夢は夜ひらく」の歌碑があるが、西向天神社は新宿25時間キャンペーンで飲食街を流した時のスタート地点だったとか。新宿歌舞伎町近くにありながらとても静かな場所で、しばらく休憩させていただいた。


なお御朱印は拝殿右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し方式で御朱印帳を渡すと丁寧に手書きしていただける。御朱印と一緒に東京の天神さまというリーフレットもいただいた。


2018/05/06

矢先稲荷神社

台東区松が谷にある神社。寛永十九年(1642年)徳川家光公がこの地に建立した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を勧請したのが始まりとされる。御祭神は倉稲魂命で、現在は浅草名所七福神の福禄寿も祀っている。


元禄十一年(1698年)の大火で三十三間堂は移転したが、稲荷大明神はは信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建を許された。第二次大戦の東京大空襲で焼失するが昭和三十五年にRC造の社殿が再建され現在に至る。


東京メトロ銀座線の稲荷町駅と田原町駅の中間あたりに境内があり、鳥居が見えるはずなのだが、今回はちょうど工事中で姿が隠れてしまっていた。鳥居をくぐり左側が拝殿。そこに向かう参道左手に手水舎がある。


拝殿の天井には神武天皇の御世から今日まで日本馬乗史を描いた戦国武将などの100枚絵が奉納されており、中に入って撮影が許されている。なお奥の本殿は撮影不可なので注意が必要だ。


御朱印は拝殿右手の社務所で拝受できる。浅草名所七福神の福禄寿の御朱印もいただくことができるが、今回は神社のものだけにした。初穂料は両方共500円となっている。


2018/05/05

勝利八幡神社

世田谷区桜上水にある神社。万寿三年(1026年)に京都八幡市にある石清水八幡宮を勧請し創建したとされる。明治四十年には上北沢4丁目にあった山谷稲荷神社を合祀、、また天祖神社を合祀した。


京王線の桜上水の駅から商店街を抜け、日大文理学部の近くに鳥居が見える。鳥居をくぐると左手に手水舎、正面が拝殿となる。


現在の社殿は昭和四十三年に造営されたものだが、境内右手に旧社殿が保管された覆殿がある。天明八年(1788年)に建てられたとされる旧社殿は神社建築としては区内最古で世田谷区有形文化財に指定されている。


社務所の隣には境内社の天祖神社と豊受稲荷神社が鎮座。豊受稲荷神社は安政七年(1860年)に造られたものが現存。境内は大きくはないが整然としていて空間に余裕がある印象がある。


なお御朱印は社務所のインターホンで呼び出す形式。宮司様の自宅と思われる場所から出て対応していただいた。参拝客が途切れなくあり、地域の鎮守として崇敬されていることがわかる。