2018/06/24

久國神社

港区六本木にある神社。創建年代は不詳だが東京都神社庁の公式ページには古くはもと千代田村紅葉(現皇居内)に鎮座されていたとある。寛正六年(1465年)江戸城築城の際に城隍の鎮守として溜池に遷座したとされる。


その後、太田道灌により鎌倉時代の刀工・粟田口久国作の刀が寄進されたことから久国稲荷神社と称されるようになり、寛保元年(1741年)に現在の地に再遷座された。なお社宝である刀は非公開ながら現存するらしい。


昭和二十年(1945年)の空襲で全焼したが、戦後に久國神社に改称し昭和二十八年(1953年)に社殿が再建された。


境内は首都高の谷町JCTの近く、六本木通りから赤坂駅方面に少し入ったところにある。広くはないが児童公園もあり、開発ですっかり変わってしまった六本木の中に古くからある神社の姿が残されている。


参道を真っ直ぐに進んで石段を上がって鳥居をくぐると手水舎が見える。ユーモラスな表情の一対の狛犬が印象的で、右手に進むと拝殿がある。また拝殿の左手奥には境内社の猿田彦神社も鎮座している。


拝殿右横に社務所の窓口があり、人が不在の場合はインターホンで呼び出す形式。御朱印もここでお願いするのだが、御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。中に入って椅子に座るよう促され宮司さまには親切に対応していただいた。


2018/06/19

須賀神社(四谷)

新宿区須賀町にある神社で四谷十八ヵ町の鎮守として江戸初期より鎮座する。もとは稲荷神社で赤坂にった稲荷神社を江戸城建築のため四谷に遷座したことから始まる。


その後、神田明神の摂社に祀られていた日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を合祀。牛頭天王社と併せて稲荷天王合社と呼ばれていた。明治元年に須賀神社と改称され現在に至る。


東京メトロの四谷三丁目から新宿通り沿いを四谷方面に歩き、途中で信濃町方面に向かって高台を上ったところに境内がある。映画『君の名は。』の感動的なラストシーンにも登場するため聖地と呼ばれている。


有名な石段を上っても行けるが常に写真撮影している人がいるため、気になる人は右脇の少しゆるい階段から境内に入るとよい。鳥居をくぐり参道右手に手水舎、正面が拝殿となる。


拝殿左には大国社と大国主命の像もある。また右手を社務所の方に入ってすぐの場所には祖霊社。その手前には火消し「く組」の梯子塚もあって思ったより見どころがたくさんある。


立派な神輿庫や神楽殿もあるので祭りの際は賑わうのだろう。さらに拝殿左を奥に進むと天白稲荷神社も鎮座。境内社としては立派なものだが、空襲で本社は消失したが天白稲荷神社は無事だったらしい。


なお御朱印は拝殿右奥にある社務所で拝受できる。参拝客が多いためか現在は書き置きのみの対応で、インターホンを押すと宮司様に丁寧に対応していただける。初穂料は300円だった。


2018/06/17

戸越八幡神社

品川区戸越にある神社。公式ページの記述によれば大永六戌丙年(1526年)村内藪清水水源地から御神体が出現し、行永法師が当地の草庵に奉安して山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請したのが始まりとされる。


御祭神は誉田別命(応神天皇)で厄除開運の御神徳と共に古くから戸越村の鎮守として地域の人々の崇敬を集め、明治期には村社に列格していたとされる。また我国文教の祖、殖産の守護神として崇められている。


都営浅草線の戸越駅から徒歩で7分程度の住宅街の中に境内がある。そのため鳥居が遠くから見えにくく一度前を通過してしまったほどだが、鳥居をくぐった瞬間に空気が一変するのは神社ならではだ。


鳥居からまっすぐに伸びた参道を進むと右手に社務所があり、その少し先に手水舎がある。さらに神楽殿や神輿庫が続いて、正面が拝殿という造り。社殿は何度か改築されたようだが風格があって素晴らしい。


神楽殿の手前に大きめの狛犬があるが、拝殿手前にも小さな狛犬が見える。年月の影響なのか少し削れてしまっているようだが、個人的にはこちらの小さい方に惹かれた。なお拝殿の両脇には末社(稲荷社と春日社)が鎮座している。


参拝したのが日曜日でもともと人は多いのだと思うがイベントがあるらしく人が右往左往していた。なお御朱印は社務所でいただくことができる。


何種類かの御朱印が用意されていて、申込用紙に希望の御朱印の番号を記入して御朱印帳と一緒に社務所窓口で手渡し書き上がると名前が呼ばれる。神楽殿の前が待合所のようになっていて休めるのはありがたい。


2018/06/14

中目黒八幡神社

目黒区中目黒にある神社。由緒書によれば古い資料が焼失してしまっているため創建年代は不詳だが、江戸時代の村指出銘細帳には宝暦十三年(1763年)と弘化二年(1845年)に539坪の宮有地があると記載されているらしい。


御祭神は應神天皇(誉田別命)で天照大御神も合祀。ご神徳は国家鎮護、勝運招来、増産興業などで古くから中目黒村の総鎮守として崇敬を集めていたとされる。境内に入ると空気が変わり背筋が伸びる感じ。


例大祭に十二座の神楽を奏することで有名で現在も多くの人で賑わうらしい。以前に例大祭前の準備期間に参拝に来たことがあり、関係者がお忙しそうだったため御朱印をいただくのを遠慮したことがある。


場所は中目黒駅から五反田方面に進み住宅地の中を少し上がったところに境内がある。鳥居をくぐり参道を進むと右手に湧き水?があり、その向かい側にさざれ石が置かれている。さらに石段を上ると正面に手水舎が見える。


途中の左手には神楽殿、右斜め横が拝殿となる。先ほど見えた手水舎とは別に現在は使われていないが古くからある手水舎も残されている。拝殿の左手奥には境内末社の三峰神社も鎮座する。


現在は社務所が入っている建物を改装工事中のため拝殿右横の臨時社務所にて御朱印をいただける。御朱印帳を手渡して書き上がるまで待つ形式で、大変丁寧に対応いただいた。


2018/06/09

元三島神社

台東区根岸にある神社。弘安四年(1281年)、元寇の弘安の役の際に河野通有が伊予国大三島神社に必勝祈願をし、大山祇神社の分霊を勧請して創建したとされる。旧金杉村の鎮守で下谷七福神の寿老神も祀られている。


宝永六年(1709年)に金杉村社地が幕府用地とされ代替地浅草小揚町に遷座したが、金杉村に住む氏子から氏神様の遊離は不都合という話になり、協議を重ねた結果熊野社と合祀してこれを元三島神社と称した。


場所はJR山手線の鶯谷駅のすぐ近く。ラブホテル街の中心にあるが、境内に入るためには一度言問通りに出て、戻るようにし路地を入っていくと鳥居と石段が見える。


本殿がある場所は少し高台になっているのでそのまま石段を上ると二ノ鳥居があり右手に手水舎、正面が拝殿という構造。境内は広いとは言えないが神楽殿や正岡子規の句碑もあった。


なお御朱印は社務所で拝受できる。無人の際はインターホンで呼び出すと対応していただける。今回は御朱印帳もいただいたので初穂料は御朱印帳1400円+御朱印500円だった。通常は御朱印帳を渡して待つ形式となる。




五條天神社

台東区上野公園にある神社。東京都神社庁の公式ページよれば第十二代景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐の為にこの地を訪れた時に薬祖神二柱の大神に御加護を頂いたことを感謝して創建したとされる。


病気平癒や健康祈願にご利益がある神社として知られ、毎月10日に医薬祭が行われる。花園稲荷神社が隣接していて兼務しているようだが神社としては別扱いのようだ。


上野恩賜公園内を歩いていると鳥居が見えるのでわかりやすいが、不忍池方面から上って境内に入ることもできる。参道右手に手水舎、正面が拝殿となっており境内社として七福神をお祀りしている七福社がある。


これまで何度も近くまで来たが境内に入ったのはこれが初めてで、思っていたよりしっかりした造りだった。観光客が多い上野公園で当然ながら参拝客も多く、それでも落ち着いた空間になっていて安心だ。


御朱印は社務所でいただける。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、初穂料は300円だった。通常は兼務社の花園稲荷神社の御朱印もここでいただけるようだが、この日は本社印のみだった。


2018/06/04

田端神社

杉並区荻窪にある神社。杉並区の公式ページによれば菅原道真公を祭神とした旧田端村の鎮守でかつては北野神社とも、あるいは社の場所が田の端にあったことから田端天神とも呼ばれたとある。


創建は応永年間(1394~1427年)と言われ、足利持氏と上杉禅秀が戦った時、品川左京の家臣良影という者がこの地に土着し、京都の北野神社の分霊を祀ったことが始まりとされている。


今回は自転車で善福寺川沿いを走り「善福寺緑地センター広場」から住宅地に入ったところにある境内に入ったが、電車だと最寄り駅からかなり歩くと推定される。鳥居をくぐり参道左手に手水舎があり神明造の社殿が正面に見える。


境内末社は稲荷神社と御嶽神社の二社で。それぞれ社殿の左右に鎮座している。その他、境内には神輿庫や社務所の建物とつながっている神楽殿がある。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して待つ。初穂料はお賽銭でということだったので300円を賽銭箱に納めた。


2018/06/03

銀杏岡八幡神社

台東区浅草橋にある神社。源義家公が奥州征伐に向かう途中に当地で休憩し流れてきた銀杏の枝を挿し戦勝を祈願。奥州平定の後に再び変えると銀杏が大きく繁茂していたため康平五年(1062年)に八幡宮を勧請したことが始まりとされる。


御祭神は誉田別命(応神天皇)、武内宿祢命で、社名は我が国で最初に銀杏が植えられたことに由来しているが、現在境内にある銀杏は、戦後に明治神宮より移植したらしい。


境内はJR浅草橋駅の近く徒歩で2~3分の場所にあり、大きな鳥居があるのですぐにわかる。普段は静かな境内らしいがこの日は例大祭で周辺を掛け声とともに神輿が担がれ、屋台も出ていて賑わっていた。


参道左手に手水舎があり右手が拝殿。鉄筋コンクリート造りの社殿は戦後に再建されたものらしいが白く荘厳な感じで迫力を感じる。また境内社として此葉稲荷神社が鎮座している。


御朱印は社殿左手にある社務所で拝受できる。例大祭のためか書き手不在により書き置きのものだったが、御祭禮の印が押されている。初穂料は500円で丁寧に対応いただいた。