2018/11/27

杵築大社

武蔵野市境南町にある神社。350年ほど前の江戸時代初期に、出雲の松江初代藩主松平出羽守直政公の屋敷内に徳川幕府の繁栄と、天下泰平を祈願し杵築大社(現出雲大社)と稲荷社両社を創建したのが始まりされる。


御祭神は(だいこくさま)と事代主大神(えびすさま)で、二福神を祀る神社として武蔵境周辺の崇敬を集めている。平成十九年(2007年)から武蔵野吉祥七福神めぐりがスタートし、本神社は恵比寿神を担っている。



境内はJR武蔵境駅の南口を出て徒歩5分程度の場所にあり、近くにあるイトーヨーカードーの東館の裏手を目指すとわかりやすい。今回は自転車だったが電車でのアクセスも良さそうだ。


横に広い境内で駐車場のある北側にも鳥居があるのだが、正面の鳥居はその先にある。鳥居をくぐり参道を少し進むと一対の狛犬に出迎えられる。二ノ鳥居の先に拝殿が見えるが、その手前左手に手水舎がある。


境内社は拝殿の右手に八坂神社、左手には豊受大神を祀る稲荷神社が鎮座。さらに左側には小さな池と富士塚がある。他にも道路の向かい側に弁天様があるらしいのだが、見逃していて気がつかなかった。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホンで窓口まで呼び出し対応していただく形式になっている。今回は書き置きの御朱印のみで初穂料は300円。12時から13時までは社務所が閉まっているので注意が必要だ。


2018/11/18

磐井神社

大田区大森北にある神社で、敏達天皇の二年(573年)八月の創祀と伝えられる。公式ページによれば貞観元年(859年)官社に列した延喜式内社でこの神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたとされる。


鈴森八幡宮とも呼ばれ由緒書には江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。永正年中兵火にかかり社殿が焼失したが、享保十年(1725年)に徳川八代将軍吉宗公が造営したという記録がある。


境内は京急の大森海岸駅から3分ほど第一京浜沿いに歩くと鳥居が見えるのですぐにわかる。周辺は高層マンション等に囲まれているが、その場所だけ異なる雰囲気の流れる空間になっている。


鳥居をくぐると右手に手水舎があり、参道を少し進んだ正面が拝殿となる。一対の狛犬が出迎えてくれるが、子獅子6匹いる珍しいもので子宝の象徴として親しまれているようだ。この日は七五三の写真撮影に訪れる参拝客が多かった。


この他、境内には磐井の井戸跡や力石などもあり、特に大きな二本のご神木は存在感がある。また比較的規模の大きい神楽殿がありその周辺にはいくつかの石碑が見える。


境内社としては社殿右手に海豊稲荷神社、境内左手は小さな池に囲まれている笠島弁天社が鎮座。東海七福神の弁財天となっていて正月には七福神巡りが開催される。


御朱印は拝殿左手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、月ごとにカラフルな御朱印があるので人気があるようだ。今回は霜月(旧暦11月)と新嘗祭の御朱印をいただいた。


新嘗祭の御朱印


霜月の御朱印

2018/11/16

染井稲荷神社

豊島区駒込にある神社。創建年代は不詳だが、いただいた資料「染井稲荷神社の由来と染井村」によれば『江戸図説』安政二年(1773年)や『新編江戸志』寛政年間(1789~1801年)などの古文書に記録されていることがわかる。


古くから旧染井村の鎮守として知られているが、昭和七年以前までは東京府北豊島郡巣鴨町上駒込染井○○○番地と称していた。周辺は日本を代表する桜「染井吉野(ソメイヨシノ)」発祥の地と言われる。


最寄駅はJR駒込駅が近いと思われるが今回は自転車で巣鴨方面から染井よしの桜の里公園を目指し、境内の前に出た。住宅街の中にあるが春の桜の季節には桜里祭りも開催され賑わうようだ。


鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎があり正面に拝殿が見える。300年以上の歴史がありながら関東大震災や東京大空襲からも免れたため、火防の神として信仰を集めている。拝殿前には狐像ではなく可愛らしい狛犬が置かれている。


境内右手の参道を外れて奥に入ったところに境内社があるのだが、こちらも稲荷社。その手前には神輿庫もあり小規模ながら現在でも地域の鎮守の役割を担っていることがわかる。


なお御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。階段を上がった2階に入り口があり御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。染井村の資料や「駒込桜物語」のパンフレットも一緒にいただいた。


2018/11/05

芝東照宮

港区芝公園にある神社。元和三年(1617年)に増上寺境内に安国殿と称し徳川家康を祭神として創建。安国殿とは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」に由来する。


明治初期の神仏分離のため安国殿は増上寺から分かれ明治六年に東照宮と改称して郷社に列格。御神像を本殿に安置・奉斎した。昭和二十年(1945年)の東京大空襲で社殿は焼失したが、昭和四十四年(1969年)に復興奉賛会により現社殿が完成した。


都営三田線の芝公園駅から日比谷通りを歩いてすぐの場所に鳥居が見える。参道に一対の大きな狛犬があり、そのまま真っすぐに進んで石段を少し上ると右手に手水舎がある。その先が社殿で左手には「葵の井戸」と呼ばれる井戸もある。


また手水舎の奥には東京都の天然記念物に指定されている御神木。これは寛永十八年(1641年)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光公が植えたものと伝えられているもので、1993年の調査では高さが21.5m、幹囲約6.5m、根元の周囲が約8.3mあった。


戦後再建された社殿は鉄筋コンクリート造で色も鮮やか。旧社殿の面影はないが、御神像の寿像は御神木とともに残存する。芝公園内にあるため東京タワーも間近に見ることができ観光スポットにもなっているようだ。


御朱印は社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で初穂料は500円。御朱印は手書きで丁寧に対応していただき大変ありがたかった。


今回は日光杉並木の古材を使用した木製の御朱印帳もいただいたので御朱印と合わせて2,000円。大判にもかかわらずとても軽く、置いておくだけで木の香りがして癒やされる。


御田八幡神社

港区三田にある神社。公式ページによれば和銅二年(709年)に東国鎮護の神として鎮祀され延喜式内稗田神社と伝えられ、その後の寛弘八年(1011年)武蔵野国御田郷久保三田の地に遷座され嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇されたとある。


明治七年に三田八幡神社と改称したが、明治三十年には三田の冠称を御田の旧名に復し御田八幡神社と称するようになった。昭和二十年の東京大空襲で社殿を焼失するが、昭和二十九年には本殿権現造、幣殿・拝殿・神楽殿・社務所が再建された。


田町駅または泉岳寺方面から第一京浜沿いを進んでいくと、ビルに大きな社名をつけた看板?があるのですぐにわかる。鳥居をくぐり参道を進むと石段があり上りきった先が拝殿となる。


石段の手前には小さな池があり金網で囲まれた一対の狛犬に出迎えられる。石段の先右手に手水舎があり、その左前方には神楽殿が見える。拝殿の手前にも一対の狛犬があり元禄九年(1696年)に奉納されたものらしい。


社殿左手には境内社の五光稲荷神社と御嶽神社が並ぶ。その先に見立たないが稲荷社があって鳥居には伏見稲荷神社という表記がされていた。昼時は周辺のビジネスマンの休憩所になっているらしくかなりの人がいた。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。オフィス街にある神社だが竹林などもあってここだけ異空間という感じになっている。