2019/06/17

南沢氷川神社

東久留米市南沢にある神社で創建年代は不詳。公式ページによると古来から湧水守護神として奉斎され、出雲「斐伊川」の故事にならい創立されたと伝えられ、在原業平の古伝に当社に立ち寄る旨が記されているという。


また社宝である上棟礼には承応三年(1654年)二月十五日、徳川家重臣の久世大和守、地頭神谷与七郎、蜂屋半之丞の助力を得て南沢村、田無村、入間村、下新井村の総氏子中によって再建されたと記されている。


境内は東久留米市の中央部にある南沢緑地保全地域の湧水地にある。近くには落合川が流れ、付近の遊歩道を歩くと傾斜地の林の中にいくるもの湧水が確認できる。今回は自転車だったが最寄り駅の東久留米駅からは15分ほど歩くと思われる。


鳥居をくぐると社殿まで真っ直ぐ参道を進むが高台に位置するため途中石段を上る。一対の狛犬があり左手には手水舎、正面が拝殿となる。社殿の左奥には境内社の大神宮社、八雲神社、右奥には稲荷社が2社鎮座する。


鳥居をくぐらずに左に少し進むと南沢緑地の遊歩道があり、クヌギやコナラの林の中に湧水から流れ出す様子を確認できる。規模は大きくはないが、暑い季節にも湧水の効果でひんやり感が味わえて気持ちが良い。


なお、御朱印は社殿右手にある授与所でいただける。窓口から御朱印帳を渡し、書き上がるのを待つ形式で初穂料は300円以上を納める。なおオリジナルの御朱印帳も頒布しているようだ。


2019/06/14

練馬春日神社

練馬区春日町にある神社で創建年代は不詳だが、鎌倉時代に工藤祐宗(工藤左衛門尉祐経の孫)が、自分の先祖である藤原氏の氏神である春日大社の御祭神を勧請して創建したと伝えられている。


室町時代には練馬城主の豊島泰経が一族の守護神として崇敬。江戸時代には十羅刹女社と呼ばれていたが、明治時代の神仏分離令により十羅刹女社は隣接する寿福寺へ遷された。なお春日町という地名は当社に由来する。


場所は豊島園を北に進んだところにあり、今回は自転車だったため豊島園通りを庭の湯を過ぎたあたりで左に入り道沿いを進んだところで鳥居が確認できた。電車の場合は練馬春日町駅の方が近いらしい。


鳥居をくぐり真っ直ぐな参道をしばらく進むと左手に手水舎があり、一対の狛犬に出迎えられた後に正面が拝殿となる。右手には神楽殿があり、社殿の左右奥には稲荷神社、三峯神社などの境内社がある。


御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。書置きのみで初穂料は300円だった。インターホン呼び出し形式だが不在のこともある。境内はとても静かな住宅街の中にあり、広めなので時々休憩に訪れる人もいるようだ。


2019/06/04

太田姫稲荷神社(一口稲荷神社)

千代田区神田駿河台にある神社。境内にある由緒書によれば承和六年(839年)はじめに小野篁が伯耆国(鳥取県)名和の港を出港して間もなく暴風雨に襲われた。篁が船の舳先に座り普門品(観音経)を唱えると太田姫命という白髪の老翁が現れ、自分を祀れば疱瘡の災いから免れるというお告げがあったとされる。


そのお告げを護り自ら翁の像を刻み、後に山城国(京都府)の南にある一口(いもあらい)の里に神社を祀った。その後、江戸の開祖で知られる太田道潅の娘が重い疱瘡にかかり、一口稲荷神社の噂を聞き平癒を祈願したところ全快したという。


そこで山城国より一口稲荷を勧請し城内本丸に一社建立したところ、この城の鬼門に守るべしとの神託があり、元禄元年(1457年)その通り鬼門に移して太田姫稲荷大明神と奉唱するようになった。


境内はJR御茶ノ水駅の聖橋方面出口から御茶の水仲通りの坂を下りていくと右手に鳥居が見えるのでわかりやすい。鳥居をくぐると左手に手水舎がありやや右手前方に拝殿がある。かつては聖橋南詰の東側にあったが御茶ノ水駅の総武線拡張により昭和6年に現在地に遷座した。


狛犬が一体だけ鳥居の下に確認できた。御朱印は拝殿の左手前に置かれている社号印を自分で押して、初穂料は賽銭箱に納める方式。スタンプ台も用意されているため、その場で拝受できる。