2019/09/29

胡録神社(第六天)

荒川区南千住にある神社。公式ページによれば永禄四年八月川中島合戦の敗れた上杉の家臣高田嘉左衛門が難を逃れてこの地(汐入)に落ちのび、高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し守護神として面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたのが始まりとされる。


古くは大六天と称していたが明治の神仏分離令の際に当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、社号を胡録神社と改称。神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものとある。


境内は南千住駅から徒歩15分ほどの都立汐入公園近くにある。高層住宅街の中に鳥居があり、一の鳥居をくぐって参道を進むと左手に手水舎があり、石段を少し上って二の鳥居の先に拝殿が見える。狛犬は二対あってどちらも迫力がある。


奥に進むと本殿があり、その右手には神楽殿も確認できる。境内社として刀塚社と道祖神の二社があるが、一の鳥居をくぐってすぐ左手にあるので、最初に参道を本殿の方に進むと戻るかたちになる。


御朱印は拝殿左手にある社務所でいただくことができるが、この日は宮司様不在のため書置きのものを受けた。小さな賽銭箱に初穂料として500円を納め、引き出し上の入れ物の中にある御朱印を取り出す形式となっている。


毎月1日にカラフルな特別御朱印をいただけるが、通常御朱印も金粉が混ぜられた墨で書かれていて文字の部分がキラキラと光っている。なお社務所ではお守りなどの頒布は現在行っていないという掲示があった。


2019/09/26

碑文谷八幡宮

目黒区碑文谷にある神社。東京都神社庁の公式ホームページによると創建は不詳ながら、鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えていた畠山重忠の守護神を、二俣川にて北条義時の軍に討たれた後、その臣榛沢六郎が交付し宮野佐近がこれを奉祀したといわれている。


サレジオ通りから公園通りに抜けるところに立会川緑道があるが、鳥居があってそこから参道となっている。緑道沿いに桜の木が神社まで並んでいて、春になると桜の名所にもなるようだ。


長い参道をまっすぐに進むと石段を上った先に社殿が見えてくるのだが、二の鳥居の右手に社務所への入り口が見える。実はここに参拝するのは二回目。以前は例大祭の後か先か忘れたが、大勢の人が忙しく作業をしていて御朱印をお願いするのは控えた。


最初の石段を上ると三之鳥居があり、その先の左側に手水舎。さらにその先にある石段を上ると社殿が確認できる。延宝二年(1674年)に造られたものを何度かの増改築を経て現在に至る。太平洋戦争の戦火を免れ現存しているのは素晴らしい。


社殿の右手には境内社として稲荷社が鎮座。その左側には碑文谷の地名の起源ととも言われている碑文石が保存されており、ガラス越しに確認できる。説明書きによると碑文を彫った石のある里(谷)という意味で碑文谷となったとある。


なお、御朱印は社務所の門をくぐった先の授与所でいただくことができる。窓口が閉まっている場合はインターホンで呼び出して御朱印帳を渡し、書き上がるのを待つ。忙しい時期は書き置き対応になるようだ。


2019/09/10

武蔵御嶽神社

青梅市御嶽山にある神社。公式サイトによれば創建は崇神天皇の時代(紀元前90年)と伝えられ、古くから関東の霊山として信仰されてきた。御嶽山頂にある境内には本殿・拝殿の他にも数々の神々を祀る摂社がある。


中でも大口真神社は山中で難にあった日本武尊を狼が助けたとされ、火難盗難退除の守護神として狼が祀られている。大口真神社の左手奥には奥の院にある摂社の男具那社を拝むことができる遥拝所が設けられている。


また本殿の右奥に常磐堅磐社があるが、これが旧本殿となる。説明書きには東京都ではめずらしい室町時代の様式を持つ本殿建築の一つとある。現在の本殿は神明造で明治十年(1877年)に造替されたもので、それまで使用されていた。


境内は山頂にあるため、JR御嶽駅から路線バスでケーブル下まで行き、そこから徒歩4分のケーブルカー乗り場の滝本駅へ。ケーブルカーに乗って終点の御岳山駅で降りる。そこから神社までは徒歩で登っていくことになる。


町場通りを抜けると鳥居が見え、その手前左手に手水舎がある。鳥居をくぐりさらに石段を上っていくが、参道の途中に三柱社や稲荷社などの末社も鎮座。また拝殿が石段を上った先に見えると右手に宝物殿と畠山重忠像も確認できる。


歴史のある神社だけあって離れた場所にある摂社を含め全体像を把握するのには時間がかかりそうだ。山頂とはいえケーブルカーでアクセスができ参拝がしやすくなっているため今後も幾度となく足を運んでみたい。


御朱印は拝殿左手にある授与所でいただくことができる。御朱印帳を渡して番号札を受け取り、書き上がるのを待つ形式。初穂料は500円で急ぎの人や御朱印帳を持ってこなかった人には書き置きの用意もある。


2019/09/07

雉子神社

品川区東五反田にある神社。創建は不詳だが文明年中(1469~1487年)の時期とされており、いただいた資料によるともともとは荏原宮、大鳥明神、山神の社などと呼ばれていたらしい。

江戸時代の慶長年間、三代将軍家光公がこの近くに鷹狩りに立ち寄った際に、一話の白い雉がお宮に飛んで入ったのを追ってお参りをした。村人が神社名を尋ねられ大鳥明神さまと答えると、これからは「雉子の宮」と呼ぶように命じたという。


境内は五反田駅の東口を国道1号線沿いに坂を上っていくとある。鳥居が見えるのでわかるが、オフィス街の中で12階建てビルの1F部分なので、うっかりすると通り過ぎてしまう。鳥居をくぐり階段を上った左手に手水舎がある。


さらにその右奥に拝殿や本殿があるが、本殿の上は吹き抜け構造になっており、天に向かって空いている。拝殿の左にはガラス張りの神輿庫があり、その奥は境内社の三柱神社。大国主命・倉稲魂命・埴山姫命がお祀りされている。


御朱印は社殿右手にある社務所で拝受できる。初穂料はいただかない考えとのことで賽銭箱に気持ちを納めることとした。書き手不在の時もあり、いつも対応していただけるとは限らない。


ビル1階にある境内というと息苦しいイメージがあるかもしれないが不思議なことに風が吹き抜けて心地よい。手水舎の脇にはベンチが設置されているので、休息も可能。残暑の厳しい日だったため助かった。


2019/09/01

布多天神社

調布市調布ヶ丘にある神社。創建は不詳ながらいただいた由緒書によれば延長五年(927年)に制定された「延喜式」にも名を連ねる、多摩地方有数の古社。社伝によると第11代垂仁天皇の御代約1940年前の創建とされている。


文明九年(1477年)に古天神というところより現在地へ遷座され、その時に御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀された。


江戸時代に甲州街道ができた際に石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿は布田五宿と呼ばれるようになったが、布田五宿の総鎮守が布多天神社で五宿天神と崇め祀られていたらしい。


境内は調布駅から徒歩6分程度で天神通りを進み甲州街道を渡ったすぐ先にある。鳥居が見えるのですぐにわかるが、今回は参道沿いでつくる市(手づくりの工芸品の販売)が催されており多くの人で賑わっていた。


左手に手水舎、さらに進むと右手には神楽殿と撫で牛が見える。かわいい感じの一対の狛犬は年代はよくわからなかったが、調布市指定有形民俗文化財に指定されているらしい。正面には拝殿があり左手が社務所となっている。


拝殿の右奥には境内社が並んでおり、正面が金刀比羅神社と大鳥神社、左手に稲荷社がある。さらに右手には御嶽神社、祓戸神社、疱瘡神社の合祀殿があった。


御朱印は社務所の窓口で御朱印帳を渡し、引き換えの札を受け取って書き上がるのを待つ形式。今回は月参りの日で菅原道真公の和歌も添えられた見開きの御朱印をいただくことができた。