tag:blogger.com,1999:blog-85533908827979452272024-03-14T01:33:46.071+09:00TOKYO GOSHUIN TOUR東京都内の神社を巡って御朱印をいただいたことを記録しているブログです。 MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.comBlogger243125tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-36614597000041789292023-02-17T14:30:00.038+09:002023-02-18T14:47:47.423+09:00築土八幡神社 新宿区筑土八幡町にある神社。由緒書によると嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に創建。伝教大師が神像を彫刻して祠に祀る際、筑紫の宇佐神宮の宮土をもとめて礎としたことから、筑土八幡宮と名づけられたとされる。飯田橋駅から徒歩5分くらいの場所にあり、現住所は筑土八幡町だが道を挟んで反対側は津久戸町で音が似ていることから関係がありそうだ。境内地は2,200平米あり、昭和20年の戦災で焼失したが、昭和38年に再建され、周辺地域に住む人々の尊崇を集めている。社殿は石段を上った丘の上に鎮座し、右手に手水舎と寛文4年に作られたという庚申塔、境内社の宮比神社がある。宮比神社はもともと下宮比町に1番地の旗本屋敷にあったものを明治40年に遷座。社殿は戦災で消失したが、昭和37年に再建された。石段の途中にある石鳥居は享保11年に建立され、新宿区内で現存する最古の鳥居で、新宿区登録有形文化財に指定されMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒162-0815 東京都新宿区筑土八幡町2−135.7039506 139.74047357.3937167638211534 104.58422350000001 64.014184436178851 174.8967235tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-35532307981200424372022-03-30T16:27:00.000+09:002022-03-31T20:12:01.839+09:00築土神社 千代田区九段北にある神社で“つくどじんじゃ”と読む。公式ページによれば天慶三年(940年)藤原秀郷らの手で討たれ京都にさらされた平将門公の首を首桶に納め密かに持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まりとある。1552年(天文21年)には、上平河村内の田安郷(現在の九段坂上からモチノキ坂付近)に遷座し、その地名を冠して田安明神とも称された。1589年(天正17年)江戸城拡張のため下田安牛込見附米倉屋敷跡へ、1616年(元和2年)に新宿区筑土八幡町へと移転し、築土神と改称した。何度も改称や遷座が繰り返され、複雑になっているため東京神社庁のページでは詳細が記されていない。1994年5月、社殿・社務所の大改築が行われ地上8階建てのビル内にある現代的な社殿となった。ビル名のアイレックス(モチの木の意味)はかつて築土神社が九段坂からモチの木坂にMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒102-0073 東京都千代田区九段北1丁目14−2135.6960166 139.74981227.3857827638211546 104.59356220000001 64.006250436178846 174.9060622tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-27940777995103237292022-03-25T18:37:00.003+09:002022-03-25T18:38:33.118+09:00東村山八坂神社 東村山市栄町にある神社で旧社名は武蔵野牛頭天王。ご祭神は素盞嗚命だが、公式ページによれば創建年月は寛文二年の火災をはじめ、数回の火災により不明とのこと。昔は天王宮、祇園社、野口村の牛頭天王、八雲神社などさまざまな呼び名があったらしい。明治二年に天王宮から八坂神社へと社号を改め、同年村社に列せられた。現在の社殿は平成になったから新築されたものだが、旧社殿も改築して今も残されている。境内末社は三嶋神社、三峯神社、御嶽神社、蚕影神社が参道の左手に並んでいる。最寄り駅は西武多摩湖線「八坂駅」で、府中街道を北に歩いて5~6分の場所にある。鳥居をくぐって進むと一対の狛犬が出迎え、左手に手水舎がある。正面が社殿なのでそのまま真っすぐ進む。途中の右手に移築された旧社殿が確認できる。社務所・授与所は大きな建物があるが、大きな行事がある時だけ開いているようだ。お守りや御朱印をいただく場合は、授与MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒189-0013 東京都東村山市栄町3丁目35−135.7502816 139.46638837.4400477638211555 104.3101383 64.060515436178846 174.6226383tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-24671474894574114342021-11-26T18:11:00.002+09:002021-11-26T18:11:35.568+09:00初音森神社 馬喰町・横山町・東日本橋の鎮守として知られる神社。公式ページの説明によると“元弘2年(1332年)藤原大納言師賢公が東国に配流の時、初音の森に参篭し、その草庵に稲荷大明神を勧請し白峯宮と共に奉斎したのが創祀であるといわれる”とある。文明年間に太田道灌により大社殿が建てられたが、明暦の大火により焼失。徳川幕府入府後は馬喰町郡代屋敷建設のため当地も公儀御用地となり万治二年(1659年)に現在本社がある地に遷座。昭和25年に300年ぶりに旧跡の一部の東日本橋に遷座し今日に至る。現在、本社は墨田区千歳にあるが儀式殿が中央区東日本橋にあり、御朱印は儀式殿で拝受できる。最寄り駅は浅草橋でオフィスビル内2階に社殿が造られ、1階は駐車場として使用されているようだ。階段を上る手前に赤い鳥居が見えるのですぐにわかる。2階の拝所の横に御朱印が並べられており、拝受する場合は1階の外宮の賽銭箱に初穂料MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目27−935.6953932 139.78585567.3851593638211526 104.62960559999999 64.005627036178851 174.9421056tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-63743649554017997552021-11-02T16:00:00.009+09:002021-11-26T18:13:37.518+09:00五十稲荷神社 千代田区神田小川町にある神社。千代田区観光協会の公式ページによると慶長年間(1596~1615年)に伏見稲荷大社から分霊して祀られたのが発祥とされる。正徳年間(1704~1715年)に足利戸田長門守の屋敷地となり屋敷神として祀られた。足利雪輪町稲荷神社も合わせ祀られたことから栄寿稲荷大明神と称され、明治25年戸田家転居以降は町内の守護神として崇敬された。毎月の祭事を執り行っていた五と十のつく日には大変な賑わいをみせたことから五十稲荷と呼ばれるようになったらしい。境内は靖国通りのミズノスポーツの向かいを奥に入った路地裏にある。令和三年に社殿と社務所が新しく建て替えられ、綺麗に整備された。食事処のような佇まいの社務所は不定期でお休みされている。御朱印受付などの案内はSNS等で案内されるようだ。ビルの谷間にあり鳥居をくぐると目の前に社殿。手水舎等は新型コロナの影響からか使用されていMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒101-0052 東京都千代田区神田小川町3丁目9−135.6942233 139.7621185-5.6544851932483695 69.449618500000014 77.042931793248357 -149.92538149999996tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-74625198071141163642020-06-20T16:54:00.005+09:002021-01-05T14:53:19.041+09:00熊野町熊野神社板橋区熊野町にある神社。東京神社庁の由緒書によれば創立は応永年間、庭田主水正氏兼が、武州豊島郡中丸村に移住し、鎮守様として崇敬されてきた。庭田氏は常に敬神の念深く同族の繁栄を祈り氏神様として崇敬したが、ここに熊野権現を分祀したのが始まりらしい。
今回は自転車だったが電車での最寄り駅は東武東上線の大山駅で徒歩10分程度。境内は川越街道と山手通りが交差する首都高の下に位置する。駅からは少し距離があるが、山手通りを首都高に沿って歩けば鳥居が見えるので迷うことはないだろう。
鳥居をくぐると一対の狛犬に出迎えられ、左手に手水舎がある。手水舎は鳥避けのためか網がかけられているので上げて手を清める。左奥は神楽殿で正面に拝殿、その右手が社務所となっている。境内はある程度の広さがあるが一部駐車場として使われている。
この熊野町にある熊野神社にお参りするのは3回目。御朱印は書き手不在MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒173-0025 東京都板橋区熊野町11−235.7419084 139.70675435.7417069 139.706439 35.7421099 139.707069tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-56505379626859813642020-01-30T17:28:00.003+09:002020-01-30T17:28:39.049+09:00夫婦木神社新宿区大久保にある神社。公式ページにある由緒書によると淡路島に鎮座する伊邪那岐大神、伊邪那美大神の御分霊を奉願したと記されているが、詳しい創建年代などの説明はなく、縁結び、子授けなどのご利益の高い神社として知られている。
ホテルや結婚式場の神殿に御祭神である伊邪那岐大神、伊邪那美大神を奉斎し、年間で数多くの神殿結婚式を執り行っているらしい。また親しみやすく心の安らぎが得られるような神社を心がけるとあり、平服(普段着)での結婚式を挙げることができる。
場所は新大久保駅から大久保通りを東に進み、途中で戸山公園方面に向かって歩いた住宅街の中にある。一般的な広い境内がある神社と違って2階建て家屋全体が神社となっている感じなので初めてだとわかりにくいかもしれない。
鳥居をくぐると右手に境内社(御嶽神社、出世稲荷神社、大久保弁財天)があり、階段を上った先が、住宅の一室を利用しMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒169-0072 東京都新宿区大久保2丁目27−1835.7023379 139.7038516999999735.7022374 139.70369419999997 35.702438400000005 139.70400919999997tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-70387171210505019802020-01-03T16:00:00.000+09:002020-01-04T00:35:00.784+09:00羽田七福いなりめぐり羽田七福いなりめぐりとは、毎年1月1日~1月5日(9:00~15:00)行われる催し物です。東官守稲荷神社から以下の順番で巡っていき、最後の穴守稲荷神社まで徒歩で2時間程度のコースとなっています。
壱番 萩中 東官守稲荷神社 《身体安全》
弐番 上田 妙法稲荷神社 《招福厄除》
三番 大野 重幸稲荷神社 《開運長寿》
四番 中村 高山稲荷神社 《学業成就》
伍番 仲町 鴎稲荷神社 《開運招福》
別格 羽田 玉川弁財天 《金運長寿》
六番 鷹取 白魚稲荷神社 《無病息災》
七番 東京羽田 穴守稲荷神社
少しコースを外れますが、白魚稲荷神社近くの羽田平和の大鳥居にも足を運べます。壱番の東官守稲荷神社で頒布される集印帳(200円)に各社の御朱印(初穂料100円)をいただきます。7社の稲荷神社と弁財天すべてまわると穴守稲荷神社で記念品をいただけます。
東官守稲荷神社
妙法稲荷MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-77487022641579000322019-12-12T17:26:00.001+09:002019-12-12T17:26:25.583+09:00雪ヶ谷八幡神社大田区東雪谷にある神社。いただいた資料によれば創建は永禄年中(1558~1569年)とされ、北条左京太夫氏康の臣太田新六郎管内巡視の際に当所に於いて法華経曼荼羅の古碑を発掘し、その奇瑞により八幡大菩薩を創祀すと伝えられる。
旧中原街道沿道随一の由緒深き神社として人々の崇敬を集め、雪ヶ谷の里の鎮護の神として450年のご神徳をもって現在に至る。御祭神は誉田別命で、近隣にある田園調布八幡神社、道々橋八幡神社、石川神社も兼務している。
今回は自転車での参拝だったが、電車では東急池上線の石川台駅が最寄りで徒歩2分。境内へは四方から入れるようになっているが、一之鳥居は長細い境内の端にある。鳥居をくぐると児童公園になっておりベンチで休憩もできる。
その先の石段を上った先が二之鳥居。さらに進むと右手に手水舎がありさらに石段を上ったところに三之鳥居。その鳥居をくぐった正面に拝殿MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒145-0065 東京都大田区東雪谷2丁目25−135.5966221 139.68649589.6759271 98.377901799999989 61.5173171 -179.00491020000004tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-1854609759113921162019-12-05T20:33:00.003+09:002019-12-05T20:33:32.599+09:00羽田神社大田区本羽田にある神社。公式ページによると創建は約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎を祀ったことが始まりとされ、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰されたという。
江戸時代には、旧羽田村・旧羽田猟師町の鎮守として知られ、明治の神仏分離令により八雲神社として独立したが、明治40年に羽田神社と改称している。またその由来から今も羽田神社を「てんのうさん」と呼ぶ人もいる。
また羽田の氏神様として航空会社各社からも崇敬され、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣があるらしい。現在の氏子地域は羽田1丁目~羽田6丁目と羽田1丁目~本羽田3丁目、大田区羽田旭町、大田区羽田空港1丁目~羽田空港3丁目となっている。
境内は京急線の大鳥居駅を出て、7分ほど産業道路を南に進むと大きな橋手前の右手に鳥居が見えるのでわかる。一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居がMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒144-0044 東京都大田区本羽田3丁目9−1235.5469515 139.7404143999999635.5467495 139.74009939999996 35.5471535 139.74072939999996tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-41977098780242426162019-12-01T18:29:00.007+09:002019-12-01T18:29:57.210+09:00須賀神社(浅草橋)台東区浅草橋にある神社。東京神社庁のページに由緒に関する説明があり、當社牛頭天王縁起によれば、創建は推古天皇九年(600年)とある。江戸時代には牛頭天王社、祇園社、蔵前天王社、団子天王社と呼ばれていたが明治元年、須賀神社と改称した。
御祭神は素盞鳴尊で家運隆昌、疫病退散、目的完遂などにご利益があるとされる。関東大震災で被災し、東京大空襲によって社殿が焼失したが昭和36年(1961年)に現在の鉄筋コンクリート造社殿が再建された。
境内は浅草橋駅から江戸通りを北に進むと徒歩3分くらいで左手に鳥居が見えるのですぐにわかる。鳥居をくぐってすぐ左手に手水舎があり、正面が拝殿。社殿の右奥に社務所、左側に神楽殿が確認できる。
御朱印は社務所で拝受できる。窓口が閉まっている場合はインターホン呼び出しなるらしいが、この日は宮司様がいてすぐに対応いただけた。御朱印や各地の神社についてMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒111-0053 東京都台東区浅草橋2丁目29−1635.6992633 139.78711299.7785683 98.478518900000012 61.619958299999993 -178.90429310000002tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-78930064674632419682019-11-07T16:29:00.004+09:002019-11-07T16:29:44.471+09:00成増菅原神社板橋区成増にある神社で創建年代は不詳。板橋区教育委員会による案内板によれば(平成三年)新編武蔵風土記には「山王社」、延宝七年(1680年)の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治二年の「社寺取調下案」に「天神社」とある。
江戸時代には青蓮寺が別当となっていたが、旧成増村の鎮守として明治七年四月に旧社格「村社」が与えられた。菅原神社とあるように御祭神は菅原道真公で、明治十七年八月に本殿が再建され大正年間には拝殿が新築されている。
境内は東武東上線の成増駅から住宅街を北に進むと天神下公園があり、そこから参道につながる石段が見えるのでわかる。石段を上りきって一の鳥居、さらに参道を進むと右手に社務所があり、道路を挟んだ先に二の鳥居が見える。
鳥居の右手に手水舎があり、正面が拝殿。右手奥には立派な神楽殿も構える。また鳥居手前の左手には境内社の稲荷社、日枝社、愛宕MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒175-0094 東京都板橋区成増5丁目3−2335.7835745 139.631337900000069.8628795000000018 98.322743900000063 61.704269499999995 -179.06006809999997tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-60237982857438427002019-11-01T20:32:00.006+09:002019-11-01T20:32:59.606+09:00深澤神社世田谷区深沢にある神社。永禄七年(1564年)伊豆の三島神社の分社として斎祀された。以前は三島神社と呼ばれていたが、東京神社庁のページでは明治七年村社となり、大正四年社殿改築時に現在の社名に改称とあるが公式ページの説明と異なる。
明治四十二年(1909年)6月に深沢村の各地域に奉祀されていた神明神社・稲荷神社・山際神社・八幡神社と、御嶽神社・天祖神社・稲荷神社・三島神社の八社を三島神社に合祀して深澤神社に改称されたと公式ページにある。
場所は駒沢オリンピック公園から南西方向にあるが、駒沢大学駅か等々力駅からバスで深沢坂上まで行き、そこから徒歩3分。今回は自転車だったため不便を感じなかったが、徒歩のみだと大変かもしれない。
住宅街の中にある三島公園に隣接したところに境内があり鳥居が見えるのですぐにわかる。石段を上ると右手に手水舎があり正面の拝殿がすぐに確認できるMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒158-0081 東京都世田谷区深沢5丁目11−135.6198857 139.651377200000079.6991906999999991 98.342783200000071 61.540580699999992 -179.04002879999996tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-7559574260275096962019-10-30T16:29:00.003+09:002019-10-30T16:56:22.062+09:00駒込天祖神社文京区本駒込にある神社で創建は文治五年(1189年)。本郷區史には“創建の年月詳ならず”とあるが、源頼朝が奥州藤原泰衡追討の途中に立ち寄り、夢のお告げで松の枝に大麻がかかっているのを見つけた。征討のよい前触れと喜び神明宮を建立したというのが有力。
公式ページには“源頼朝公が、奥州藤原泰衝追討の途中このあたりに寄った折、霊夢にて松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻が見つかった。それで頼朝公は、神明を祀った”とある。
江戸時代には駒込神明宮と称され駒込の総鎮守として信仰を集めた。その後、明治五年には村社に列格。昭和二十年二月戦災により焼失するも戦後には参道敷石の整備や大鳥居の建設が行われ再建された。
境内はJR駒込駅から徒歩15分の場所にあり、鳥居から社殿まで真っ直ぐな参道が続いているのが見える。参道の途中、左手にはMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒113-0021 東京都文京区本駒込3丁目40−135.7304335 139.754760900000069.8097384999999981 98.446166900000065 61.6511285 -178.93664509999996tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-9290522969634129702019-10-28T16:39:00.001+09:002019-10-28T16:39:38.288+09:00玉姫稲荷神社台東区清川にある神社。東京神社庁の公式ページよれば社伝に創建は天平宝宇四庚(760年)とあったとされる。また享保年間に出版された『江戸砂子』に王子稲荷神社と縁が深いと記されているという。
社名の由来は新田義貞が鎌倉の北条高時弘法大師の直筆とされる稲荷の像を瑠璃の宝塔に収めて奉納したため「御玉ひめの稲荷」と呼ばれるようになったらしい。
境内は東京メトロの南千住駅から徒歩15分くらいの場所にある。漫画「あしたのジョー」で有名になった泪橋(現在は交差点があるのみで橋はない)を過ぎて、以前は「山谷」と呼ばれていたところだ。
鳥居をくぐって参道を進むと一対の狛犬の先の左手に手水舎があり、そのすぐ正面が拝殿となる。参道の両側は駐車場として利用されているが、途中の右手には神輿庫と境内社の口入稲荷神社も確認できる。
口入稲荷の社殿横に授与所があるが、閉まっていて用事がMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒111-0022 東京都台東区清川2丁目13−2035.7270381 139.802261000000049.806343100000003 98.493667000000045 61.647733099999996 -178.88914499999998tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-33263024473473678782019-09-29T16:07:00.005+09:002019-09-29T16:21:25.313+09:00胡録神社(第六天)荒川区南千住にある神社。公式ページによれば永禄四年八月川中島合戦の敗れた上杉の家臣高田嘉左衛門が難を逃れてこの地(汐入)に落ちのび、高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し守護神として面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたのが始まりとされる。
古くは大六天と称していたが明治の神仏分離令の際に当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、社号を胡録神社と改称。神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものとある。
境内は南千住駅から徒歩15分ほどの都立汐入公園近くにある。高層住宅街の中に鳥居があり、一の鳥居をくぐって参道を進むと左手に手水舎があり、石段を少し上って二の鳥居の先に拝殿が見える。狛犬は二対あってどちらも迫力がある。
奥に進むと本殿があり、その右手には神楽殿も確認できる。境内社として刀塚社と道祖神の二社があるが、一の鳥居をくMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒116-0003 東京都荒川区南千住8丁目5−635.738476299999988 139.8069533000000335.738073299999989 139.80632280000003 35.738879299999986 139.80758380000003tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-90334030790633877772019-09-26T18:42:00.002+09:002019-09-26T18:42:31.437+09:00碑文谷八幡宮目黒区碑文谷にある神社。東京都神社庁の公式ホームページによると創建は不詳ながら、鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えていた畠山重忠の守護神を、二俣川にて北条義時の軍に討たれた後、その臣榛沢六郎が交付し宮野佐近がこれを奉祀したといわれている。
サレジオ通りから公園通りに抜けるところに立会川緑道があるが、鳥居があってそこから参道となっている。緑道沿いに桜の木が神社まで並んでいて、春になると桜の名所にもなるようだ。
長い参道をまっすぐに進むと石段を上った先に社殿が見えてくるのだが、二の鳥居の右手に社務所への入り口が見える。実はここに参拝するのは二回目。以前は例大祭の後か先か忘れたが、大勢の人が忙しく作業をしていて御朱印をお願いするのは控えた。
最初の石段を上ると三之鳥居があり、その先の左側に手水舎。さらにその先にある石段を上ると社殿が確認できる。延宝二年(1674年)にMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒152-0003 東京都目黒区碑文谷3丁目7−335.6176974 139.686605699999979.6970023999999988 98.378011699999973 61.538392399999992 -179.00480030000006tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-48691686736283982582019-09-10T19:32:00.004+09:002019-09-10T20:18:51.141+09:00武蔵御嶽神社青梅市御嶽山にある神社。公式サイトによれば創建は崇神天皇の時代(紀元前90年)と伝えられ、古くから関東の霊山として信仰されてきた。御嶽山頂にある境内には本殿・拝殿の他にも数々の神々を祀る摂社がある。
中でも大口真神社は山中で難にあった日本武尊を狼が助けたとされ、火難盗難退除の守護神として狼が祀られている。大口真神社の左手奥には奥の院にある摂社の男具那社を拝むことができる遥拝所が設けられている。
また本殿の右奥に常磐堅磐社があるが、これが旧本殿となる。説明書きには東京都ではめずらしい室町時代の様式を持つ本殿建築の一つとある。現在の本殿は神明造で明治十年(1877年)に造替されたもので、それまで使用されていた。
境内は山頂にあるため、JR御嶽駅から路線バスでケーブル下まで行き、そこから徒歩4分のケーブルカー乗り場の滝本駅へ。ケーブルカーに乗って終点の御岳山駅で降りる。MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-12274719258675577952019-09-07T17:58:00.003+09:002019-09-07T18:05:27.808+09:00雉子神社品川区東五反田にある神社。創建は不詳だが文明年中(1469~1487年)の時期とされており、いただいた資料によるともともとは荏原宮、大鳥明神、山神の社などと呼ばれていたらしい。
江戸時代の慶長年間、三代将軍家光公がこの近くに鷹狩りに立ち寄った際に、一話の白い雉がお宮に飛んで入ったのを追ってお参りをした。村人が神社名を尋ねられ大鳥明神さまと答えると、これからは「雉子の宮」と呼ぶように命じたという。
境内は五反田駅の東口を国道1号線沿いに坂を上っていくとある。鳥居が見えるのでわかるが、オフィス街の中で12階建てビルの1F部分なので、うっかりすると通り過ぎてしまう。鳥居をくぐり階段を上った左手に手水舎がある。
さらにその右奥に拝殿や本殿があるが、本殿の上は吹き抜け構造になっており、天に向かって空いている。拝殿の左にはガラス張りの神輿庫があり、その奥は境内社の三柱神社。大国MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒141-0022 東京都品川区東五反田1丁目2−3335.6288256 139.726751899999959.7085936 98.418157899999954 61.5490576 -178.96465410000008tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-38379188154247128162019-09-01T23:42:00.001+09:002019-09-01T23:42:07.830+09:00布多天神社調布市調布ヶ丘にある神社。創建は不詳ながらいただいた由緒書によれば延長五年(927年)に制定された「延喜式」にも名を連ねる、多摩地方有数の古社。社伝によると第11代垂仁天皇の御代約1940年前の創建とされている。
文明九年(1477年)に古天神というところより現在地へ遷座され、その時に御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀された。
江戸時代に甲州街道ができた際に石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿は布田五宿と呼ばれるようになったが、布田五宿の総鎮守が布多天神社で五宿天神と崇め祀られていたらしい。
境内は調布駅から徒歩6分程度で天神通りを進み甲州街道を渡ったすぐ先にある。鳥居が見えるのですぐにわかるが、今回は参道沿いでつくる市(手づくりの工芸品の販売)が催されており多くの人で賑わっていた。
左手に手水舎、さらに進むと右手には神楽殿と撫MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒182-0021 東京都調布市調布ケ丘1丁目8−135.6567119 139.5452239999999635.6563089 139.54459349999996 35.657114899999996 139.54585449999996tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-25228585065700639112019-08-05T18:51:00.001+09:002019-08-05T18:51:18.380+09:00石浜神社荒川区南千住にある神社。公式ページの由緒書によれば聖武天皇の神亀元年(724年)勅願によって鎮座され1295年の歴史を持つ。文治五年(1189年)源頼朝の奥州征討に際し社殿を寄進したとされる。
また弘安四年(1281年)蒙古襲来の折に必勝を祈念しての鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣のご奉納などを経て中世初めに大社として発展した。『江戸名所図会』にも取り上げられ「神明さん」とも呼ばれ明治五年には郷社に列せられた。
境内は隅田川の白鬚橋近くにあり電車でのアクセスは南千住駅から徒歩で10分程度。一の鳥居をくぐって参道を進むとすぐに二の鳥居。両鳥居は荒川区登録有形文化財に指定されている。
さらに参道を進むと左手に手水舎があり、その先に社殿が確認できる。拝殿は神明造で右手は境内社の合社殿、左手には社務所がある。また拝殿手前の右手には招来(おいで)稲荷神社や富士塚、庚申塔などもMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒116-0003 東京都荒川区南千住3丁目28−5835.7297499 139.808364900000029.8090549000000031 98.499770900000016 61.6504449 -178.8830411tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-42300490522173955342019-07-23T18:36:00.000+09:002019-07-23T18:36:58.487+09:00飛木稲荷神社墨田区押上にある神社。創建年代は不詳だが、鎌倉幕府の滅亡後にこの地に移住した北条氏の一門が応仁二年(1468年)に勧請したと伝えられる。社名の由来は暴風雨の折にイチョウの枝が飛んできてこの地に刺さり亭々とそびえたという言い伝えによるもの。
なお飛木稲荷神社は「トビキイナリジンジャ」と読む。ご神木の銀杏の木は墨田区一の大木で、戦災により黒焦げとなりつつも数年を経て緑の芽を吹き出したらしい。町の延焼を防いだとして“身代り”飛木の焼けイチョウと言われている。
境内は押上駅から徒歩6~7分の場所にある。鳥居をくぐるとご神木がそびえ立ち、正面が拝殿で右手が神楽殿、左手に手水舎がある。長谷川清氏が描いた御神木の絵の中に「お狐さま」が描かれているが手水舎の前に立って見上げるとそれが確認できる。
社殿左奥には境内社の日枝神社があり、その右手には奥社稲荷神社として狐塚が確認MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒131-0045 東京都墨田区押上2丁目39−635.7141548 139.815673999999949.7934598000000044 98.507079999999945 61.6348498 -178.87573200000008tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-61765027604139510252019-07-18T15:20:00.006+09:002019-07-18T15:20:57.412+09:00白金氷川神社港区白金にある神社で創建は白鳳年間(673~685年)と伝えられている。東京都神社庁のサイトによれば日本武尊御遠征の時、素盞嗚尊を勧請した武蔵の国一の宮氷川神社の遙拝所として当所に御鎮座されたとある。
明和九年に起きた「明和の大火」の大火により社殿が焼失。その後、嘉永五年に再建されるも昭和二十年の東京大空襲で再び焼失。現在の社殿は昭和三十三年に再建されたもので、平成十二年には北里通り沿いに大鳥居が造られた。
境内は白金高輪駅から徒歩3~4分ほどの場所にあり、鳥居をくぐると石段を上った先に社殿が確認できる。石段を上りきったところで味のある狛犬が出迎えてくれる。左手には手水舎、正面が拝殿となる。
社殿の左奥には境内社の建武神社が鎮座。後醍醐天皇・護良親王・楠正成などの203柱の南朝の忠臣が祀られている。昭和十一年に建武義会が上大崎に創建した建武神社を遷座したものと言MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒108-0072 東京都港区白金2丁目1−735.6431534 139.731293300000069.7224584000000043 98.422699300000062 61.5638484 -178.96011269999997tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-56296876036672112572019-07-07T15:03:00.001+09:002019-07-07T15:03:28.107+09:00浅草富士浅間神社台東区浅草にある神社。由緒書によれば詳しい創建年月日は不明ながら本殿より発見された棟礼によると元禄年間(1688~1703年)と推察されるとある。江戸時代は神仏習合の時代だったため、富士権現として浅草寺子院の修善寺が管理していた。
明治維新の神仏分離令により修善寺の管轄を離れ、明治六年から浅草神社の兼務社として現在に至る。東京大空襲で土蔵造りの本殿を残し全焼。現在の社殿は平成十年に浅草神社奉賛会により再建された。
境内は浅草寺から北上し住宅街を通って富士公園を抜けたところにある。鳥居をくぐると左手に手水舎があり正面が社殿。その右手に社務所があり、通常は閉まっているが7月1日~7日の夏詣の期間はそこで御朱印をいただける。
なお鳥居の右手には富士塚があり登山口から上ることができ山頂部には祠もある。例祭日は富士山山開きの日の7月1日。賽銭は社殿の賽銭箱へという案内があっMINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒111-0032 東京都台東区浅草5丁目3−235.719277600000012 139.798405600000029.7985826000000138 98.489811600000024 61.639972600000007 -178.8930004tag:blogger.com,1999:blog-8553390882797945227.post-27543106362952407212019-06-17T18:17:00.004+09:002019-06-17T18:17:36.134+09:00南沢氷川神社東久留米市南沢にある神社で創建年代は不詳。公式ページによると古来から湧水守護神として奉斎され、出雲「斐伊川」の故事にならい創立されたと伝えられ、在原業平の古伝に当社に立ち寄る旨が記されているという。
また社宝である上棟礼には承応三年(1654年)二月十五日、徳川家重臣の久世大和守、地頭神谷与七郎、蜂屋半之丞の助力を得て南沢村、田無村、入間村、下新井村の総氏子中によって再建されたと記されている。
境内は東久留米市の中央部にある南沢緑地保全地域の湧水地にある。近くには落合川が流れ、付近の遊歩道を歩くと傾斜地の林の中にいくるもの湧水が確認できる。今回は自転車だったが最寄り駅の東久留米駅からは15分ほど歩くと思われる。
鳥居をくぐると社殿まで真っ直ぐ参道を進むが高台に位置するため途中石段を上る。一対の狛犬があり左手には手水舎、正面が拝殿となる。社殿の左奥には境内社MINThttp://www.blogger.com/profile/17903806128370739002noreply@blogger.com0日本、〒203-0023 東京都東久留米市南沢3丁目5−835.7535265 139.527438299999979.8335259999999991 98.218844299999972 61.673527 -179.16396770000006