2019/01/29

虎ノ門 金刀比羅宮

港区虎ノ門にある神社。公式ページよると万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主だった京極高和が藩領内の象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を三田の地に勧請したのが始まりで、延宝七年(1679年)に現在の虎ノ門に遷座した。


江戸時代から金毘羅大権現と称されていたが、明治二年(1869年)の神仏分離令により事比羅神社と社号を改称、その後、明治二十二年(1889年)に金刀比羅宮に改められて現在に至る。


東京メトロ虎ノ門駅の2番出口からすぐの場所に境内がある。近代的なオフィスビルに囲まれた中にあり、よくある境内のイメージとは異なるが桜田通りの大鳥居をくぐると右手に手水舎があり、その前方には拝殿が見える。


ビルの中にありながら社殿には存在感があり、全く窮屈な雰囲気はない。境内にはベンチが並んでいるので休憩も可能で、キッチンカーで出店があってオープンな感じになっている。周辺のビジネスマンらしき人たちも参拝に訪れるようだ。


境内末社として喜代住稲荷神社と結神社があり、結神社には江戸時代から良縁を求める女性から厚い信仰があり『新撰東京名所図会』にも記録が残る。良縁祈願紐を専用台に結びつけるのだが隙間もないくらいだった。


なお御朱印は授与所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して番号札を受け取り、書き上がるのを待つ形式で、初穂料の指定はなくお気持ち(志納)となっている。オリジナルの御朱印帳もあるようだ。


2019/01/11

居木神社

品川区大崎にある神社。創建年代は不詳だが公式ページには古い記録で元々は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)にあり、雉子ノ宮」と称されていたらしい。江戸時代初期に目黒川氾濫の難を避けるために現在地に遷座した。


遷座の際に貴船明神春日明神、子権現、稲荷明神、を合祀し「五社明神」と称された。明治5年に社号を居木神社に改め、同6年に村社に列格、村内鎮座の稲荷神社、川上神社、本邨神社の3社6座が合祀された。


JR大崎駅西口から徒歩3分の場所に境内があり、高台になっているため少し坂を上ると鳥居が見える。さらに石段を上っていくと鳥居の手前に一対の狛犬があり、鳥居をくぐって左手に手水舎が見える。


正面すぐに拝殿があり、社殿の左奥には境内社の厳島神社と稲荷神社がある。社殿は戦火で消失してしまったが昭和52年に再建。その他、境内には江戸時代の石像物が残っており境内末社の厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されている。


社殿の右手に社務所がありお守りなどが頒布されているが、御朱印は別の建物に受付窓口が設けられていた。正月の時期なので行列を避けるために臨時にそうなっているのかもしれない。


通常御朱印から月替りの御朱印まで種類が多いのだが、今回は正月限定の御朱印をいただいた。窓口で御朱印帳を渡して番号札を受け取り書き上がるのを待つ形式で、初穂料は500円だった。


2019/01/04

目黒大鳥神社

目黒区下目黒にある神社。目黒区では最古の神社と言われ、公式ページ記載の社伝によると「尊の霊みたまが当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神とりみょうじんとして祀る」とあり、大同元年(806年)には、社殿が造営された。


また江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に鳥明神として記載されており、江戸九社の一つとして、かなり古くから多くの崇敬を集めていたと考えられる。さらに文政十三年(1830年)の新編武蔵風土記稿にも大鳥大明神と記されている。


目黒駅から権之助坂を下り、目黒川を越えて山手通りと目黒通りの交差点の角に境内がある。どちらの通りにも鳥居があるが山手通り側の鳥居からが表参道になるようだ。鳥居をくぐると左手に手水舎が見える。


一対の狛犬に出迎えられ、正面が拝殿となる。社殿左奥には境内社として目黒稲荷神社があり、その横には庚申塔や複数の石造物が並んでいる。また境内右手奥には神楽殿もあり、例大祭には「剣の舞」が奉納される。


境内はそれほど広大ではないのだが、その他「都天然記念物オオアカガシ」の石碑や切支丹燈籠、御神木の銀杏もあり、さすが歴史ある神社だけあって見どころが多い。


なお、御朱印は通常は対応していないが、お正月と9月の例大祭、11月の酉の市には書き置きのものが頒布される。今回はお正月の御朱印をいただくことができた。