2017/07/30

牛嶋神社

墨田区向島にある神社で本所地区一帯の総鎮守として知られる。由緒書の資料によれば明治維新前は牛宝明王院最勝寺が別当として管理していたが神仏分離後に牛嶋神社と「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めたらしい。


社伝によれば貞観二年(860年)に慈覚大師が御神託により須佐之男命を郷土守護神として勧請し創建したとされる。後に天之穂日命を祀り、次いで清和天皇の第七皇子貞辰親王命が祀られた。


三ツ目通り沿いに大鳥居があるが隣接する隅田公園側にも鳥居がありそちらが表参道。鳥居をくぐって正面に本殿が見える造りになっていて参道を進むと左手に手水舎がある。


本殿手前には大きな鳥居の両脇に小さな鳥居が付いた三輪鳥居(三ツ鳥居)があり、当神社の三柱の御祭神にちなんでそうなったという説もあるが由来は明らかになっていないらしい。


狛犬も三対あるのだが牛嶋という名の通り狛牛があったり、天神様ではないが撫牛があるなどいろいろ珍しい。見事な彫刻が施された総檜権現造りの社殿は昭和七年(1932年)のもので第二次世界大戦の戦火を免れた。


境内社として本殿右手に小梅稲荷神社が鎮座するが、これは旧向島小梅町にあった稲荷が遷座されたものらしい。


なお御朱印は授与所を通して御朱印帳を渡す形式でお願いできる。しばらくすると書き上がった御朱印帳を神職さんが持ってきてくださる。初穂料は300円。


2017/07/28

太子堂八幡神社

世田谷区太子堂にある神社。略記によれば正確な文献資料がなく創建年代は不明とされているが、源頼義・頼家親子が戦勝祈願でこの神社に訪れたと伝えられるため、永承六年(1051年)以前にはこの地の守り神だったと推定されるとある。


八幡さまなので御祭神は誉田別尊(応神天皇)で、現在も厄除、家内安全、交通安全、安産、商売繁盛、学業成就、五穀豊穣など多くの御神徳を備えた神さまとして仰がれている。


鳥居をくぐって石段を上ると左手に手水舎、そのまま真っ直ぐ行った先に社殿がある。昭和十二年(1937年)に造営されたものらしいが、第二次大戦中も戦火を逃れ現存。平成二十三年に耐震補強がされた。


なお境内社として社殿右手にある稲荷神社、鳥居手前にある弁天社、手水舎奥には鹽竃神社・出羽三山神社の合祀殿がある。


また社殿と稲荷神社の間の奥には幹周り4メートル樹齢五百年とされる御神木(大楠)がある。特別祈願の折にはご案内するとあるので普段は近くには寄れないが大木であることはすぐにわかる。


御朱印は授与所でお願いできる。月替わりの御朱印は2017年から始まったらしく、カラフルな印判が人気を集めている。7月は七夕と盆踊りを題材としたもので七夕短冊と言の葉みくじも合わせていただける。


(追記)2018.05.03
平成30年5月3日(木)に5月限定の御朱印を拝受した。


平成30年5月1日~5月5日までの弁天さま御朱印


平成30年4月28日~5月6日までのGW限定御朱印



2017/07/27

宮益御嶽神社

渋谷区渋谷の宮益坂の途中に鎮座する神社。大和国吉野郡金峰神社の分祭社で創建は元亀元年(1570年)だが寛永年間(1624~1644年)に再建したとされる。


御祭神は日本武尊、秋葉の神、大国主神、菅原の神の四神で、大鳥信仰である「酉の市」が11月になると催される。


渋谷駅から宮益坂を上り渋谷郵便局の手前まで来ると突然鳥居が現れる。ビルの谷間にある神社なので気にしないで歩いていると通り過ぎてしまうほどだ。


一の鳥居をくぐると階段が続き二の鳥居の左手に手水舎、社殿の手前に三の鳥居がある。参道を進むと全国的にも珍しいニホンオオカミの狛犬に見つめられる。


この狛犬は複製のブロンズ像で延宝年間(1673~1681年)に奉納された本物の石像は社務所内に安置してあるらしい。


御朱印は授与所でいただける。インターホン呼び出し形式だが大変丁寧にご対応いただいた。酉の市以外はすべて書き置き対応になると明記されているので注意したい。


2017/07/14

平田神社

渋谷区代々木にある江戸時代の宗教家平田篤胤を祀る神社で、明治元年(1868年)平田家邸内に邸内社として創建されたといわれる。


明治十四年(1881年)に明治天皇よりの下賜金をもとに文京区小石川へ遷座。その後、昭和三十四年(1959年)に現在後に遷座した。


小田急線の南新宿駅の近くの住宅街の中にあり鳥居をくぐってすぐ左手が手水舎、正面は拝殿となる。


御朱印は通常の御朱印と神代文字の二種類があり、通常の御朱印は書き置き形式になる。紙代文字でお願いして御朱印帳を渡したが、右上の印が朱色ではなく間違って黒で押してしまったらしい。


初穂料は要りませんと言われたがそれほど気にもしていなかったし、そこまでされるとこちらの方が申し訳ない感じだ。いつかまた参拝して再度きちんと御朱印をいただこうと思う。

2017/07/12

十番稲荷神社

港区麻布十番にある神社。もと末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)が戦災で焼失していたものを昭和二十五年の復興土地区画整理により合併して現社名に改称した。


末広神社は慶長年間(1596~1615年)創建の村社で、竹長稲荷神社は創建が明らかでない無格社。現在は麻布十番の鎮守として、港七福神めぐりでは「宝船」のおやしろとなっている。


麻布十番駅の出口からすぐの場所に鳥居があり石段を上りきった右手に手水舎、正面が拝殿、左手が社務所というシンプルな構成。戦時中に土に埋めて戦火を逃れたとされる狛犬だ出迎えてくれる。


なお鳥居の右手には「かえるさん」と親しまれている蛙の像があり、左手には宝船の石像がお祀りされている。


御朱印は社務所でお願いできるが、これまでの御朱印帳がいっぱいになったので御朱印と御朱印帳の両方を受けることにした。御朱印帳と一緒に陶器製の小さな蛙もいただいた。


麻布氷川神社

港区元麻布にある神社。創建は天慶五年(938年)源経基が天慶の乱(平将門)を鎮定するため東征した際に現在の麻布一本松付近に勧請したのが始まりとされる。


万治二年(1659年)に現在の地に遷座し江戸氷川七社の一つとして崇敬された。明治四年、氷川大明神から「郷社 氷川神社」に改称。現在も麻布周辺の鎮守として崇敬を集めている。


麻布十番駅から元麻布方面の坂を上りきったところに境内がある。鳥居をくぐると左手に手水舎、右手に江戸時代から残る神輿庫や神楽殿が並ぶ。


参道の沿って左に折れた正面が昭和二十三年に再建された社殿となる。社殿手前左の手水舎の少し前には境内社の稲荷社も鎮座。松平陸奥守仙台藩下屋敷内に祀られていたものを遷座したらしい。


御朱印は社殿右手にある社務所でお願いできる。七夕は過ぎてしまったが御朱印が七夕バージョンで賑やかな感じになっており大変ありがたい。


2017/07/11

菅原神社(松原)

世田谷区松原にある神社。創建は寛文五年(1665年)に当地に寺子屋を開いていた石井兵助直慶が勧請したのが始まりとされる。


世田谷の天神様とも呼ばれ松原地域の鎮守として崇敬を集め、明治期には村社に列格。もともとは天満宮と言われたが明治七年菅原神社とあらためた。


鳥居をくぐるとすぐ左に絵馬殿があり中には大絵馬が掲げられている。その先に手水舎が並び、参道を進み正面が拝殿となる。拝殿手前には一対の狛犬がいて右手奥には神楽殿がある。


境内の南側には小さな庭園があって厳島神社(市杵島姫命)が鎮座。また社殿の左手には御嶽神社と稲荷神社がある。



その他、道菅原真公を祀る他の神社と同様に撫でるとご利益があると言われる天神様の牛像があるが、脇の祠は恵比寿神と大黒天らしい。


御朱印は社務所でお願いできる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡してしばらく待つが、庭園前にベンチがあってゆっくりできるので安心だ。小さい規模ながらもとても感じの良い神社だった。


2017/07/09

洲崎神社

江東区木場にある神社。元禄十三年(1700年)桂昌院(徳川五大将軍綱吉公の生母)が崇敬した江戸城中紅葉山の弁財天を護持院(現護国寺)隆力の進言により当地に遷座して創建された。


明治時代の神仏分離までは洲崎弁天神社と言われ江戸時代は目の前が海岸だったらしい。海岸に浮かぶ弁財天だったことから文人墨客の参詣を集めていたと言われる。


寛政三年(1791年)に襲来した高潮で多くの死者を出したらしく、幕府はこの社の西のあたり一帯を買い上げ住むことを禁じたらしい。今も一基の波除碑が境内に確認できる。


木場駅から三ツ目通り沿いに南に進み橋を渡って左に折れると目の前に鳥居が見える。鳥居をくぐると左手に手水舎があり参道を進んで一対の狛犬を抜けた正面が拝殿というシンプルな造りだ。


拝殿の左手前には境内社として豊川稲荷神社、於六稲荷神社、弁天社が並び、きれいにまとめられた感じだが以前は弁天社が池の中に祀られていたらしい。


御朱印は参道右手にある社務所でお願いできる。玉の輿神社という印があるのは七福神唯一の女神様が祀られていることからきているのだろうか。詳しいことはわからないが大変興味深い。


2017/07/05

亀有香取神社

葛飾区亀有にある神社。創建は鎌倉時代建治二年(1276年)、当時この地が下総国葛西御厨亀無村と呼ばれ、香取大神宮の神領地であったことから村の鎮守様として本宮の分霊がお祀りされた。


御祭神は経津主大神で、相殿にお祀りされている武甕槌大神はいずれも武神として古くより崇敬されていた。現在は勝負・開運厄除の神様、スポーツ振興の神様として広く崇敬されている。


亀有駅から5分ほど歩いた環七沿いに大きな鳥居が見えるが正式な参道はその右手からとなる。鳥居をくぐると右手に手水舎がありその先に神楽殿が見える。真っ直ぐ進むと一対の狛犬に迎えられ正面に拝殿が構える。


境内社が多く参道左手にある道祖神社、社殿に向かって右手に神明宮、白山神社、水神宮、諏訪神社が社殿の後ろにも松山稲荷神社や稲荷社がある。


さらに左手奥には藤四郎稲荷神社や第二次世界大戦時に亀有地区より出兵された戦没者を祀る招魂社や浮洲稲荷神社も並ぶ。


御朱印は参道左手にある社務所で受けられる。今回は七夕限定印で書き置きのみだったが、通常の御朱印もいただけるようだった。