中央区湊にある神社で公式ページによれば841年にこの地の住民がうち続く凶作に自らの産土の国魂神を祀り、日々の御守護を祈願したのが始まりとされる。
室町時代の末期には今の新京橋へ遷座し八町堀稲荷神社と称したが、徳川幕府が開かれ、埋め立てが進んだ寛永元年(1624年)、氏子崇敬者の願いにより生成太神が再遷座され現在の鐵砲洲稲荷神社の基礎が築かれた。
京橋川が隅田川に合流する河口から南の方へ細長い洲が鉄砲洲と呼ばれていたが、徳川家の大筒の試射場であったからとか種子島に伝来した鐵砲に似ていたなど名前の由来は諸説あるようだ。
八丁堀駅から5分ほど歩いた場所に鳥居が見え、脇にはかわいらしい狛犬が一対。鳥居をくぐると右手に手水舎がある。
正面に向かうとすぐに拝殿で、左手には摂社八幡神社と天満社・三輪社・浅間社・琴平神社・住吉社も合祀されている。その手前は神楽殿があり右側は社務所の大きな建物がある。
社殿の右奥には富士塚があり、頂上には鐵砲洲富士浅間神社が鎮座。普段は登ることは禁じられているが、7月1日の山開きには登れるとの話がある。海岸のイメージがあったので富士塚は意外だった。
御朱印は社務所で拝受できる。受付窓口から御朱印帳を渡して待つ形式で、とても丁寧に対応していただいた。なお神社の隣には鉄砲洲児童公園があり、参拝後に休憩ができる。
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