2019/04/15

國領神社

調布市国領町にある神社。公式ページの由緒書によればかつては第六天社と称し、多摩川河畔(杉森の地)に鎮座していたものを、甲州街道が整備される江戸時代の初期に調布町大字國領148番地に遷座。明治四年に村社に列格、明治八年に國領神社と改称した。


一方で杉森の地には神明社もあり杉森神明社や八雲神明社とも呼ばれていた。江戸時代初期の常性寺が甲州街道沿いに移設された際に調布町大字國領字八雲台182番地に遷座。その後、昭和38年に國領神社と神明社とを合祀し社名を國領神社とした。


境内は国道20号線沿いにあり、鳥居と藤棚が見えるのですぐにわかる。今回は自転車だったので詳細は不明ながら、場所的に電車の場合は京王線の布田駅が最寄りになると思われる。残念ながら藤を楽しむことはできなかったが、多くの人で賑わうことが予想される。


鳥居をくぐると右手に手水舎があり、その正面が拝殿となる。長い参道があるわけではないので、すぐにお参りができる。また境外末社として稲荷神社もある。藤は神明社が遷座した際にすでにあったとされ「國領神社の千年藤」として調布八景に選定されている。


御朱印は社殿の左手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で中に入り御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。初穂料は500円で、オリジナル御朱印帳もあるようだ。

2019/04/04

ときわ台天祖神社

板橋区南常盤台にある神社。創建年代等は不詳で、いただいた由緒書によれば手がかりは神社の西北にあった古墳と伝承のみとなる。猫塚と狐塚と言われていた古墳は古くから人々が踏み込むことができない聖地だったとされる。


そこに何らかのきっかけで神々を祭る社がつくられたという説。また上板橋村の「原」という集落には神さまが現れた跡に「伊勢社」という社ができたという伝承があり、それは鎌倉時代、御深草天皇の頃と伝えられている。


江戸時代には川越街道の宿場町として栄え、村の鎮守として「神明宮」と称され、老杉老松の社が見えたという。寛政九年(1797年)に文人の大田南畝が訪れ、当時の様子を江戸の地誌に記している。


境内は東武東上線のときわ台駅南口から徒歩1分の場所にある。表参道の鳥居をくぐった右手には境内末社が並んでいる。手前から稲荷神社、北野神社、日枝神社、月読神社、伊勢神社という並びで奥には榛名神社もある。


参道を進むと一対の狛犬に出迎えられ、右手に手水舎、正面が拝殿となる。社殿の右手は参集殿と神輿庫があり、拝殿とつながっている神楽殿が左手に見える。社務所・授与所は参道左手にあるが今回は閉まっていた。


御朱印は授与所が開いている場合はそこで拝受できるが、閉まっている場合には神楽殿脇の入口を入って申し出ると対応していただける。由緒書や大田南畝に関する資料などもいただき、大変勉強になった。


2019/03/12

轡神社

板橋区仲町にある神社。創建年代は不詳ながら、境内に掲示していた由緒書によれば、名称の由来はこの地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからとも言われ、かつては轡権現社と呼ばれた。


江戸時代から百日咳に霊験がある神社として知られ、遠方から参拝に来る信者で賑わったという。信者は病気の治癒を祈るとともに、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻をいただいて帰り、全快すると新しい馬わらじと麻を奉納していた。


境内は東武東上線の中板橋から徒歩7分の場所にあり、社前の道路は俗に鎌倉街道と呼ばれた古道らしい。住宅街の中にあって歩道のない道を進むと鳥居が見える。鳥居をくぐってすぐ左手が手水舎で正面が拝殿。その手前には一対の狛犬が見える。


御朱印は境内右手にある社務所で拝受できる。書き置きのみの対応だが、丁寧に日付を記入していただき初穂料として300円を納めた。境内は決して広くはないがそこだけ安心できる空間が広がっていた。


2019/02/18

駒留八幡神社

世田谷区上馬にある神社。徳治三年(1308年)に当地の領主北条左近太郎入道成願が八幡宮を勧請。世田谷区の資料によれば手綱を緩めて馬の止まった所に経筒を埋めて塚を築き、その上に本殿を造営して駒留八幡として祀ったとされる。


永禄年間(1558~1570年)に世田谷城主・吉良頼康の側室だった常盤が不義の疑いをかけられ、子どもを身籠もったまま自害。後に無実だったとわかり死産した男児を若宮八幡として祀り、常盤は弁財天として祀られた。これを常盤姫伝説という。


境内は環状七号線と世田谷通りが交差する地点から少し奥に入った場所にある。一之鳥居をくぐり参道を進んで石段を少し上がると二ノ鳥居、その先左手に手水舎、正面が拝殿という配置で、右手には神楽殿も確認できる。


また、社殿左奥には多くの境内社が鎮座。常盤を祀った厳島神社、戦没者慰霊殿、駒留稲荷神社、女塚社、御嶽社と菅原社・榛名社・三峯社がある。厳島神社は常盤姫伝説を知っていると気になるが戦前まであった池は埋め立てられたらしい。


なお御朱印は社殿右手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を預けて書き上がるのを待つ形式で初穂料は300円。とても丁寧に対応していただきありがたかった。


2019/02/14

装束稲荷神社

北区王子にある神社で、王子稲荷神社の摂社。大晦日になると関東一円の狐がこの神社の榎に集まり装束を整え、近くの王子稲荷神社へ初詣をしたという伝説があり、歌川広重の浮世絵にも描かれている。


境内掲示には「昭和20年4月13日の大空襲の際猛烈な勢いで東南より延焼して来た火災をここで完全に食い止めて西北一帯の住民を火難から救った」とあり、火防の神としての信仰も厚い。


JR王子駅から徒歩3分程度の場所にあり、社殿の他に装束榎の碑も確認できる。関東三大稲荷の一つとする説もあるが、王子稲荷神社が源頼義より「関東稲荷総司」の称号をいただき、当社が王子稲荷神社の摂社であることから考えると王子稲荷神社の誤りでは?と考える。(あくまで個人的な推察)


通常は社務所は閉まっており無人だが、初午祭と二の午祭には火防凧やお守りなどの授与や書き置きの御朱印をいただくことができる。なお、御朱印は4種類くらいの書体のものが用意され、選ぶことができる。


2019/02/10

江島杉山神社

墨田区千歳にある神社で、鍼灸師杉山検校が徳川綱吉公の難病を治療・回復させた功により、元禄六年(1693年)本所一ツ目に領地を与えられ、屋敷内に江ノ島弁財天を勧請したのが始まりとされる。


その翌年には荘厳な社殿が建立され、「本所一ツ目弁天社」として江戸庶民の信仰を集めたと言われる。明治四年に総録屋敷が没収されるが弁財天社は残され、社名を江島神社と改称する。


明治二十三年には杉山和一霊牌所即明庵が再興し、境内に杉山神社を創祀するが震災戦災により江島神社と杉山神社の社殿が焼失。その後、昭和二十七年に合祀し現在の江島杉山神社となる。


境内はJR両国駅から徒歩7分の場所にある。参道は南と西にあるが西側が表参道と思われる。鳥居をくぐって真っ直ぐに進むと拝殿が正面に見える。南側の参道と交差するあたりに二ノ鳥居、右手に手水舎がある。


手水舎の裏側には銭洗いや南側参道方面には太鼓橋がかかる弁天池、弁財天の石像なども確認できる。弁天池にある「いわやみちの碑」の奥には江の島岩屋を模した岩窟があって中に入ることができる。


中に入ると杉山和一検校の石像、宗像三女神の像、宇賀神の石像が並ぶ。また岩屋の左手には境内社として杉多稲荷神社も鎮座。想像していたよりも見どころが多く興味が尽きない。社務所の建物が杉山和一資料館にもなっている。


御朱印は社務所窓口で拝受できる。御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、初穂料は300円。今回はいただかなかったがオリジナル御朱印帳もあるようだ。大変丁寧に対応いただいた。


2019/02/04

簸川神社

文京区千石にある神社で、配布の資料によれば創立は第五代孝昭天皇御宇三年と伝えられ八幡太郎源義家が参籠した名社とある。御祭神は主祭神を素盞鳴命として稲田姫命、大己貴命の三柱で福徳円満、商売繁盛、縁結び、文芸の神として信仰が厚い。


当初は小石川植物園のある御殿坂辺にあった貝塚の古墳上にあったが、その後何度かの遷座を経て、元禄十二年に景勝地と言われた現在地に遷座した。社殿は戦災で焼失したが、1958年に再建。


社号は長年氷川神社を使用していたが、大正時代に疑問を持った神主毛利十世昌教が学者に研究を依頼した結果、簸川の文字が適合ということになり簸川神社に改めたらしい。


境内は都営線千石駅と東京メトロ茗荷谷駅との中間くらいに位置し、小石川植物園の裏手に入ると高台に鳥居が見える。鳥居をくぐって参道を少し進んだ左手に手水舎があり、少し回り込む感じに拝殿が建つ。


境内社は手水舎の右手前に五社神社、右手に白宝稲荷神社と水神社が鎮座。その左奥が社務所になる。境内には現代風の神楽殿があり、空きスペースは駐車場として利用されている。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印を渡して書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円で由緒などが記された資料もいただいた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。