2018/10/04

根津神社

文京区根津にある神社で景行天皇の御代日本武尊が駒込の地に創祀し、文明年間(1469~1487年)に太田道灌が社殿を奉建したとされる。御祭神は須佐之男命・大山咋命・誉田別命で東京十社の一つに数えられる。


主祭神の須佐之男命は災厄除け・厄祓いのご利益が期待できるが、相殿神として大国主命・菅原道真公が祀られているため縁結び・商売繁盛、学問・合格祈願にもご利益があるとされる。


東京メトロ千代田線の千駄木または根津駅からも、南北線の東大前駅からも徒歩で約5分程度の距離に境内がある。不忍通り沿いを歩き根津神社入口の交差点が見えたら道を置くに入れば表参道につながる。


鳥居をくぐり参道を進んでいくと神橋があり、その先に楼門、右手に舞殿を見ながら唐門に至る。門をくぐると正面に社殿が確認できる。社務所は客殿として舞殿の右奥にあるが透塀の中に授与所がある。


現在の社殿は宝永三年(1706年)五代将軍徳川綱吉が造影したもので、社殿の他に唐門、透塀、楼門等すべてが戦災から逃れて現存。国の重要文化財に指定されていて外国人観光客も数多く訪れる。


楼門の手前を左側に上っていくと境内社の乙女稲荷神社につながる千本鳥居が連なり、さらにその先に進むと駒込稲荷も鎮座する。途中には庚申塔や力石、賽の大神碑もあり見どころが多い。


春には100種3000株が咲き誇るつつじ苑で文京つつじまつりが開催され、7000坪ある境内が人で埋め尽くされるほど賑わう。平常日に訪れるのは今回が初めてだったためゆっくり散歩ができて大変良かった。


なお御朱印は授与所で拝受できる。御朱印帳を窓口で渡して書き上がるのを待つ形式で、オリジナルの御朱印帳もあるようだ。授与所の入口に御朱印の案内表示があるのでわかりやすい。


2018/10/03

品川貴船神社

品川区西品川にある神社。和銅二年(709年)藤原伊勢人の勧請により創建。古くから貴布裲大明神と称し水神として崇められていたが、享和三年(1803年)に貴船神社と改められた。


御祭神は高龗大神と素盞嗚尊で、社殿は昭和二十年(1945年)に戦災により焼失したが、昭和四十二年に西品川氏子六地區の崇敬奉賛の熱意により再建された。荏原神社の旧鎮座地に鎮座しており、同社の元宮と言われている。


今回は自転車にてお詣りをしたが、徒歩の場合はJR大崎駅が最寄り駅となる。住宅街の中にあって少しわかりにくいが南側の表参道以外からも境内に入ることができる。区立の西品川保育園が見えたらその先に鳥居が見える。


鳥居の脇には大きな布袋像が置かれていて、そのまま参道を進むと二ノ鳥居。その先の左手に手水舎がある。手前の左手には神楽殿があって正面が拝殿となる。また社殿の左側には境内社として満潮宮・三ッ木稲荷神社・大山祇社の合祀殿が鎮座する。


さらに境内には居木橋村と品川宿枝郷三ツ木との境にあった「文政11年銘道標」がある。これは居木村代々の名主であった松原氏が造立したもので品川区指定史跡となっている。


なお御朱印は社務所で拝受できる。書き置きのみでインターホンで呼び出し御朱印帳を渡すと貼り付けしていただけるが、貼付けをせずに袋に入れて受けることも可能。初穂料は300円だった。


2018/10/01

吹上稲荷神社

文京区大塚にある神社で創建は元和八年(1622年)、徳川秀忠公が日光山より御神体を奉持し江戸城吹上御殿内に勧請。後に松平大学頭が徳川家より拝領し宝暦年間前に武蔵国北豊島郡大塚村の総鎮守として遷座した。


その後も護国寺や旧大塚村周辺で遷座を繰り返し、明治四十五年に現在の場所に遷座したのは市内電車開通に伴う道路の拡幅によるためとされる。大祭は9月22日の前後の土・日曜日に催され今でも賑わいを見せる。


護国寺駅から不忍通りを上野方面に進み、春日通りと交差する手前の道を左に入ったところに鳥居が見える。鳥居をくぐると参道が少し高台になっている場所まで続き、二ノ鳥居をくぐった先の左手に手水舎がある。


2体の狐像に挟まれた参道正面が拝殿となっていて、右手には社務所という配置で境内は小規模ながらも木々に囲まれているせいか、神社独特の静寂さが感じられる。護国寺の裏手にある住宅地内ということも影響していると思われる。


なお御朱印は社務所で拝受できる。この日は書き手不在ということで書き置きのものをいただいた。通常はインターホンで呼び出して御朱印帳を渡し、書き上がるのを待つ形式となる。


2018/09/28

赤坂氷川神社

港区赤坂にある神社で天暦五年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られたのが始まりで、その100年後の治歴二年、関東に大旱魃が発生した際に降雨を祈願するとその験があったとされる。


江戸時代には幕府からの尊信が篤く徳川吉宗公が享保元年(1716年)に将軍職を継ぐ際、享保十四年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じて現在地に社殿を建立し、翌年に遷座された。


東京メトロ千代田線の赤坂駅から8分ほどの場所に境内がある。参道は長く高台にあるのでいくつもの鳥居をくぐり石段を上っていくと拝殿が見える。境内は広く複数の境内社の他に小さな橋などもあり庭園のようになっている。


大きな銀杏の木が見えるが樹齢400年で港区の天然記念物に指定されている。神社が遷座された享保十五年にはすでに樹齢100年を越えていたとされるので驚きの生命力と言えるだろう。


参道を進んで楼門が見えた辺りの左手に手水舎があり、そのまま真っ直ぐに歩くと個性的な狛犬に出迎えられながら正面が拝殿となる。その他、参集殿や神輿庫、社務所が確認できる。


境内社が数多くすべてを把握しきれなかったが、今回一緒に御朱印をいただいた四合稲荷(しあわせいなり)神社が最も大きい。古呂故稲荷・地主稲荷・本氷川稲荷・玉川稲荷の四つの稲荷が合祀され勝海舟翁が“四社を合祀”“幸福のしあわせ”“志を合わせる”をかけ名付けたとされる。


その他にも火災除の御利益があると言われる西行稲荷社や天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社を合祀した九神社なども鎮座する。


御朱印は赤坂氷川神社と四合稲荷神社のものを社殿右手にある社務所で拝受できる。御朱印帳を渡して番号札を受け取り、書き上がるのを待つ形式で初穂料はそれぞれ300円だった。


2018/09/19

亀戸香取神社

江東区亀戸にある神社で、公式ページによれば創建は天智天皇四年(665年)、藤原鎌足公が東国下向の際に亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請して太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰いだのが始まりとされる。


平将門が乱を起こした際、追討使俵藤太秀郷が当神社で戦勝を祈願。乱をめでたく平定した後、弓矢を奉納し勝矢と命名したとされる。「スポーツ振興の神」として名が知られているのはそうした由来があるためだ。


JR亀戸駅から明治通り沿いに北上するとやがて左手に鳥居が見えてくるが、参道は蔵前橋通りとの交差点を左に折れて少し進んだところから続いている。参道沿いには商店が立ち並んでいて(勝運商店街)独特の雰囲気がある。


参道を真っ直ぐに進むと境内に入る手前に黒い鳥居があり、そこをくぐると左手に亀戸大根之碑と手水舎がある。江戸から明治にかけて亀戸では大根づくりが盛んだったらしく「亀戸大根」の名で知られる。


参道を進んだ正面が拝殿となるが、右手前には神楽殿、その先には数多くの末社が鎮座する。熊野神社・三峯神社・水神社の合祀殿、福神社、稲足神社、天祖神社と並んでいるので順番にお参りができる。


また拝殿手前の右手には大黒様と恵比寿様の像があり、柄杓で水を掛けて自分の痛いところを洗い清めるとよいと言われる。またさらに右奥には亀戸の地名に由来とされる復元された「亀が井戸」もある。


さらに拝殿手前の左手には「勝石」が置かれている。説明書きに“勝石に触れて勝運と幸運を授かりましょう”とあったので、賽銭を入れて触れてきた。鎮座1350年記念として2016年に置かれたものらしい。


なお御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を預け、番号札を受け取って書き上がるのを待つ形式。御朱印の他にも勝守りや勝運袋などもここでいただくことができる。


2018/09/18

腰掛稲荷神社

文京区目白台にある神社。いただいた由緒書によればこの辺りはかつて武州豊島郡清土と称し見晴らしの良い場所だったが、三代将軍徳川家光公が鷹狩の際に休息し、切株に腰を掛けて「絶景なり」と風景を賞でられたという。


この後、不敬のないように切株に竹矢来を廻らせて稲荷の祠を建て崇敬した。その後、切株は朽ち果てて跡形もなくなったため里人が集まって社殿を建立し、腰掛懸稲荷と称して崇敬したとされる。


境内は東京メトロ護国寺駅から不忍通りを目白方面に進み、左手の高台になっているところを上ったところにある。鳥居、手水舎、社殿というシンプルな造りだが裏手が駐車場となっている。


鳥居の脇に小さな庚申塔があり、幟旗が立ち並んでいるため小規模ながらよい雰囲気に包まれる。また宮司様に促され本殿の裏手に行くと特別天然記念物に指定されている「菊花石」があり鑑賞できる。


なお御朱印は社殿左手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。大変丁寧に対応していただいた。


2018/09/16

三囲神社

墨田区向島にある神社。創建年代の詳細は不明だが弘法大師が創建したと伝えられておりれ、文和年間(1353~1355年)に近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際に社殿を再興した。


その際、翁の神像が収めらている壺が出土し白狐が三度回っていなくなったという。三囲神社は“みめぐりじんじゃ”と読むが、その名称はそうした言い伝えを起源としている。


また「三囲」という漢字は井を四角で囲っているため、三越の創業者である三井家を守るとして崇敬を集め、享保年間(1716~1735年)に三井家が守護社とした。さらに俳人の宝井其角が雨乞いの句を詠んだことで、江戸市民に知られるようになった。


東武スカイツリー駅から隅田川方面に向かうと牛嶋神社があるが、そこから首都高向島線沿いに少し北上したところに境内がある。正月には隅田川七福神巡りの起点となる神社で非常に混雑する。


参道を一の鳥居、二ノ鳥居と進んで正面が社殿。その間に狛犬や狐像が迎えるかたちになるが、手水舎は参道を少し左に入った場所にある。その隣が恵比寿・大国神(月読社)で元々は越後屋で祀られていたものらしい。


その他にも多数の境内社があって興味深い石碑なども見受けられ三井家先祖をまつる顕名霊社や三角石鳥居もある。この三角石鳥居は京都・太秦の木嶋神社内にあるものを模したものと説明書きにあった。


赤い奉納鳥居や老翁老嫗像、白狐祠や稲荷社が社殿を囲むようにして鎮座し、社殿は墨田区の登録有形文化財となっている。そして忘れてならないのが参道左手にあるライオン像で実際に池袋三越に設置されていたものだという。


御朱印は社殿右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。大変丁寧に対応いただき、すぐに開けるようにと栞をいただいたのがうれしかった。