2019/07/18

白金氷川神社

港区白金にある神社で創建は白鳳年間(673~685年)と伝えられている。東京都神社庁のサイトによれば日本武尊御遠征の時、素盞嗚尊を勧請した武蔵の国一の宮氷川神社の遙拝所として当所に御鎮座されたとある。


明和九年に起きた「明和の大火」の大火により社殿が焼失。その後、嘉永五年に再建されるも昭和二十年の東京大空襲で再び焼失。現在の社殿は昭和三十三年に再建されたもので、平成十二年には北里通り沿いに大鳥居が造られた。


境内は白金高輪駅から徒歩3~4分ほどの場所にあり、鳥居をくぐると石段を上った先に社殿が確認できる。石段を上りきったところで味のある狛犬が出迎えてくれる。左手には手水舎、正面が拝殿となる。


社殿の左奥には境内社の建武神社が鎮座。後醍醐天皇・護良親王・楠正成などの203柱の南朝の忠臣が祀られている。昭和十一年に建武義会が上大崎に創建した建武神社を遷座したものと言われる。また社殿の右手には稲荷神社も鎮座する。


御朱印は境内右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で授与所窓口から御朱印帳を渡し書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円で宮司様に大変丁寧に対応いただいた。


2019/07/07

浅草富士浅間神社

台東区浅草にある神社。由緒書によれば詳しい創建年月日は不明ながら本殿より発見された棟礼によると元禄年間(1688~1703年)と推察されるとある。江戸時代は神仏習合の時代だったため、富士権現として浅草寺子院の修善寺が管理していた。


明治維新の神仏分離令により修善寺の管轄を離れ、明治六年から浅草神社の兼務社として現在に至る。東京大空襲で土蔵造りの本殿を残し全焼。現在の社殿は平成十年に浅草神社奉賛会により再建された。


境内は浅草寺から北上し住宅街を通って富士公園を抜けたところにある。鳥居をくぐると左手に手水舎があり正面が社殿。その右手に社務所があり、通常は閉まっているが7月1日~7日の夏詣の期間はそこで御朱印をいただける。


なお鳥居の右手には富士塚があり登山口から上ることができ山頂部には祠もある。例祭日は富士山山開きの日の7月1日。賽銭は社殿の賽銭箱へという案内があった。本日は限定御朱印をいただける日曜日とあって境内は賑わっていた。


なお御朱印は通常の御朱印と夏詣限定御朱印の2種類があり、どちらも初穂料は500円。窓口で御朱印帳を渡して番号札を受取り書き上がるのを待つ形式。限定御朱印は書置きに見えるが、台紙を貼っていただき割印が押される。


2019/06/17

南沢氷川神社

東久留米市南沢にある神社で創建年代は不詳。公式ページによると古来から湧水守護神として奉斎され、出雲「斐伊川」の故事にならい創立されたと伝えられ、在原業平の古伝に当社に立ち寄る旨が記されているという。


また社宝である上棟礼には承応三年(1654年)二月十五日、徳川家重臣の久世大和守、地頭神谷与七郎、蜂屋半之丞の助力を得て南沢村、田無村、入間村、下新井村の総氏子中によって再建されたと記されている。


境内は東久留米市の中央部にある南沢緑地保全地域の湧水地にある。近くには落合川が流れ、付近の遊歩道を歩くと傾斜地の林の中にいくるもの湧水が確認できる。今回は自転車だったが最寄り駅の東久留米駅からは15分ほど歩くと思われる。


鳥居をくぐると社殿まで真っ直ぐ参道を進むが高台に位置するため途中石段を上る。一対の狛犬があり左手には手水舎、正面が拝殿となる。社殿の左奥には境内社の大神宮社、八雲神社、右奥には稲荷社が2社鎮座する。


鳥居をくぐらずに左に少し進むと南沢緑地の遊歩道があり、クヌギやコナラの林の中に湧水から流れ出す様子を確認できる。規模は大きくはないが、暑い季節にも湧水の効果でひんやり感が味わえて気持ちが良い。


なお、御朱印は社殿右手にある授与所でいただける。窓口から御朱印帳を渡し、書き上がるのを待つ形式で初穂料は300円以上を納める。なおオリジナルの御朱印帳も頒布しているようだ。


2019/06/14

練馬春日神社

練馬区春日町にある神社で創建年代は不詳だが、鎌倉時代に工藤祐宗(工藤左衛門尉祐経の孫)が、自分の先祖である藤原氏の氏神である春日大社の御祭神を勧請して創建したと伝えられている。


室町時代には練馬城主の豊島泰経が一族の守護神として崇敬。江戸時代には十羅刹女社と呼ばれていたが、明治時代の神仏分離令により十羅刹女社は隣接する寿福寺へ遷された。なお春日町という地名は当社に由来する。


場所は豊島園を北に進んだところにあり、今回は自転車だったため豊島園通りを庭の湯を過ぎたあたりで左に入り道沿いを進んだところで鳥居が確認できた。電車の場合は練馬春日町駅の方が近いらしい。


鳥居をくぐり真っ直ぐな参道をしばらく進むと左手に手水舎があり、一対の狛犬に出迎えられた後に正面が拝殿となる。右手には神楽殿があり、社殿の左右奥には稲荷神社、三峯神社などの境内社がある。


御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。書置きのみで初穂料は300円だった。インターホン呼び出し形式だが不在のこともある。境内はとても静かな住宅街の中にあり、広めなので時々休憩に訪れる人もいるようだ。


2019/06/04

太田姫稲荷神社(一口稲荷神社)

千代田区神田駿河台にある神社。境内にある由緒書によれば承和六年(839年)はじめに小野篁が伯耆国(鳥取県)名和の港を出港して間もなく暴風雨に襲われた。篁が船の舳先に座り普門品(観音経)を唱えると太田姫命という白髪の老翁が現れ、自分を祀れば疱瘡の災いから免れるというお告げがあったとされる。


そのお告げを護り自ら翁の像を刻み、後に山城国(京都府)の南にある一口(いもあらい)の里に神社を祀った。その後、江戸の開祖で知られる太田道潅の娘が重い疱瘡にかかり、一口稲荷神社の噂を聞き平癒を祈願したところ全快したという。


そこで山城国より一口稲荷を勧請し城内本丸に一社建立したところ、この城の鬼門に守るべしとの神託があり、元禄元年(1457年)その通り鬼門に移して太田姫稲荷大明神と奉唱するようになった。


境内はJR御茶ノ水駅の聖橋方面出口から御茶の水仲通りの坂を下りていくと右手に鳥居が見えるのでわかりやすい。鳥居をくぐると左手に手水舎がありやや右手前方に拝殿がある。かつては聖橋南詰の東側にあったが御茶ノ水駅の総武線拡張により昭和6年に現在地に遷座した。


狛犬が一体だけ鳥居の下に確認できた。御朱印は拝殿の左手前に置かれている社号印を自分で押して、初穂料は賽銭箱に納める方式。スタンプ台も用意されているため、その場で拝受できる。


2019/05/31

諏訪神社(駒形)

台東区駒形にある神社。いただいた資料の由緒書によると創祀は定かではないが後冷泉天皇の御世であると言われる。また一説には承久の乱(1221年)の後、信濃国諏訪郡小日村に住んでいた神主が諏訪大社の御分霊を当地に奉斎したともされる。


境内は浅草の中心地からは少し離れ、江戸通りを蔵前方面に進むと右手にある。バンダイ本社ビルとホテル法華クラブ浅草の間に位置しビルの谷間に隠れて見過ごしてしまうことも。鳥居をくぐるとすぐ左手が手水舎で正面は社殿となる。


社殿の奥は社務所兼宮司様のご自宅の建物があり、右側は集会所としても使われているようだ。境内社とは言えないかもしれないが、鳥居の右手には稲荷社を感じさせる小さな祠も確認できる。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出しで玄関で御朱印帳を渡し書き上がるのを待つ形式。しばらく反応がなかったのでご不在かと思い帰りかけた瞬間に戸が開いた。


神社資料や台東区神社マップなども付けていただき大変丁寧な対応でありがたかった。御朱印の日付が令和元年六月三十一日となっているように見える。もしかすると大変貴重なものをいただいたのかもしれない。


2019/05/29

桐ヶ谷氷川神社

品川区西五反田にある神社。しながわ観光協会のサイトによれば創建年代は不詳ながら江戸時代初期の元禄年間にはすでにあったことが記録に残るとある。これは新編武蔵風土記のことで元禄年間社地免除の事が記されている。


かつての荏原郡桐ヶ谷村の鎮守で、御祭神は素盞嗚命。境内は不動前駅から徒歩3分ほどの高台にある。かつては本殿の崖下に江戸七瀑布の一つに数えられた「氷川の滝」があり、水量は減ってしまったが今もその面影が残る。


鳥居をくぐり参道を進むと石段があり、途中で一対の狛犬に出迎えられながらさらに上ると手水舎が見えてくる。そこから左手の前方に進むと昭和十三年に造られた社殿がある。檜材白木の權現造り銅板葺社殿だが戦災を免かれ現存している。


その他に境内には神楽殿や社務所の建物、境内社として忍田稲荷大明神が鎮座。立札の由緒書には明治四十一年九月、桐ケ谷村の八幡神社、諏訪神社、第六天神社の御祭神を氷川神社に合祀した際に袖ヶ崎神社の忍田稲荷大神を末社として勧請したとある。


なお御朱印は社務所で拝受できる。今回は宮司様ご不在とのことで書置き対応。インターホン呼び出し形式で初穂料は300円を収めた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。