2019/12/12

雪ヶ谷八幡神社

大田区東雪谷にある神社。いただいた資料によれば創建は永禄年中(1558~1569年)とされ、北条左京太夫氏康の臣太田新六郎管内巡視の際に当所に於いて法華経曼荼羅の古碑を発掘し、その奇瑞により八幡大菩薩を創祀すと伝えられる。


旧中原街道沿道随一の由緒深き神社として人々の崇敬を集め、雪ヶ谷の里の鎮護の神として450年のご神徳をもって現在に至る。御祭神は誉田別命で、近隣にある田園調布八幡神社、道々橋八幡神社、石川神社も兼務している。


今回は自転車での参拝だったが、電車では東急池上線の石川台駅が最寄りで徒歩2分。境内へは四方から入れるようになっているが、一之鳥居は長細い境内の端にある。鳥居をくぐると児童公園になっておりベンチで休憩もできる。


その先の石段を上った先が二之鳥居。さらに進むと右手に手水舎がありさらに石段を上ったところに三之鳥居。その鳥居をくぐった正面に拝殿がある。昭和二十年に戦災により社殿を焼失し、現在の社殿は昭和三十四年に造営されたもの。


社殿の左奥には摂社である斎霊殿や雪ヶ谷稲荷大明神、薬神社・稲荷神社・天神社・加藤神社などの末社が確認できる。また大田区指定文化財にもなっている庚申供養塔や力石などがありこの地域の中心的な神社であることがわかる。


なお御朱印は拝殿右手にある授与所で拝受できる。インターホン呼び出しで窓口で御朱印帳を渡して待つ形式。この日は書き上がるまでに時間を要すということで社務所の建物の中まで案内されお茶までいただいた。とても丁寧な対応でありがたかった。


2019/12/05

羽田神社

大田区本羽田にある神社。公式ページによると創建は約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎を祀ったことが始まりとされ、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰されたという。


江戸時代には、旧羽田村・旧羽田猟師町の鎮守として知られ、明治の神仏分離令により八雲神社として独立したが、明治40年に羽田神社と改称している。またその由来から今も羽田神社を「てんのうさん」と呼ぶ人もいる。


また羽田の氏神様として航空会社各社からも崇敬され、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣があるらしい。現在の氏子地域は羽田1丁目~羽田6丁目と羽田1丁目~本羽田3丁目、大田区羽田旭町、大田区羽田空港1丁目~羽田空港3丁目となっている。


境内は京急線の大鳥居駅を出て、7分ほど産業道路を南に進むと大きな橋手前の右手に鳥居が見えるのでわかる。一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居があり、その先左手に手水舎、正面が拝殿となる。


社殿の右手には羽田稲荷神社、日枝神社、増田稲荷神社、鈴納稲荷神社といった境内社が並び、社殿の左手奥には羽田富士がある。修復しているのか工事をしていて様子がわかりにくかったが富士塚を確認できた。


後から気がついたのだが、「開運福笹 境内末社巡り」というのがあり短冊に各社の御朱印(スタンプ)を受けられるらしい。なお本社の御朱印は拝殿左手にある社務所で拝受できる。


御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、羽田富士塚の御朱印もいっしょにいただいた。初穂料はそれぞれ500円で、御朱印を受ける際にいっしょに参拝記念のしおりもいただけた。


2019/12/01

須賀神社(浅草橋)

台東区浅草橋にある神社。東京神社庁のページに由緒に関する説明があり、當社牛頭天王縁起によれば、創建は推古天皇九年(600年)とある。江戸時代には牛頭天王社、祇園社、蔵前天王社、団子天王社と呼ばれていたが明治元年、須賀神社と改称した。


御祭神は素盞鳴尊で家運隆昌、疫病退散、目的完遂などにご利益があるとされる。関東大震災で被災し、東京大空襲によって社殿が焼失したが昭和36年(1961年)に現在の鉄筋コンクリート造社殿が再建された。


境内は浅草橋駅から江戸通りを北に進むと徒歩3分くらいで左手に鳥居が見えるのですぐにわかる。鳥居をくぐってすぐ左手に手水舎があり、正面が拝殿。社殿の右奥に社務所、左側に神楽殿が確認できる。


御朱印は社務所で拝受できる。窓口が閉まっている場合はインターホン呼び出しなるらしいが、この日は宮司様がいてすぐに対応いただけた。御朱印や各地の神社について、結構長い間お話ができて大変ありがたかった。



2019/11/07

成増菅原神社

板橋区成増にある神社で創建年代は不詳。板橋区教育委員会による案内板によれば(平成三年)新編武蔵風土記には「山王社」、延宝七年(1680年)の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治二年の「社寺取調下案」に「天神社」とある。


江戸時代には青蓮寺が別当となっていたが、旧成増村の鎮守として明治七年四月に旧社格「村社」が与えられた。菅原神社とあるように御祭神は菅原道真公で、明治十七年八月に本殿が再建され大正年間には拝殿が新築されている。



境内は東武東上線の成増駅から住宅街を北に進むと天神下公園があり、そこから参道につながる石段が見えるのでわかる。石段を上りきって一の鳥居、さらに参道を進むと右手に社務所があり、道路を挟んだ先に二の鳥居が見える。


鳥居の右手に手水舎があり、正面が拝殿。右手奥には立派な神楽殿も構える。また鳥居手前の左手には境内社の稲荷社、日枝社、愛宕社がある。それほど面積は大きくはないのだが高台にあるためか広々と感じる。


御朱印は書置きのみで、社務所の窓口で拝受できる。人が不在の際はインターホンで呼び出すと神職さんに対応していただける。書置きの御朱印を納めるためのケースを取り出したら、それを見て気に入られたようで少しお話ができた。


2019/11/01

深澤神社

世田谷区深沢にある神社。永禄七年(1564年)伊豆の三島神社の分社として斎祀された。以前は三島神社と呼ばれていたが、東京神社庁のページでは明治七年村社となり、大正四年社殿改築時に現在の社名に改称とあるが公式ページの説明と異なる。


明治四十二年(1909年)6月に深沢村の各地域に奉祀されていた神明神社・稲荷神社・山際神社・八幡神社と、御嶽神社・天祖神社・稲荷神社・三島神社の八社を三島神社に合祀して深澤神社に改称されたと公式ページにある。


場所は駒沢オリンピック公園から南西方向にあるが、駒沢大学駅か等々力駅からバスで深沢坂上まで行き、そこから徒歩3分。今回は自転車だったため不便を感じなかったが、徒歩のみだと大変かもしれない。


住宅街の中にある三島公園に隣接したところに境内があり鳥居が見えるのですぐにわかる。石段を上ると右手に手水舎があり正面の拝殿がすぐに確認できる。また拝殿右手には境内社の弁天社、さらに階段を下ると朱色の橋がかかった弁天池がある。


かつては湧き水からできた三島池があったそうだが、埋め立てられそこに繋がる呑川も埋め立てられてしまったらしい。現在は三島公園と緑道に変わっている。ただ公園と神社の間を工事していたので今後また様変わりの可能性もある。


御朱印は拝殿左手にある社務所で拝受できる。授与所窓口があるが人が不在の場合はインターホン呼び出し方式で御朱印帳を預けて書き上がるのを待つ。宮司様にはとても丁寧に対応していただいた。


2019/10/30

駒込天祖神社

文京区本駒込にある神社で創建は文治五年(1189年)。本郷區史には“創建の年月詳ならず”とあるが、源頼朝が奥州藤原泰衡追討の途中に立ち寄り、夢のお告げで松の枝に大麻がかかっているのを見つけた。征討のよい前触れと喜び神明宮を建立したというのが有力。


公式ページには“源頼朝公が、奥州藤原泰衝追討の途中このあたりに寄った折、霊夢にて松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻が見つかった。それで頼朝公は、神明を祀った”とある。


江戸時代には駒込神明宮と称され駒込の総鎮守として信仰を集めた。その後、明治五年には村社に列格。昭和二十年二月戦災により焼失するも戦後には参道敷石の整備や大鳥居の建設が行われ再建された。


境内はJR駒込駅から徒歩15分の場所にあり、鳥居から社殿まで真っ直ぐな参道が続いているのが見える。参道の途中、左手には亀石(健康・長寿)や境内社の鎮火稲荷神社と合祀三社殿(榊神社、須賀神社、戸隠熱田神社)がある。


存在感のある一対の狛犬の右手に手水舎があり、正面が神明造りの社殿となる。社殿の左手には神楽殿と授与所・社務所という配置。御神木だけの影響ではないと思うが神社独特の静寂と清々しい空気を感じることができる。


なお御朱印は授与所で拝受できるが、今回は御朱印帳(駒込天祖神社、駒込富士神社の御朱印込で初穂料2,500円)もいただいた。


通常は御朱印は1社500円の初穂料でいただくことができる。山開きの際や年末年始、節分の日以外は駒込富士神社の御朱印もこちらで拝受できる。


2019/10/28

玉姫稲荷神社

台東区清川にある神社。東京神社庁の公式ページよれば社伝に創建は天平宝宇四庚(760年)とあったとされる。また享保年間に出版された『江戸砂子』に王子稲荷神社と縁が深いと記されているという。


社名の由来は新田義貞が鎌倉の北条高時弘法大師の直筆とされる稲荷の像を瑠璃の宝塔に収めて奉納したため「御玉ひめの稲荷」と呼ばれるようになったらしい。



境内は東京メトロの南千住駅から徒歩15分くらいの場所にある。漫画「あしたのジョー」で有名になった泪橋(現在は交差点があるのみで橋はない)を過ぎて、以前は「山谷」と呼ばれていたところだ。


鳥居をくぐって参道を進むと一対の狛犬の先の左手に手水舎があり、そのすぐ正面が拝殿となる。参道の両側は駐車場として利用されているが、途中の右手には神輿庫と境内社の口入稲荷神社も確認できる。


口入稲荷の社殿横に授与所があるが、閉まっていて用事がある場合は社務所へという案内があった。御朱印は社務所のインターホンを押して宮司様に御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円だった。


御朱印を拝受した際に、宮司様から弁財天を見学するかどうか聞かれたためお願いした。まずは口入稲荷神社の天井絵を拝見し、その後に拝殿の中に案内された。左奥に400年前に造られて6年前にこちらに移されたという弁財天がある。


宮司様の話によると浅草の七福神は9つあるが、これを入れると実は10になるという。思いがけず貴重なものを見せていただき、大変ありがたかった。この辺りは4月と11月に靴に関連する市が開かれるようなのでまた訪れてみたい。

2019/09/29

胡録神社(第六天)

荒川区南千住にある神社。公式ページによれば永禄四年八月川中島合戦の敗れた上杉の家臣高田嘉左衛門が難を逃れてこの地(汐入)に落ちのび、高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し守護神として面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたのが始まりとされる。


古くは大六天と称していたが明治の神仏分離令の際に当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、社号を胡録神社と改称。神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものとある。


境内は南千住駅から徒歩15分ほどの都立汐入公園近くにある。高層住宅街の中に鳥居があり、一の鳥居をくぐって参道を進むと左手に手水舎があり、石段を少し上って二の鳥居の先に拝殿が見える。狛犬は二対あってどちらも迫力がある。


奥に進むと本殿があり、その右手には神楽殿も確認できる。境内社として刀塚社と道祖神の二社があるが、一の鳥居をくぐってすぐ左手にあるので、最初に参道を本殿の方に進むと戻るかたちになる。


御朱印は拝殿左手にある社務所でいただくことができるが、この日は宮司様不在のため書置きのものを受けた。小さな賽銭箱に初穂料として500円を納め、引き出し上の入れ物の中にある御朱印を取り出す形式となっている。


毎月1日にカラフルな特別御朱印をいただけるが、通常御朱印も金粉が混ぜられた墨で書かれていて文字の部分がキラキラと光っている。なお社務所ではお守りなどの頒布は現在行っていないという掲示があった。


2019/09/26

碑文谷八幡宮

目黒区碑文谷にある神社。東京都神社庁の公式ホームページによると創建は不詳ながら、鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えていた畠山重忠の守護神を、二俣川にて北条義時の軍に討たれた後、その臣榛沢六郎が交付し宮野佐近がこれを奉祀したといわれている。


サレジオ通りから公園通りに抜けるところに立会川緑道があるが、鳥居があってそこから参道となっている。緑道沿いに桜の木が神社まで並んでいて、春になると桜の名所にもなるようだ。


長い参道をまっすぐに進むと石段を上った先に社殿が見えてくるのだが、二の鳥居の右手に社務所への入り口が見える。実はここに参拝するのは二回目。以前は例大祭の後か先か忘れたが、大勢の人が忙しく作業をしていて御朱印をお願いするのは控えた。


最初の石段を上ると三之鳥居があり、その先の左側に手水舎。さらにその先にある石段を上ると社殿が確認できる。延宝二年(1674年)に造られたものを何度かの増改築を経て現在に至る。太平洋戦争の戦火を免れ現存しているのは素晴らしい。


社殿の右手には境内社として稲荷社が鎮座。その左側には碑文谷の地名の起源ととも言われている碑文石が保存されており、ガラス越しに確認できる。説明書きによると碑文を彫った石のある里(谷)という意味で碑文谷となったとある。


なお、御朱印は社務所の門をくぐった先の授与所でいただくことができる。窓口が閉まっている場合はインターホンで呼び出して御朱印帳を渡し、書き上がるのを待つ。忙しい時期は書き置き対応になるようだ。