2019/05/24

青渭神社

調布市深大寺元町にある神社。いただいた由緒書によれば創建年月は不詳ながら、往古(三千年~四千年以前)先住民が水を求め移住した際に、その生活に欠くことのできない水を尊び祠を建て、水神様を祀ったものと伝えられる。


御祭神は水波能売大神・青沼押比売命、また一説には社前大池に棲む大蛇を祀ったとも言われる。往古は社前におよそ五町歩余の境内池があり湧き水により青波をたたえていたため、青波天神社とも称された。



旧深大寺町の総鎮守・総氏神で、周辺が武蔵野文化発祥の地と言われており湧き水は生活と密接な関係があった。青渭は水の意味があることから水神様を祀ったというのは間違いないとされている。


境内は神代植物公園に隣接しており、境目の道を入っていくと深大寺につながる。深大寺川は蕎麦屋も立ち並び多くの観光客で賑わっているが、青渭神社まではそれほど多くの人は訪れないようだ。


鳥居をくぐって石段を上っていくと左手に手水舎があり、一対の狛犬に出迎えられる。正面が拝殿となる。鳥居の左手に樹齢600~700年とされる御神木がそびえ立つ。公式ページの説明によれば幹囲いは凡そ5.5メートル・高さ34メートルだそうだ。


なお御朱印は社殿右手にある授与所で拝受できる。書置きのみで初穂料は300円。こちらの御朱印帳は無いが、深大寺の鬼太郎茶屋に、ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクターがデザインされた御朱印帳を発見した。


2019/05/10

矢口氷川神社

大田区矢口にある神社。創建年代は不詳だが新編武蔵風土記稿に「村の東によりてあり。宮作にて三尺四方の社り。前に鳥居をたつ。鎮座の年代詳ならず」と記載があり、古くから矢口村の鎮守として崇敬を集めていたことがわかる。


御祭神は素盞嗚尊で大田区では唯一の氷川神社となる。別当寺は本務社の新田神社と同じ真福寺で、昭和二十年の空襲で社殿は焼失したが、昭和三十三年に社殿が再建され、神輿と山車もこの時に造られた。


新田神社から歩いて2分ほどの場所にあり、境内の半分は児童公園として利用されている。鳥居からまっすぐに参道があり一対の狛犬の先に社殿がある。また多摩川七福神巡りの大黒天も担っており正月は参拝者で賑わうことが予想される。


社殿の右手には境内社の三社稲荷が鎮座。三社稲荷崇敬会の石碑によると昭和四十七年に遷座されたものらしい。無人のため氷川神社の社殿と稲荷社は閉門しているが、柵の間から賽銭を納めて参拝は可能。


御朱印は本務社である新田神社の社務所で拝受できる。初穂料は書置き300円、記入500円で今回は新元号記念御朱印を書置きでいただいた。


新田神社

大田区矢口にある神社で新田義貞の次男新田義興を御祭神とする。東京神社庁サイトによると、正平十三年に謀略により、多摩川の「矢口の渡」で壮烈なる最後を遂げた義興公の怨霊が現れたり、夜々「光り物」が矢口付近に現れて往来の人々を悩ませた。


そこで義興公の御霊(みたま)を鎮める為に、義興公の墳墓の前に社殿が建てられ『新田大明神』として崇めたという。やがて義興公は村人や旅人の「運を開き守り、幸せを導く霊験あらたかな神様」として広く崇敬されるようになった。


また江戸時代に平賀源内が御塚後部にあった篠竹で厄除招福・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作ったとされ、破魔矢発祥の地としても知られている。

境内は等級多摩川線「武蔵新田駅」から商店街を歩いて5分ほどの場所にある。鳥居をくぐると最初に目に入るのは樹齢700年と言われる御神木。触ると「健康長寿」「病気平癒」「若返り」のご利益があると伝えられている。


参道を進むと右手に手水舎があり、一対の狛犬に出迎えられた後に正面に拝殿が確認できる。なお社殿は昭和三十五年に明治神宮で仮社殿として建てられたものを下付して再建されたもので立派な建物だとすぐにわかる。


境内社として拝殿の右手に稲荷神社がある。圧倒的な存在感を放つ御神木は江戸時代には雷、戦時中は空襲にも遭ったらしいが現在も青々とした葉を付けるためパワースポットになっている。


なお御朱印は社務所で拝受できる。初穂料は書置き300円、記入500円。14時以降は書置きのみの対応になると案内があった。今回は新元号記念御朱印(書置きのみ)と兼務社の氷川神社の御朱印もいただいた。


2019/05/05

白髭神社

墨田区東向島にある神社。いただいた由緒書によれば今から千年余の昔(天暦五年・西暦951年)、近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白髭神社の御分霊として祀ったのが始まりとされる。


主祭神は国土開発の神として知られる猿田彦大神様で、人を正しく導くことが叶うことから、旅立安全・交通安全・商売繁盛・方災除の神として広く信仰を集めている。また隅田川七福神の寿老神としても知られ毎年正月には特別御朱印が頒布される。


境内は東武スカイツリーライン東向島駅から徒歩で7分程度の場所にあり都道461号線(墨堤通り)沿いにあるのですぐにわかる。鳥居をくぐり参道を進むと右手に神楽殿があり、さらに二ノ鳥居をくぐって左手に手水舎が確認できる。


一対の狛犬に迎えられ、その先が拝殿となる。平成二年の中核派ゲリラによる放火とみられる不審火により旧社殿は焼失したが、平成四年には現在の鉄筋コンクリート造の社殿が再建され現在に至る。


一之鳥居をくぐった左手には石碑が並んでおり、社殿の右手には諏訪社、三峯社・水神社などの境内社。二之鳥居の手前には墨田区登録有形文化財となっている山玉向島講社の碑もある。


御朱印は社殿左手にある授与所でいただくことができる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。今回は令和元年、天皇陛下御即位の特別御朱印をいただくことができた。書き置きではなく台紙にその場で書いたものを拝受できる。


2019/05/01

平塚神社

北区上中里にある神社。公式ページの説明によると創立は平安後期元永年中で、八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ、領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜したとされる。


近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。塚は甲冑塚と言われていたが、高さがないために平塚とも呼ばれ、やがて近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀った。


境内は本郷通りに面しており、JR上中里駅からは南側に出て坂を上っていく。今回は自転車で行ったが、徒歩ならば東京メトロ南北線の西ヶ原駅から本郷通りに歩いた方が楽に行けると思われる。


本郷通りからは長い参道があり両側は駐車場として利用されている。途中の鳥居をくぐり、さらに小さな二ノ鳥居の正面が拝殿となる。参道の左手に手水舎があり、拝殿手前で獅子山と狛犬に出迎えられる。


拝殿の手前、手水舎の左奥には境内社が並んでおり、御料稲荷神社・大門先元稲荷神社と菅原神社が鎮座。また石室神社は、豊島氏の後に当地の領主となった蘓坂兵庫頭秀次が祀られている。


なお御朱印は社殿左奥にある社務所で拝受できる。今回は令和元年の初日ということもあり、すぐに対応いただけたが不在の場合も多い。3回目のお詣りで、しかも令和になった日にいただけたのはありがたい。


2019/04/22

櫻木神社

文京区本郷にある神社で、公式ページによれば人皇第百三代後土御門天皇の御宇文明年間
(1469~87年)に太田道灌が江戸築城の際、菅公の神霊を京都北野北野天満宮より同城内に勧請したのが始まりとされる。


二代将軍徳川秀忠の時代に湯島の台坂上にある旧櫻の馬場の地へ遷座。元禄三年(1690年)、五代将軍徳川綱吉が同所に昌平坂学問所を設立するにあたり、翌年(1691年)、現在地である本郷の富元山真光寺境内に遷座し現在に至る。


東京メトロの本郷駅から徒歩2~3分の場所に境内がある。春日通り沿いに鳥居が見えるのですぐにわかるが、街の中に溶け込んでいるので通り過ぎてしまうことも。鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎、正面が拝殿となる。


社殿の右手奥に境内社の見送稲荷神社がある。春日通りから境内右手の路地を入るとそちら側にも小さな鳥居があり、すぐに稲荷神社にお詣りすることもできる。例大祭とは別に毎年4月には稲荷祭も開かれているようだ。


御朱印は拝殿左手にある社務所で拝受できる。サ・ク・ラ・サ・ク櫻木天神と呼ばれるだけに合格祈願のお守りも頒布しているようだ。初穂料は300円で入口で御朱印帳を渡して待つ形式となる。


2019/04/21

三輪里稲荷神社

墨田区八広にある神社。いただいた由緒書によると慶長十九年(1614年)に出羽国(山形県)湯殿山の大日坊長が大畑村の総鎮守として羽黒大神の御分霊を勧請し三輪里稲荷大明神として創建したのが始まりとされる。


初午の日に授与している「こんにゃくの御符」は大畑村の土地に伝えられ、のどけの患いや風邪に神験あらたかで、通称「こんにゃく稲荷」と呼ばれて人々の信仰を集めてきた。こんにゃくの御符は竹串ごと煎じて、そのお湯を服用する。


京成線の曳舟が最寄り駅で、八広中央通りに出て北上すると旧別当寺の正覚寺があるので、その隣に境内が確認できる。表参道は住宅街側の路地からとなり鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎がある。


正面が拝殿となるが、その手前で一対の狐像に出迎えられ、拝殿を見上げると見事な龍の彫り物が確認できる。規模はそれほど大きくはないが、境内に入ると空気が変わるのでそこが神社であることを改めて感じることができる。


御朱印は拝殿左手奥にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出しで右手の授与窓口から御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。初穂料は300円で由緒書と御朱印帳に挟むしおりをいただいた。


2019/04/15

國領神社

調布市国領町にある神社。公式ページの由緒書によればかつては第六天社と称し、多摩川河畔(杉森の地)に鎮座していたものを、甲州街道が整備される江戸時代の初期に調布町大字國領148番地に遷座。明治四年に村社に列格、明治八年に國領神社と改称した。


一方で杉森の地には神明社もあり杉森神明社や八雲神明社とも呼ばれていた。江戸時代初期の常性寺が甲州街道沿いに移設された際に調布町大字國領字八雲台182番地に遷座。その後、昭和38年に國領神社と神明社とを合祀し社名を國領神社とした。


境内は国道20号線沿いにあり、鳥居と藤棚が見えるのですぐにわかる。今回は自転車だったので詳細は不明ながら、場所的に電車の場合は京王線の布田駅が最寄りになると思われる。残念ながら藤を楽しむことはできなかったが、多くの人で賑わうことが予想される。


鳥居をくぐると右手に手水舎があり、その正面が拝殿となる。長い参道があるわけではないので、すぐにお参りができる。また境外末社として稲荷神社もある。藤は神明社が遷座した際にすでにあったとされ「國領神社の千年藤」として調布八景に選定されている。


御朱印は社殿の左手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で中に入り御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。初穂料は500円で、オリジナル御朱印帳もあるようだ。

2019/04/04

ときわ台天祖神社

板橋区南常盤台にある神社。創建年代等は不詳で、いただいた由緒書によれば手がかりは神社の西北にあった古墳と伝承のみとなる。猫塚と狐塚と言われていた古墳は古くから人々が踏み込むことができない聖地だったとされる。


そこに何らかのきっかけで神々を祭る社がつくられたという説。また上板橋村の「原」という集落には神さまが現れた跡に「伊勢社」という社ができたという伝承があり、それは鎌倉時代、御深草天皇の頃と伝えられている。


江戸時代には川越街道の宿場町として栄え、村の鎮守として「神明宮」と称され、老杉老松の社が見えたという。寛政九年(1797年)に文人の大田南畝が訪れ、当時の様子を江戸の地誌に記している。


境内は東武東上線のときわ台駅南口から徒歩1分の場所にある。表参道の鳥居をくぐった右手には境内末社が並んでいる。手前から稲荷神社、北野神社、日枝神社、月読神社、伊勢神社という並びで奥には榛名神社もある。


参道を進むと一対の狛犬に出迎えられ、右手に手水舎、正面が拝殿となる。社殿の右手は参集殿と神輿庫があり、拝殿とつながっている神楽殿が左手に見える。社務所・授与所は参道左手にあるが今回は閉まっていた。


御朱印は授与所が開いている場合はそこで拝受できるが、閉まっている場合には神楽殿脇の入口を入って申し出ると対応していただける。由緒書や大田南畝に関する資料などもいただき、大変勉強になった。


2019/03/12

轡神社

板橋区仲町にある神社。創建年代は不詳ながら、境内に掲示していた由緒書によれば、名称の由来はこの地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからとも言われ、かつては轡権現社と呼ばれた。


江戸時代から百日咳に霊験がある神社として知られ、遠方から参拝に来る信者で賑わったという。信者は病気の治癒を祈るとともに、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻をいただいて帰り、全快すると新しい馬わらじと麻を奉納していた。


境内は東武東上線の中板橋から徒歩7分の場所にあり、社前の道路は俗に鎌倉街道と呼ばれた古道らしい。住宅街の中にあって歩道のない道を進むと鳥居が見える。鳥居をくぐってすぐ左手が手水舎で正面が拝殿。その手前には一対の狛犬が見える。


御朱印は境内右手にある社務所で拝受できる。書き置きのみの対応だが、丁寧に日付を記入していただき初穂料として300円を納めた。境内は決して広くはないがそこだけ安心できる空間が広がっていた。