2019/05/31

諏訪神社(駒形)

台東区駒形にある神社。いただいた資料の由緒書によると創祀は定かではないが後冷泉天皇の御世であると言われる。また一説には承久の乱(1221年)の後、信濃国諏訪郡小日村に住んでいた神主が諏訪大社の御分霊を当地に奉斎したともされる。


境内は浅草の中心地からは少し離れ、江戸通りを蔵前方面に進むと右手にある。バンダイ本社ビルとホテル法華クラブ浅草の間に位置しビルの谷間に隠れて見過ごしてしまうことも。鳥居をくぐるとすぐ左手が手水舎で正面は社殿となる。


社殿の奥は社務所兼宮司様のご自宅の建物があり、右側は集会所としても使われているようだ。境内社とは言えないかもしれないが、鳥居の右手には稲荷社を感じさせる小さな祠も確認できる。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出しで玄関で御朱印帳を渡し書き上がるのを待つ形式。しばらく反応がなかったのでご不在かと思い帰りかけた瞬間に戸が開いた。


神社資料や台東区神社マップなども付けていただき大変丁寧な対応でありがたかった。御朱印の日付が令和元年六月三十一日となっているように見える。もしかすると大変貴重なものをいただいたのかもしれない。


2019/05/29

桐ヶ谷氷川神社

品川区西五反田にある神社。しながわ観光協会のサイトによれば創建年代は不詳ながら江戸時代初期の元禄年間にはすでにあったことが記録に残るとある。これは新編武蔵風土記のことで元禄年間社地免除の事が記されている。


かつての荏原郡桐ヶ谷村の鎮守で、御祭神は素盞嗚命。境内は不動前駅から徒歩3分ほどの高台にある。かつては本殿の崖下に江戸七瀑布の一つに数えられた「氷川の滝」があり、水量は減ってしまったが今もその面影が残る。


鳥居をくぐり参道を進むと石段があり、途中で一対の狛犬に出迎えられながらさらに上ると手水舎が見えてくる。そこから左手の前方に進むと昭和十三年に造られた社殿がある。檜材白木の權現造り銅板葺社殿だが戦災を免かれ現存している。


その他に境内には神楽殿や社務所の建物、境内社として忍田稲荷大明神が鎮座。立札の由緒書には明治四十一年九月、桐ケ谷村の八幡神社、諏訪神社、第六天神社の御祭神を氷川神社に合祀した際に袖ヶ崎神社の忍田稲荷大神を末社として勧請したとある。


なお御朱印は社務所で拝受できる。今回は宮司様ご不在とのことで書置き対応。インターホン呼び出し形式で初穂料は300円を収めた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。


2019/05/24

青渭神社

調布市深大寺元町にある神社。いただいた由緒書によれば創建年月は不詳ながら、往古(三千年~四千年以前)先住民が水を求め移住した際に、その生活に欠くことのできない水を尊び祠を建て、水神様を祀ったものと伝えられる。


御祭神は水波能売大神・青沼押比売命、また一説には社前大池に棲む大蛇を祀ったとも言われる。往古は社前におよそ五町歩余の境内池があり湧き水により青波をたたえていたため、青波天神社とも称された。



旧深大寺町の総鎮守・総氏神で、周辺が武蔵野文化発祥の地と言われており湧き水は生活と密接な関係があった。青渭は水の意味があることから水神様を祀ったというのは間違いないとされている。


境内は神代植物公園に隣接しており、境目の道を入っていくと深大寺につながる。深大寺川は蕎麦屋も立ち並び多くの観光客で賑わっているが、青渭神社まではそれほど多くの人は訪れないようだ。


鳥居をくぐって石段を上っていくと左手に手水舎があり、一対の狛犬に出迎えられる。正面が拝殿となる。鳥居の左手に樹齢600~700年とされる御神木がそびえ立つ。公式ページの説明によれば幹囲いは凡そ5.5メートル・高さ34メートルだそうだ。


なお御朱印は社殿右手にある授与所で拝受できる。書置きのみで初穂料は300円。こちらの御朱印帳は無いが、深大寺の鬼太郎茶屋に、ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクターがデザインされた御朱印帳を発見した。


2019/05/10

矢口氷川神社

大田区矢口にある神社。創建年代は不詳だが新編武蔵風土記稿に「村の東によりてあり。宮作にて三尺四方の社り。前に鳥居をたつ。鎮座の年代詳ならず」と記載があり、古くから矢口村の鎮守として崇敬を集めていたことがわかる。


御祭神は素盞嗚尊で大田区では唯一の氷川神社となる。別当寺は本務社の新田神社と同じ真福寺で、昭和二十年の空襲で社殿は焼失したが、昭和三十三年に社殿が再建され、神輿と山車もこの時に造られた。


新田神社から歩いて2分ほどの場所にあり、境内の半分は児童公園として利用されている。鳥居からまっすぐに参道があり一対の狛犬の先に社殿がある。また多摩川七福神巡りの大黒天も担っており正月は参拝者で賑わうことが予想される。


社殿の右手には境内社の三社稲荷が鎮座。三社稲荷崇敬会の石碑によると昭和四十七年に遷座されたものらしい。無人のため氷川神社の社殿と稲荷社は閉門しているが、柵の間から賽銭を納めて参拝は可能。


御朱印は本務社である新田神社の社務所で拝受できる。初穂料は書置き300円、記入500円で今回は新元号記念御朱印を書置きでいただいた。


新田神社

大田区矢口にある神社で新田義貞の次男新田義興を御祭神とする。東京神社庁サイトによると、正平十三年に謀略により、多摩川の「矢口の渡」で壮烈なる最後を遂げた義興公の怨霊が現れたり、夜々「光り物」が矢口付近に現れて往来の人々を悩ませた。


そこで義興公の御霊(みたま)を鎮める為に、義興公の墳墓の前に社殿が建てられ『新田大明神』として崇めたという。やがて義興公は村人や旅人の「運を開き守り、幸せを導く霊験あらたかな神様」として広く崇敬されるようになった。


また江戸時代に平賀源内が御塚後部にあった篠竹で厄除招福・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作ったとされ、破魔矢発祥の地としても知られている。

境内は等級多摩川線「武蔵新田駅」から商店街を歩いて5分ほどの場所にある。鳥居をくぐると最初に目に入るのは樹齢700年と言われる御神木。触ると「健康長寿」「病気平癒」「若返り」のご利益があると伝えられている。


参道を進むと右手に手水舎があり、一対の狛犬に出迎えられた後に正面に拝殿が確認できる。なお社殿は昭和三十五年に明治神宮で仮社殿として建てられたものを下付して再建されたもので立派な建物だとすぐにわかる。


境内社として拝殿の右手に稲荷神社がある。圧倒的な存在感を放つ御神木は江戸時代には雷、戦時中は空襲にも遭ったらしいが現在も青々とした葉を付けるためパワースポットになっている。


なお御朱印は社務所で拝受できる。初穂料は書置き300円、記入500円。14時以降は書置きのみの対応になると案内があった。今回は新元号記念御朱印(書置きのみ)と兼務社の氷川神社の御朱印もいただいた。


2019/05/05

白髭神社

墨田区東向島にある神社。いただいた由緒書によれば今から千年余の昔(天暦五年・西暦951年)、近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白髭神社の御分霊として祀ったのが始まりとされる。


主祭神は国土開発の神として知られる猿田彦大神様で、人を正しく導くことが叶うことから、旅立安全・交通安全・商売繁盛・方災除の神として広く信仰を集めている。また隅田川七福神の寿老神としても知られ毎年正月には特別御朱印が頒布される。


境内は東武スカイツリーライン東向島駅から徒歩で7分程度の場所にあり都道461号線(墨堤通り)沿いにあるのですぐにわかる。鳥居をくぐり参道を進むと右手に神楽殿があり、さらに二ノ鳥居をくぐって左手に手水舎が確認できる。


一対の狛犬に迎えられ、その先が拝殿となる。平成二年の中核派ゲリラによる放火とみられる不審火により旧社殿は焼失したが、平成四年には現在の鉄筋コンクリート造の社殿が再建され現在に至る。


一之鳥居をくぐった左手には石碑が並んでおり、社殿の右手には諏訪社、三峯社・水神社などの境内社。二之鳥居の手前には墨田区登録有形文化財となっている山玉向島講社の碑もある。


御朱印は社殿左手にある授与所でいただくことができる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。今回は令和元年、天皇陛下御即位の特別御朱印をいただくことができた。書き置きではなく台紙にその場で書いたものを拝受できる。


2019/05/01

平塚神社

北区上中里にある神社。公式ページの説明によると創立は平安後期元永年中で、八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ、領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜したとされる。


近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。塚は甲冑塚と言われていたが、高さがないために平塚とも呼ばれ、やがて近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀った。


境内は本郷通りに面しており、JR上中里駅からは南側に出て坂を上っていく。今回は自転車で行ったが、徒歩ならば東京メトロ南北線の西ヶ原駅から本郷通りに歩いた方が楽に行けると思われる。


本郷通りからは長い参道があり両側は駐車場として利用されている。途中の鳥居をくぐり、さらに小さな二ノ鳥居の正面が拝殿となる。参道の左手に手水舎があり、拝殿手前で獅子山と狛犬に出迎えられる。


拝殿の手前、手水舎の左奥には境内社が並んでおり、御料稲荷神社・大門先元稲荷神社と菅原神社が鎮座。また石室神社は、豊島氏の後に当地の領主となった蘓坂兵庫頭秀次が祀られている。


なお御朱印は社殿左奥にある社務所で拝受できる。今回は令和元年の初日ということもあり、すぐに対応いただけたが不在の場合も多い。3回目のお詣りで、しかも令和になった日にいただけたのはありがたい。