2025/08/28

和泉熊野神社

 杉並区和泉にある神社。いただいた資料の由緒書きによれば文永四年(1267年)に、熊野本宮大社の御分霊を祀ったのが始まりとしている。「和泉の鎮守様」として古くから親しまれ、数度の社殿修造を経て現在に至る。

境内は京王線「永福町駅」から徒歩で7~8分の場所にあり、縄文時代の土器・石斧・石棒、古墳時代の土師式土器などが出土していることから、昔から人々が生活をしてきた場所だったことがわかる。

神田川に続く斜面の途中にあり、下から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居とくぐって進むと左手に手水舎、正面に拝殿が見える。社殿の左手には北野神社、御嶽神社、山神社の合祀の境内社、右手には稲荷神社がある。

また社殿左奥には徳川三代将軍の家光が鷹狩の休憩時に手植えしたとされる、存在感のあるクロマツ(御神木)がある。その他、境内全体が木々に覆われているため、夏場の暑い時期にも心地よい風を感じることができる。

境内右奥には社務所があり御朱印はそこで拝受できる。インターホン呼び出し方式で書き置きの御朱印の初穂料は500円。御朱印をいただく際に慌てないためにも初穂料はあらかじめ用意しておくとよい。



2025/08/14

子易神社

 板橋区板橋にある神社。東京都神社庁の公式サイトによれば創建は不詳ながら富士浅間神社の分霊を勧請。江戸時代には子安宮や子安神明称し、明治初年に現在と同じ子易神社に改称したとある。

境内は東武東上線の下板橋駅と大山駅の中間くらいの位置にある。境内はところどころに数多くの岩が配されており、富士塚とまではいかないが、それを意識したような造りになっている。

境内社として稲荷社と諏訪神社がある他に、別当寺だった福正寺から移された子安観音や胸突地蔵尊(身代わり地蔵尊)がある。また神楽殿や神輿庫などもあり、9月の例大祭には多くの人で賑わうようだ。

狛犬のある側の鳥居をくぐり、階段を上がると正面に拝殿、右手に手水舎がある。神楽殿の奥が社務所になっており、御朱印はブザーを押すと対応していただける。なお、初穂料は500円で書き置きのみとなっている。

こちらの神社、かなり前にお参りしたことがあり、その際は参拝マナーの悪い人が多いということで御朱印は未対応であった。時が過ぎ、御朱印対応いただけたこと大変ありがたかった。


2025/07/13

天神町北野神社

 新宿区天神町にある神社。創建年代は不詳だが古くから神社が鎮座しており、天神町という名称の由来とされている。規模は大きくはないが境内社として豊玉稲荷神社があり、北野神社の本殿の手前に鳥居が並んでいる。

境内は東京メトロ東西線の神楽坂駅から徒歩6分ほどの場所にある。大きな通り沿いに渡邊坂の目印があり、その前が鳥居なので迷わない。鳥居をくぐり、前に進んでいくと手水舎が見えてきて、正面に拝殿がある。

1945年の戦災で焼失したが、その後再建されたらしい。嘉永年間に稲荷社があることが古絵図に記録されているため、境内社の稲荷神社もかなり古くからあることがわかる。ちなみに渡邊坂は旗本渡邊源蔵の屋敷があったためとされる。

神職などは常駐しておらず、案内板に絵馬は通り沿いの理容岩下(理容店)にあり、御朱印は赤城神社にて請けていると掲示されていた。その通り、参拝後に赤城神社の社務所で御朱印(書き置きで初穂料は500円)を拝受した。


2025/04/16

永福稲荷神社

 杉並区永福にある神社。杉並区教育委員会の説明書きによると、旧永福寺村の鎮守で、享禄3年(1530年)に、大永2(1522)年この地に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として京都伏見稲荷大社よりご分霊を勧請したのが始まりとされる。

境内は京王線の永福町駅から南に徒歩5分くらいの場所にある。石段を上った先に鳥居があり、その先に第二鳥居が構えている。左手に手水舎、2体の狐様に迎えられ正面に拝殿がある。

また、境内末社として天神社、白鳥社、天王社、白山社が社殿左手に並んでいる。境内は思ったよりも広々としており末社の前にはご神木もあった。その他、今回は訪れなかったが、境外末社として御嶽神社(永福町1-39-17)があるようだ。

寛永16年(1639年)に永福寺村の鎮守となったが明治維新後に永福寺から分離して一社となり、明治11年に町全体を守るように西向きに建てなおされた。

御朱印は社務所で拝受できる。インターホンで呼び出す方式で、お守りなどが並んでいる場所でいただく。書き置きのみで初穂料は500円。とても丁寧に対応いただき神職と少しお話もできてありがたかった。

2025/03/23

宇迦八幡宮

 江東区千田にある神社で御祭神は宇迦御魂命と応神天皇。いただいた由緒書きによると享保年間(1716年)に近江の国から千田庄兵衛がこの地に来て、徳川吉宗に開拓を願い出て村造りを進め、千田新田と名付けられた。

当時は小さな祠だったが千田庄兵衛が社殿を造り千田神社として崇敬を集めるようになった。田畑に穀物が実らず祈願すると、片栗を栽培するようお告げがあり、村民を救ったという伝説があり片栗八幡宮ともいわれた。

戦災により社殿は焼失するも、昭和27年(1952年)に戦前と同型・同様の社殿を建設し、現在の宇迦八幡宮に改称した。さらに、昭和55年(1980年)社殿に大改築を行い、平成五年(1993年)にはみがわり地蔵尊も建てられた。

境内は木場公園と猿江恩賜公園の中間くらいに位置し、鳥居をくぐって右手に手水舎、正面が社殿、その右側に社務所がある。また社殿の左奥にはみがわり地蔵尊が見える。木の彫刻など意匠にもこだわり再建されたことがわかる。

御朱印は社務所で拝受可能で、インターホンのボタンを押すと対応していただける。神職が不在の場合は書き置きになるらしいのだが、今回は直書きでいただけた。社務所の玄関を入るとお守りなども並んでいる。

2025/03/21

氷川台氷川神社

 練馬区氷川台にある神社。公式ページによると、1457年(長禄元年)に創建されたと伝えられている。室町時代の武将・渋川義鏡が足利成氏との戦の際に、下練馬で泉を発見しそこを水際の井戸と名付け、須佐之男尊を祀ったのが始まりとされる。

1477年(文明9年)に江古田原の戦いで焼失し、延享年間(1744年〜1748年)に現在の地に移転。氷川台という地名はこの神社に由来するといわれている。現在、500年余り続く神社の伝統と想いを未来につなぐため再建プロジェクトが実施されている。

再建プロジェクトとは簡単にいうとリニューアル工事なのだが、かなり大規模なもので工事中で本殿のある場所までは行けなくなっている。境内の一部を宅地とし、児童公園を移設するなど最終的に本殿・社殿まで工事が完了するのは2028年になるようだ。

現在は社務所の前に仮の手水舎や賽銭箱などが設けられており、お参りが可能。神札や御守りなどの授与品、御朱印は社務所窓口(授与所)で受け付けている。頒布時間は9:30~16:00なので御朱印の受付も同じ時間帯となる。

再建プロジェクトが終了したら再訪したいが、工事スケジュール通りに進んだとしても数年先になりそうだ。なお、御朱印は書き置きのみ対応で初穂料は500円。窓口前のボタンで呼び出すと対応していただける。

2025/03/14

江古田浅間神社

 練馬区小竹町にある神社で、西武池袋線の江古田駅すぐの場所にある。創建は不詳ながら文化・文政期(1804~1829年)に編まれた「新編武蔵風土記稿」には富士浅間社と記され、富士講の人々に崇敬された。

鳥居をくぐると左手に神楽殿、その先に手水舎があり正面に社殿が見える。また、右手奥には富士山の溶岩で組まれた富士塚があり、正月と山開きの7月1日、9月第2土曜・日曜日に登ることが可能となっている。

練馬区公式ページによると、富士塚は高さ約8m、直径約30mで国指定文化財に指定。天保10年(1839年)に築かれたものとされ、通称「江古田富士」と呼ばれる。関東大震災により損壊しながらも復旧工事により現在に至る。

規模は大きくはないが、平日の昼間にも関わらず絶えず参拝者が訪れる。社殿前の石灯籠は1800年代のものらしく、その他の建造物にも長い歴史を感じる。大樹があるせいか、境内は気持ちが落ち着く雰囲気があった。

御朱印は社務所で拝受できる。神社の説明書きに「御朱印は神札と同じ扱いになる為、直接朱印帳に押印出来ません」とあった。インターホン呼び出し方式で、初穂料は500円。丁寧に対応いただいた。