2025/03/23

宇迦八幡宮

 江東区千田にある神社で御祭神は宇迦御魂命と応神天皇。いただいた由緒書きによると享保年間(1716年)に近江の国から千田庄兵衛がこの地に来て、徳川吉宗に開拓を願い出て村造りを進め、千田新田と名付けられた。

当時は小さな祠だったが千田庄兵衛が社殿を造り千田神社として崇敬を集めるようになった。田畑に穀物が実らず祈願すると、片栗を栽培するようお告げがあり、村民を救ったという伝説があり片栗八幡宮ともいわれた。

戦災により社殿は焼失するも、昭和27年(1952年)に戦前と同型・同様の社殿を建設し、現在の宇迦八幡宮に改称した。さらに、昭和55年(1980年)社殿に大改築を行い、平成五年(1993年)にはみがわり地蔵尊も建てられた。

境内は木場公園と猿江恩賜公園の中間くらいに位置し、鳥居をくぐって右手に手水舎、正面が社殿、その右側に社務所がある。また社殿の左奥にはみがわり地蔵尊が見える。木の彫刻など意匠にもこだわり再建されたことがわかる。

御朱印は社務所で拝受可能で、インターホンのボタンを押すと対応していただける。神職が不在の場合は書き置きになるらしいのだが、今回は直書きでいただけた。社務所の玄関を入るとお守りなども並んでいる。

2025/03/21

氷川台氷川神社

 練馬区氷川台にある神社。公式ページによると、1457年(長禄元年)に創建されたと伝えられている。室町時代の武将・渋川義鏡が足利成氏との戦の際に、下練馬で泉を発見しそこを水際の井戸と名付け、須佐之男尊を祀ったのが始まりとされる。

1477年(文明9年)に江古田原の戦いで焼失し、延享年間(1744年〜1748年)に現在の地に移転。氷川台という地名はこの神社に由来するといわれている。現在、500年余り続く神社の伝統と想いを未来につなぐため再建プロジェクトが実施されている。

再建プロジェクトとは簡単にいうとリニューアル工事なのだが、かなり大規模なもので工事中で本殿のある場所までは行けなくなっている。境内の一部を宅地とし、児童公園を移設するなど最終的に本殿・社殿まで工事が完了するのは2028年になるようだ。

現在は社務所の前に仮の手水舎や賽銭箱などが設けられており、お参りが可能。神札や御守りなどの授与品、御朱印は社務所窓口(授与所)で受け付けている。頒布時間は9:30~16:00なので御朱印の受付も同じ時間帯となる。

再建プロジェクトが終了したら再訪したいが、工事スケジュール通りに進んだとしても数年先になりそうだ。なお、御朱印は書き置きのみ対応で初穂料は500円。窓口前のボタンで呼び出すと対応していただける。

2025/03/14

江古田浅間神社

 練馬区小竹町にある神社で、西武池袋線の江古田駅すぐの場所にある。創建は不詳ながら文化・文政期(1804~1829年)に編まれた「新編武蔵風土記稿」には富士浅間社と記され、富士講の人々に崇敬された。

鳥居をくぐると左手に神楽殿、その先に手水舎があり正面に社殿が見える。また、右手奥には富士山の溶岩で組まれた富士塚があり、正月と山開きの7月1日、9月第2土曜・日曜日に登ることが可能となっている。

練馬区公式ページによると、富士塚は高さ約8m、直径約30mで国指定文化財に指定。天保10年(1839年)に築かれたものとされ、通称「江古田富士」と呼ばれる。関東大震災により損壊しながらも復旧工事により現在に至る。

規模は大きくはないが、平日の昼間にも関わらず絶えず参拝者が訪れる。社殿前の石灯籠は1800年代のものらしく、その他の建造物にも長い歴史を感じる。大樹があるせいか、境内は気持ちが落ち着く雰囲気があった。

御朱印は社務所で拝受できる。神社の説明書きに「御朱印は神札と同じ扱いになる為、直接朱印帳に押印出来ません」とあった。インターホン呼び出し方式で、初穂料は500円。丁寧に対応いただいた。



2025/03/09

天沼熊野神社

 杉並区天沼にある神社。公式ページの由緒書きによると旧天沼村の鎮守で、神護景雲2年(768年)東海道巡察使が氏神を勧請し別当を置いたのが始まりとされる。新田義貞が鎌倉へ軍を進める途中にこの地に陣をしき、社殿を創設との説もあるようだ。

最寄り駅は荻窪で徒歩10分くらいの場所に境内がある。住宅街で入り組んでおり、近くに天沼八幡神社もあるため間違えやすい。バスで日大二高で降りて歩くと3分程度なので、雨天時はバスがおすすめだ。

石段を上って鳥居をくぐると右手に手水舎があり、正面が社殿。参道の左手に社務所があり、社殿の左手前には境内社として稲荷神社、三峰神社、太現神社、須賀神社がある。また、最初の鳥居のすぐ右手にあるのが白玉稲荷神社だ。

その他、力石や新田義貞が植えたとされる出世杉(1946年に枯れ切り株のみ保存)なども境内に配されており、古くから鎮守として人々から崇敬を集めていたことが窺われる。

なお、御朱印は社務所で拝受できる。対応時間は10:00~15:00でインターホンで呼び出す形式。書き置きのみで神職に伝えると社務所入口で受けられる。丁寧に対応していただきありがたかった。

2025/02/27

亀高神社

 江東区北砂にある神社。寛永年間(1624~44年)にこの地を開発の際に五穀の神として創建。かつて亀高とは亀戸新田村と高橋新田村の2ヶ村があったが、これを一つの村とし両方の先頭の文字をとったとされる。

都営新宿線「大島駅」と東京メトロ「南砂町駅」の中間に位置し、どちらの駅からも徒歩で10分以上かかる。アリオ北砂や砂町銀座商店街の近くなので、買い物や飲食を楽しみながら途中で立ち寄るとよいだろう。

鳥居は南砂町側にあるが、そこから境内までの参道は住宅街の真ん中を突っ切るかたちになる。1945年の空襲で消失しており、1968年に現在のコンクリート造の社殿になるまで仮宮だったらしい。

社殿に向かって左手に手水舎があるが、水は張られていなかった。一対の狛犬に迎えられ、その先に重厚な社殿が構える。境内に社務所はなく、代わりに北砂四七丁目会館という建物がある。

御朱印はその会館の1階の事務所で拝受できる。町会の方々が業務を行っており、御朱印対応もその一環のようだ。ドアを入って声をかけると丁寧に応対していただけた。

2025/02/25

本郷氷川神社

 中野区本町にある神社。公式ページの情報によると、文明元年 (1469年) に太田道灌が江戸城を工築する際に武蔵一宮氷川神社より勧請し当地に奉斎とされる。1945年に戦火で社殿などの建造物が消失したが、1955年に再築された。

境内は中野新橋駅から徒歩3分、新中野駅からは徒歩10分の場所にあり、坂の途中に鳥居が見える。石段を上ると、左手に手水舎があり正面が拝殿となる。右手が広く神楽殿や社務所、休憩できるベンチなど落ち着けるスペースとなっている。

手水舎の周りには境内社として境御嶽神社と稲荷神社が二社。勝負運や仕事運にご利益があるとされる氷川神社だが、本郷という名がつくのはこの地が江戸期には旧本郷村だったことに由来する。

御朱印は社務所で拝受できる。お神札・お守も頒布しており呼びボタンを押すと対応していただける。御朱印は書置きと直書きがあるが、神職不在の際は書き置きのみとなる。直書き対応日はX(旧ツイッター)で確認できる。

今回は御朱印のほかに、小さな熊手(800円)もいただいた。大規模な神社ではないが、いわゆる鎮守様として長年地域を守っている感じがした。おそらく例大祭のときには多くの人で賑わうと思われる。



2025/02/16

板橋東新町 氷川神社

 板橋区東新町にある神社。東京都神社庁によると旧上板橋村の鎮守で、創立は不詳ながら第五代孝昭天皇の御代三年四月末の日に創立された武蔵一宮氷川神社より勧請されたと伝えられる。

また、板橋区公式ページの説明では、境内にある郷土資料館内には地元の有志で集められた江戸時代から昭和40年代まで使用された農機具や生活道具など、1,000点余りが展示されているとあります。

場所は東武東上線のときわ台駅から徒歩で約15分ほどにあり、一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居と石段を上がっていくと右手に手水舎、正面に拝殿が見えてくる。また、途中に社務所や参集殿などもある。

その他、境内末社は手水舎の右奥に稲荷神社、榛名神社、太宰府天満宮が並んでおり、左手には神楽殿も見える。地域の鎮守様というイメージよりも境内は広く規模が大きく感じられる。

御朱印は一ノ鳥居の右手にある神札授与所で受けられる。御朱印帳への直書きは行っておらず、書き置きのみ。通常の御朱印の他に、数量限定の切り絵御朱印や正月・辰の日限定の御朱印もある。