2023/02/17

築土八幡神社

 新宿区筑土八幡町にある神社。由緒書によると嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に創建。伝教大師が神像を彫刻して祠に祀る際、筑紫の宇佐神宮の宮土をもとめて礎としたことから、筑土八幡宮と名づけられたとされる。

飯田橋駅から徒歩5分くらいの場所にあり、現住所は筑土八幡町だが道を挟んで反対側は津久戸町で音が似ていることから関係がありそうだ。境内地は2,200平米あり、昭和20年の戦災で焼失したが、昭和38年に再建され、周辺地域に住む人々の尊崇を集めている。

社殿は石段を上った丘の上に鎮座し、右手に手水舎と寛文4年に作られたという庚申塔、境内社の宮比神社がある。宮比神社はもともと下宮比町に1番地の旗本屋敷にあったものを明治40年に遷座。社殿は戦災で消失したが、昭和37年に再建された。

石段の途中にある石鳥居は享保11年に建立され、新宿区内で現存する最古の鳥居で、新宿区登録有形文化財に指定されている。社殿に向かって左手前には神輿庫と神楽坂の升本酒店から奉納された積樽があり、毎年9月に行われる例大祭に各町会の神輿が集まるらしい。

なお、御朱印には現在対応してないが、社務所前に置かれた由来書きに、日付を入れると御朱印のフォームになるものが挟まれている。由来書きには桜が咲く境内の写真が掲載されており、非常に綺麗なので桜の開花時期に再訪したい。



2022/03/30

築土神社

 千代田区九段北にある神社で“つくどじんじゃ”と読む。公式ページによれば天慶三年(940年)藤原秀郷らの手で討たれ京都にさらされた平将門公の首を首桶に納め密かに持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まりとある。


1552年(天文21年)には、上平河村内の田安郷(現在の九段坂上からモチノキ坂付近)に遷座し、その地名を冠して田安明神とも称された。1589年(天正17年)江戸城拡張のため下田安牛込見附米倉屋敷跡へ、1616年(元和2年)に新宿区筑土八幡町へと移転し、築土神と改称した。

何度も改称や遷座が繰り返され、複雑になっているため東京神社庁のページでは詳細が記されていない。1994年5月、社殿・社務所の大改築が行われ地上8階建てのビル内にある現代的な社殿となった。ビル名のアイレックス(モチの木の意味)はかつて築土神社が九段坂からモチの木坂に鎮座していたためとされる。

九段下駅を出て飯田橋方面に向かう途中の道を左に入り坂を上ったところに鳥居が見えるのでわかる。手水舎や狛犬の先に社殿が見える。またその右手には世継稲荷があり、さらに右奥にあるのが社務所。御朱印はインターホン呼び出し形式で書き置きのものを拝受できる。

世継稲荷の左奥に区指定文化財となっている力石があることを見落としており、帰宅後に知った。次回お参りの際に確認したい。ビル内にあるため少し窮屈な印象があるが、社殿前の狛犬も内に現存する狛犬の中では最も古いもので区指定文化財。じっくり観察すると歴史があることが伝わってくる。



2022/03/25

東村山八坂神社

 東村山市栄町にある神社で旧社名は武蔵野牛頭天王。ご祭神は素盞嗚命だが、公式ページによれば創建年月は寛文二年の火災をはじめ、数回の火災により不明とのこと。昔は天王宮、祇園社、野口村の牛頭天王、八雲神社などさまざまな呼び名があったらしい。

明治二年に天王宮から八坂神社へと社号を改め、同年村社に列せられた。現在の社殿は平成になったから新築されたものだが、旧社殿も改築して今も残されている。境内末社は三嶋神社、三峯神社、御嶽神社、蚕影神社が参道の左手に並んでいる。

最寄り駅は西武多摩湖線「八坂駅」で、府中街道を北に歩いて5~6分の場所にある。鳥居をくぐって進むと一対の狛犬が出迎え、左手に手水舎がある。正面が社殿なのでそのまま真っすぐ進む。途中の右手に移築された旧社殿が確認できる。

社務所・授与所は大きな建物があるが、大きな行事がある時だけ開いているようだ。お守りや御朱印をいただく場合は、授与所の向かい側にある事務所のインターホンを押してお願いする。書き置きで日付を記入したものが授与され初穂料は300円。

なお、東村山市内にある諏訪神社、猿田彦神社、萩山八幡神社、清水神社は兼務社となっており神職は不在なので注意が必要。由緒は詳細はわかっていないが、別当寺の正福寺が弘安元年(1287年)で、同時期だとするとかなり古くから守護神として崇敬を集めていたと考えられる。



2021/11/26

初音森神社

 馬喰町・横山町・東日本橋の鎮守として知られる神社。公式ページの説明によると“元弘2年(1332年)藤原大納言師賢公が東国に配流の時、初音の森に参篭し、その草庵に稲荷大明神を勧請し白峯宮と共に奉斎したのが創祀であるといわれる”とある。

文明年間に太田道灌により大社殿が建てられたが、明暦の大火により焼失。徳川幕府入府後は馬喰町郡代屋敷建設のため当地も公儀御用地となり万治二年(1659年)に現在本社がある地に遷座。昭和25年に300年ぶりに旧跡の一部の東日本橋に遷座し今日に至る。

現在、本社は墨田区千歳にあるが儀式殿が中央区東日本橋にあり、御朱印は儀式殿で拝受できる。最寄り駅は浅草橋でオフィスビル内2階に社殿が造られ、1階は駐車場として使用されているようだ。階段を上る手前に赤い鳥居が見えるのですぐにわかる。

2階の拝所の横に御朱印が並べられており、拝受する場合は1階の外宮の賽銭箱に初穂料として500円を納める形式。通常の御朱印の他に月替りの御朱印もあり、カラフルなスタンプが押されている。今回は通常御朱印のみ拝受した。

元の地は東日本橋だが、数度の遷座を経ているため江戸時代の石造物などは隅田川を挟んだ墨田区側の本社にあるらしい。住宅街にあり門が閉まっていることもあるようだが、石造りの鳥居もあるので機会があれば参拝したい。



2021/11/02

五十稲荷神社

 千代田区神田小川町にある神社。千代田区観光協会の公式ページによると慶長年間(1596~1615年)に伏見稲荷大社から分霊して祀られたのが発祥とされる。正徳年間(1704~1715年)に足利戸田長門守の屋敷地となり屋敷神として祀られた。

足利雪輪町稲荷神社も合わせ祀られたことから栄寿稲荷大明神と称され、明治25年戸田家転居以降は町内の守護神として崇敬された。毎月の祭事を執り行っていた五と十のつく日には大変な賑わいをみせたことから五十稲荷と呼ばれるようになったらしい。

境内は靖国通りのミズノスポーツの向かいを奥に入った路地裏にある。令和三年に社殿と社務所が新しく建て替えられ、綺麗に整備された。食事処のような佇まいの社務所は不定期でお休みされている。御朱印受付などの案内はSNS等で案内されるようだ。

ビルの谷間にあり鳥居をくぐると目の前に社殿。手水舎等は新型コロナの影響からか使用されていない様子。社務所に人が不在の際は賽銭箱の横に御朱印が入った箱が用意され、賽銭箱に初穂料を収める形式。可愛らしいきつねのおみくじもあるようなので社務所の開いている日に参拝してみたい。


(追記)2021.11.19
開運きつねみくじ。中におみくじが入っています。



2020/06/20

熊野町熊野神社

板橋区熊野町にある神社。東京神社庁の由緒書によれば創立は応永年間、庭田主水正氏兼が、武州豊島郡中丸村に移住し、鎮守様として崇敬されてきた。庭田氏は常に敬神の念深く同族の繁栄を祈り氏神様として崇敬したが、ここに熊野権現を分祀したのが始まりらしい。


今回は自転車だったが電車での最寄り駅は東武東上線の大山駅で徒歩10分程度。境内は川越街道と山手通りが交差する首都高の下に位置する。駅からは少し距離があるが、山手通りを首都高に沿って歩けば鳥居が見えるので迷うことはないだろう。


鳥居をくぐると一対の狛犬に出迎えられ、左手に手水舎がある。手水舎は鳥避けのためか網がかけられているので上げて手を清める。左奥は神楽殿で正面に拝殿、その右手が社務所となっている。境内はある程度の広さがあるが一部駐車場として使われている。


この熊野町にある熊野神社にお参りするのは3回目。御朱印は書き手不在のことも多いためこれまでいただけなかった。現在はツイッター上で書き手の不在日を案内しているので事前に確認するとよいだろう。社務所では御朱印以外にお守りなども頒布している。


御朱印は社務所で御朱印帳を渡して番号札をもらって待つ形式。いくつか種類があるが、今回コロナ騒ぎで5ヶ月ほど御朱印巡りを自粛していたこともあり4ページに渡る御朱印をお願いした。初穂料は1,500円~で両側にアマビエが描かれている。


また御朱印とは別におみくじ付きの八咫烏の御神像(500円)もいただいた。これまで何回か社務所を訪れたがいつも丁寧に対応いただきありがたい。


2020/01/30

夫婦木神社

新宿区大久保にある神社。公式ページにある由緒書によると淡路島に鎮座する伊邪那岐大神、伊邪那美大神の御分霊を奉願したと記されているが、詳しい創建年代などの説明はなく、縁結び、子授けなどのご利益の高い神社として知られている。


ホテルや結婚式場の神殿に御祭神である伊邪那岐大神、伊邪那美大神を奉斎し、年間で数多くの神殿結婚式を執り行っているらしい。また親しみやすく心の安らぎが得られるような神社を心がけるとあり、平服(普段着)での結婚式を挙げることができる。


場所は新大久保駅から大久保通りを東に進み、途中で戸山公園方面に向かって歩いた住宅街の中にある。一般的な広い境内がある神社と違って2階建て家屋全体が神社となっている感じなので初めてだとわかりにくいかもしれない。


鳥居をくぐると右手に境内社(御嶽神社、出世稲荷神社、大久保弁財天)があり、階段を上った先が、住宅の一室を利用して設けられた拝殿となる。また階段の途中にはバケツと柄杓による手水舎が設置されており、そこで両手を清めてから参拝する。


なお御朱印は一階の授与所でお願いすると拝受できる。通常の御札以外にも手作りのお守りなどもあり目指している親しみやすさ、気軽さを感じることができる。わかりにくい立地にあるにも関わらず、参拝客も多く知る人ぞ知る神社という印象だ。