2018/09/28

赤坂氷川神社

港区赤坂にある神社で天暦五年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られたのが始まりで、その100年後の治歴二年、関東に大旱魃が発生した際に降雨を祈願するとその験があったとされる。


江戸時代には幕府からの尊信が篤く徳川吉宗公が享保元年(1716年)に将軍職を継ぐ際、享保十四年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じて現在地に社殿を建立し、翌年に遷座された。


東京メトロ千代田線の赤坂駅から8分ほどの場所に境内がある。参道は長く高台にあるのでいくつもの鳥居をくぐり石段を上っていくと拝殿が見える。境内は広く複数の境内社の他に小さな橋などもあり庭園のようになっている。


大きな銀杏の木が見えるが樹齢400年で港区の天然記念物に指定されている。神社が遷座された享保十五年にはすでに樹齢100年を越えていたとされるので驚きの生命力と言えるだろう。


参道を進んで楼門が見えた辺りの左手に手水舎があり、そのまま真っ直ぐに歩くと個性的な狛犬に出迎えられながら正面が拝殿となる。その他、参集殿や神輿庫、社務所が確認できる。


境内社が数多くすべてを把握しきれなかったが、今回一緒に御朱印をいただいた四合稲荷(しあわせいなり)神社が最も大きい。古呂故稲荷・地主稲荷・本氷川稲荷・玉川稲荷の四つの稲荷が合祀され勝海舟翁が“四社を合祀”“幸福のしあわせ”“志を合わせる”をかけ名付けたとされる。


その他にも火災除の御利益があると言われる西行稲荷社や天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社を合祀した九神社なども鎮座する。


御朱印は赤坂氷川神社と四合稲荷神社のものを社殿右手にある社務所で拝受できる。御朱印帳を渡して番号札を受け取り、書き上がるのを待つ形式で初穂料はそれぞれ300円だった。


2018/09/19

亀戸香取神社

江東区亀戸にある神社で、公式ページによれば創建は天智天皇四年(665年)、藤原鎌足公が東国下向の際に亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請して太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰いだのが始まりとされる。


平将門が乱を起こした際、追討使俵藤太秀郷が当神社で戦勝を祈願。乱をめでたく平定した後、弓矢を奉納し勝矢と命名したとされる。「スポーツ振興の神」として名が知られているのはそうした由来があるためだ。


JR亀戸駅から明治通り沿いに北上するとやがて左手に鳥居が見えてくるが、参道は蔵前橋通りとの交差点を左に折れて少し進んだところから続いている。参道沿いには商店が立ち並んでいて(勝運商店街)独特の雰囲気がある。


参道を真っ直ぐに進むと境内に入る手前に黒い鳥居があり、そこをくぐると左手に亀戸大根之碑と手水舎がある。江戸から明治にかけて亀戸では大根づくりが盛んだったらしく「亀戸大根」の名で知られる。


参道を進んだ正面が拝殿となるが、右手前には神楽殿、その先には数多くの末社が鎮座する。熊野神社・三峯神社・水神社の合祀殿、福神社、稲足神社、天祖神社と並んでいるので順番にお参りができる。


また拝殿手前の右手には大黒様と恵比寿様の像があり、柄杓で水を掛けて自分の痛いところを洗い清めるとよいと言われる。またさらに右奥には亀戸の地名に由来とされる復元された「亀が井戸」もある。


さらに拝殿手前の左手には「勝石」が置かれている。説明書きに“勝石に触れて勝運と幸運を授かりましょう”とあったので、賽銭を入れて触れてきた。鎮座1350年記念として2016年に置かれたものらしい。


なお御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を預け、番号札を受け取って書き上がるのを待つ形式。御朱印の他にも勝守りや勝運袋などもここでいただくことができる。


2018/09/18

腰掛稲荷神社

文京区目白台にある神社。いただいた由緒書によればこの辺りはかつて武州豊島郡清土と称し見晴らしの良い場所だったが、三代将軍徳川家光公が鷹狩の際に休息し、切株に腰を掛けて「絶景なり」と風景を賞でられたという。


この後、不敬のないように切株に竹矢来を廻らせて稲荷の祠を建て崇敬した。その後、切株は朽ち果てて跡形もなくなったため里人が集まって社殿を建立し、腰掛懸稲荷と称して崇敬したとされる。


境内は東京メトロ護国寺駅から不忍通りを目白方面に進み、左手の高台になっているところを上ったところにある。鳥居、手水舎、社殿というシンプルな造りだが裏手が駐車場となっている。


鳥居の脇に小さな庚申塔があり、幟旗が立ち並んでいるため小規模ながらよい雰囲気に包まれる。また宮司様に促され本殿の裏手に行くと特別天然記念物に指定されている「菊花石」があり鑑賞できる。


なお御朱印は社殿左手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。大変丁寧に対応していただいた。


2018/09/16

三囲神社

墨田区向島にある神社。創建年代の詳細は不明だが弘法大師が創建したと伝えられておりれ、文和年間(1353~1355年)に近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際に社殿を再興した。


その際、翁の神像が収めらている壺が出土し白狐が三度回っていなくなったという。三囲神社は“みめぐりじんじゃ”と読むが、その名称はそうした言い伝えを起源としている。


また「三囲」という漢字は井を四角で囲っているため、三越の創業者である三井家を守るとして崇敬を集め、享保年間(1716~1735年)に三井家が守護社とした。さらに俳人の宝井其角が雨乞いの句を詠んだことで、江戸市民に知られるようになった。


東武スカイツリー駅から隅田川方面に向かうと牛嶋神社があるが、そこから首都高向島線沿いに少し北上したところに境内がある。正月には隅田川七福神巡りの起点となる神社で非常に混雑する。


参道を一の鳥居、二ノ鳥居と進んで正面が社殿。その間に狛犬や狐像が迎えるかたちになるが、手水舎は参道を少し左に入った場所にある。その隣が恵比寿・大国神(月読社)で元々は越後屋で祀られていたものらしい。


その他にも多数の境内社があって興味深い石碑なども見受けられ三井家先祖をまつる顕名霊社や三角石鳥居もある。この三角石鳥居は京都・太秦の木嶋神社内にあるものを模したものと説明書きにあった。


赤い奉納鳥居や老翁老嫗像、白狐祠や稲荷社が社殿を囲むようにして鎮座し、社殿は墨田区の登録有形文化財となっている。そして忘れてならないのが参道左手にあるライオン像で実際に池袋三越に設置されていたものだという。


御朱印は社殿右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。大変丁寧に対応いただき、すぐに開けるようにと栞をいただいたのがうれしかった。


2018/09/05

谷保天満宮

国立市にある神社。東日本最古の天満宮で亀戸天神社、湯島天満宮ともに関東三大天神の一つとして知られている。この神社の御祭神が菅原道真公と菅原道武公の二柱なのは創建に関係している。


菅原道真公の第三子菅原道武が当地に配流。延喜三年(903年)、道真公が薨去の報に、道武公が思慕の情から道真公の像をお祀りしたのが始まりとされる。延喜二十一年(921年)に道武も薨去すると相殿に合祀された。


境内はJR南武線の谷保駅から徒歩3分の場所にある。南口をおりて道を真っすぐ進んだ先に大鳥居が見えるのでわかりやすい。二ノ鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎があり、その手前右手には稲荷神社・蒼守稲荷神社・淡島神社の合殿がある。


「下り宮」の形式になっていて手水舎の先の石段を下りて右手に参道が続き、拝殿につながる。左手は神楽殿となっていてまず目に入るのが座牛の像。さらに参道を進むと右手には先ほどとは別の撫牛がある。


また本殿の左手奥には弁天池があり境内末社の厳島神社が鎮座。池の右手は山のようになっていて途中に天照皇大神宮、妙義神社、日吉神社、熊野神社、稲荷神社の五社合殿と三郎殿があるが、池の周囲はあじさい園にもなっている。


弁天池の水は透明度が高く鯉が泳いでいて神秘的。実は常盤の清水と言われる湧き水で昔は周辺地域の人々の井戸として利用されていたらしい。松延宝年間に当社を詣でた僧侶が「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり」と詠んだのがその名の由来とされている。


なお御朱印は社殿左手にある社務所で拝受できる。御朱印帳を渡して番号札を受け取り、書き上がるのを待つ形式。社務所の2階は宝物殿となっており重要文化財が展示されている。