2018/10/29

牟礼神明社

三鷹市牟礼にある神社。いただいた由緒書によれば天文六年(1537年)に北条早雲の家臣・北条(高橋)綱種が、上杉家の家臣・難波田弾正のたてこもる深大寺城に相対して陣を敷いた際、その陣営内にこの地の守護神として芝大神宮の御分霊を勧請したのが始まりとされる。


以来「お伊勢様」「神明様」と親しく尊称され、家内安全・五穀豊穣に御神徳があり、三鷹の氏神様としてはもちろん、広く各地の人々からも崇敬されている。また相殿の倉稲魂大神は高山で祀られていたのを明治時代に合祀したもので、商売繁昌の神様として崇敬されている。


境内は京王線の三鷹台駅から徒歩10分くらいの高台にある。駅からは回り込むようにして道を入ると石段を上った先に鳥居が見える。参道には石灯籠があり鳥居をくぐると一対の狛犬が出迎える。


さらに進むと左手に手水舎があり、石段を上った先に拝殿が見える。なお嘉永三年に造られたとされる本殿は覆殿の中に納められているらしい。裏手は駐車場があり社殿の脇は車祓所スペースになっている。


社殿左奥には境内社として三峯神社と榛名神社の合殿が鎮座。境内社についての詳しいことはわからないが、可愛らしい狛犬などもいてきちんと整備されている。付近は閑静な住宅街だが本殿とともに参拝客が多い。


御朱印は境内右手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。女性の宮司さんに声をかけられ丁寧に対応していただいた。なお仏滅の日は閉められるようなので注意が必要だ。


2018/10/25

大泉氷川神社

練馬区大泉町にある神社。創建年代は不詳だが東京神社庁の公式ページによれば橋戸村(現大泉町)の鎮守として長い歴史があり、境内には嘉永二年(1849年)伊賀組衆108名が奉納した水磐と鳥居があり区の有形文化財に指定されているとある。


関越道の大泉インターの近く、目白通りに面した場所に鳥居が見える。電車だと最寄り駅は大泉学園駅になるのだと思うがかなり距離がある。今回は自転車だったのでわからないがバスを利用した方がよいかもしれない。


一の鳥居をくぐり灯籠が並ぶ参道を進むとその先に二ノ鳥居。そこから石段を上って右手に手水舎がある。柱に設置されたボタンを押すと水が出る仕組みになっているが勢いは強くないので飛沫が飛ぶようなことはない。


そこからさらに参道を真っ直ぐに進むと右側は開けていて一部駐車場として利用されているが立派な神楽殿があり、左手には社務所。そこから一対の狛犬に出迎えられながら正面が拝殿となる。


社殿の左手には境内社が並んでいて、社務所のすぐ脇にあるのが弁天社。さらにその右に境内社の祠があって一番右側が稲荷社。ここがかつて橋戸村を所領した伊賀衆の守護神だったとされる。


なお御朱印は社務所で拝受できるが、宮司さまの話しによれば留守がちなので、できれば連絡してから来てほしいとのこと。その他、練馬区内の神社は兼務社となっているところが多いのでやはり連絡後がよいと助言をいただいた。


2018/10/24

品川神社

品川区北品川にある神社。東京神社庁の公式ページによれば創建は文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請したのが始まりで品川大明神と称したとされる。


その後は後醍醐天皇の御世(1319年)に当国の守護職二階堂出羽入道道蘊(貞藤)が、五穀豊鏡・産業発展を祈って宇賀之売命を勧請し、文明十年(1478年)六月に太田道灌が、風水害、疫病退散を祈り牛頭天王を勧請した。


社名が現在の品川神社になったのは明治からで、新編武蔵風土記稿には稲荷社と記されていた。品川神社は北品川宿、荏原神社は南品川宿の鎮守を担っていて両社は朱印地争いを起こすほど対立していたらしい。


境内は京浜急行「新馬場駅」から第一京浜を渡ってすぐの場所にある。一の鳥居は昇龍・降龍が彫られた双龍鳥居で、阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社と宿鳳山高円寺境内の稲荷社のものと合わせ東京三鳥居と言われる。


一の鳥居から石段を上っていくと二ノ鳥居が見えるが、途中の左手には浅間神社の富士塚につながる入口がある。二ノ鳥居の先にはさらに鳥居があり、右手に神楽殿が見える。参道を進んで拝殿手前左手に手水舎がある。


拝殿の右手奥には境内社の阿那稲荷神社が鎮座し、さらに右奥に進むと別の社殿と八百萬神社・大國主恵比須神社・天王白龍辨財天社の祠が並ぶ。またその横には「一粒萬倍の泉」という御神水があり、お金を洗うと万倍になると言われる。


御朱印は拝殿左手にある社務所の玄関を少し入ったところに窓口があるのでそこで御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。なお品川神社は東京十社の一つに数えられるが、東海七福神めぐり発祥の碑もあり、当社には大黒天が祀られている。



2018/10/16

小日向神社

文京区小日向にある神社。もともと小日向の鎮守として栄えていた氷川神社と現在の音羽三丁目に鎮座していた田中八幡神社が明治二年に合祀され現社名になったとされる。明治五年には村社に列せられた。


東京メトロ江戸川橋駅から神田川を渡り、目白通りから一本奥の道を飯田橋方面に少し歩いたところにある服部坂を上ると鳥居が見える。交差点に小日向神社入口という表示があるのでわかりやすい。


服部坂とは江戸時代この地に旗本の服部権太夫の屋敷があったことに因んでそう呼ばれたらしいが、実は服部氏屋敷跡に移されたのが小日向神社となる。おそらく江戸時代は今よりも眺望のよい場所だったと推測される。


鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎がありやや右手正面が拝殿となる。参道には古い台座の一対の狛犬がある。狛犬本体は新しいもののようだ。


社殿の右側には境内社として秋葉稲荷神社が鎮座。そういえば参道途中に謎の鳥居と火の用心の石碑があったので火除けに関係があるのかもしれない。


なお御朱印は社殿の右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。社務所は自宅も兼ねているような建物で呼び出す際に少し気が引けたが快く応じていただいた。


2018/10/04

根津神社

文京区根津にある神社で景行天皇の御代日本武尊が駒込の地に創祀し、文明年間(1469~1487年)に太田道灌が社殿を奉建したとされる。御祭神は須佐之男命・大山咋命・誉田別命で東京十社の一つに数えられる。


主祭神の須佐之男命は災厄除け・厄祓いのご利益が期待できるが、相殿神として大国主命・菅原道真公が祀られているため縁結び・商売繁盛、学問・合格祈願にもご利益があるとされる。


東京メトロ千代田線の千駄木または根津駅からも、南北線の東大前駅からも徒歩で約5分程度の距離に境内がある。不忍通り沿いを歩き根津神社入口の交差点が見えたら道を置くに入れば表参道につながる。


鳥居をくぐり参道を進んでいくと神橋があり、その先に楼門、右手に舞殿を見ながら唐門に至る。門をくぐると正面に社殿が確認できる。社務所は客殿として舞殿の右奥にあるが透塀の中に授与所がある。


現在の社殿は宝永三年(1706年)五代将軍徳川綱吉が造影したもので、社殿の他に唐門、透塀、楼門等すべてが戦災から逃れて現存。国の重要文化財に指定されていて外国人観光客も数多く訪れる。


楼門の手前を左側に上っていくと境内社の乙女稲荷神社につながる千本鳥居が連なり、さらにその先に進むと駒込稲荷も鎮座する。途中には庚申塔や力石、賽の大神碑もあり見どころが多い。


春には100種3000株が咲き誇るつつじ苑で文京つつじまつりが開催され、7000坪ある境内が人で埋め尽くされるほど賑わう。平常日に訪れるのは今回が初めてだったためゆっくり散歩ができて大変良かった。


なお御朱印は授与所で拝受できる。御朱印帳を窓口で渡して書き上がるのを待つ形式で、オリジナルの御朱印帳もあるようだ。授与所の入口に御朱印の案内表示があるのでわかりやすい。


2018/10/03

品川貴船神社

品川区西品川にある神社。和銅二年(709年)藤原伊勢人の勧請により創建。古くから貴布裲大明神と称し水神として崇められていたが、享和三年(1803年)に貴船神社と改められた。


御祭神は高龗大神と素盞嗚尊で、社殿は昭和二十年(1945年)に戦災により焼失したが、昭和四十二年に西品川氏子六地區の崇敬奉賛の熱意により再建された。荏原神社の旧鎮座地に鎮座しており、同社の元宮と言われている。


今回は自転車にてお詣りをしたが、徒歩の場合はJR大崎駅が最寄り駅となる。住宅街の中にあって少しわかりにくいが南側の表参道以外からも境内に入ることができる。区立の西品川保育園が見えたらその先に鳥居が見える。


鳥居の脇には大きな布袋像が置かれていて、そのまま参道を進むと二ノ鳥居。その先の左手に手水舎がある。手前の左手には神楽殿があって正面が拝殿となる。また社殿の左側には境内社として満潮宮・三ッ木稲荷神社・大山祇社の合祀殿が鎮座する。


さらに境内には居木橋村と品川宿枝郷三ツ木との境にあった「文政11年銘道標」がある。これは居木村代々の名主であった松原氏が造立したもので品川区指定史跡となっている。


なお御朱印は社務所で拝受できる。書き置きのみでインターホンで呼び出し御朱印帳を渡すと貼り付けしていただけるが、貼付けをせずに袋に入れて受けることも可能。初穂料は300円だった。


2018/10/01

吹上稲荷神社

文京区大塚にある神社で創建は元和八年(1622年)、徳川秀忠公が日光山より御神体を奉持し江戸城吹上御殿内に勧請。後に松平大学頭が徳川家より拝領し宝暦年間前に武蔵国北豊島郡大塚村の総鎮守として遷座した。


その後も護国寺や旧大塚村周辺で遷座を繰り返し、明治四十五年に現在の場所に遷座したのは市内電車開通に伴う道路の拡幅によるためとされる。大祭は9月22日の前後の土・日曜日に催され今でも賑わいを見せる。


護国寺駅から不忍通りを上野方面に進み、春日通りと交差する手前の道を左に入ったところに鳥居が見える。鳥居をくぐると参道が少し高台になっている場所まで続き、二ノ鳥居をくぐった先の左手に手水舎がある。


2体の狐像に挟まれた参道正面が拝殿となっていて、右手には社務所という配置で境内は小規模ながらも木々に囲まれているせいか、神社独特の静寂さが感じられる。護国寺の裏手にある住宅地内ということも影響していると思われる。


なお御朱印は社務所で拝受できる。この日は書き手不在ということで書き置きのものをいただいた。通常はインターホンで呼び出して御朱印帳を渡し、書き上がるのを待つ形式となる。