2017/10/20

宝田恵比寿神社

中央区日本橋本町にある神社。徳川家康江戸入府以前は宝田村の鎮守だったが、江戸城拡張により現大伝馬町へ遷座した。


この地は金銀為替、駅伝、水陸運輸と賑わったがべったら漬発祥の地でもあり現在でもべったら市が毎年開催される。


御祭神は事代主命、少彦名命、大国主神、大己貴命、素盞嗚命だが、日本橋七福神の恵比寿神も祀られており、規模の小さな神社ながら正月も活気づく。


普段は無人の神社でオフィス街の中でひっそり佇んでいるが、今回はべったら市だったので大勢の人が参拝に訪れていた。


正月とべったら市の際は御朱印受付所が設置され御朱印をいただくことができる。行列しているのではないかと思っていたが、3~4人並んでいただけですぐに対応していただけた。


2017/10/19

大泉天神北野神社

練馬区東大泉にある神社。公式サイトによれば創建年代は不詳ながら三十番神社として江戸時代初期には建っていたことが古い書物に残されているらしい。


土支田村の鎮守として人々からは「土支田村の番神さま」と呼ばれていたが、明治の神仏分離令により三十番神さまを祀ることができなくなった。明治7年に北野神のみを祀り、名前を北野神社と改めた。


西武池袋線の大泉学園駅の近く。一の鳥居をくぐり参道を真っ直ぐに進むと左手に瑞穂稲荷神社があり、その先が二の鳥居。三の鳥居の手前に手水舎、透き塀に囲まれた三の鳥居の先が拝殿となる。


また本殿の右手に境内社があるが祀られているが神様については不明。明治四十二年にいくつかの稲荷神社を合祀したらしいがそれであるかどうか確認はできなかった。


御朱印は境内右手にある社務所でお願いできる。インターホンで呼び出す形式で中に入れていただくが、この日は書き手不在ということで書き置き対応だった。


2017/09/30

巣鴨猿田彦大神庚申堂

豊島区巣鴨にある庚申堂で文亀二年(1502年)に高さ8尺(約2.4m)の庚申塔が建てられたのが始まりとされる。


庚申塚由来記によると昔、巣鴨の庚申塚は中山道の本街道で板橋宿の一つ手前の立場として上り下りの旅人の往来が激しく、休息所として賑わっていたとある。


明暦三年(1657年)に庚申堂の碑に立て掛けられた材木が倒れて庚申塔に当たり五つに砕けてしまったため、これを土中に埋められた。その上に再建したのが現在の庚申塔らしい。


明治初期に千葉県銚子市の猿田神社より猿田彦大神を勧請し合祀した。1972年に巣鴨庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され現在も護持している。


都電荒川線の庚申塚近くにあり、山門の先に一対の神猿がいる。境内は広くないため参拝客ですぐにいっぱいになってしまう。


通常は無人なのだが庚申の日に例祭があり、その時だけは御朱印を拝受できる。午前中10時過ぎでもすでに40人くらいの行列ができていた。

2017/09/21

池袋氷川神社

豊島区池袋本町にある神社で、旧池袋村の鎮守さま。創建は古文書記録がなく詳細は不明だが、埼玉県大宮市鎮座の氷川神社から分かれた神社と言われ、天保元年(1830年)の『新編武蔵野風土記稿』の池袋村の条には「氷川社 村ノ鎮守」の記述がある。


境内には富士山の溶岩で築造された池袋富士塚がある。明治45年に富士講の一つである池袋月三十七夜元講によって築かれたもので、平成10年豊島区指定史跡となった。7月1日のお山開き以外は登ることはできないらしい。


池袋よりも下板橋駅に近い場所に位置し、住宅街の中に鳥居と長めの参道が現れる。参道を進むと二の鳥居があり、その手前にはユニークな表情の狛犬が一対。その先の右手が手水舎となる。


正面には空襲で被災後に復興し、1965年に造られた社殿があり、その左奥に池袋富士塚が見える。社殿右手には日本武尊、菅原道眞命、應神天皇を御祭神とする境内社がある。


境内は広く、古くてとてもよい風合いの神輿庫や土俵?(カバーがされていて確認ができない)や一部は児童公園となっていて参拝後の休憩には最適なスペースとなっている。


御朱印は富士塚の裏手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で、御朱印帳を渡して待つ形式。とても丁寧に対応いただいてありがたかった。


2017/09/19

多摩川浅間神社

大田区田園調布にある神社で、創建は約800年ほど前と伝えられる。分治年間(1185~1190年)に源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した際に、夫の身を案じた妻政子が道中にわらじの傷が痛み、やむなくこの地で治療することになった。


この時亀甲山に登ってみると富士山がじつに鮮やかに見え、政子は富士吉田にある自分の守り本尊がある浅間神社に手を合わせ、身につけていた正観世音像を祀ったという。この像を村人たちが富士浅間大菩薩と呼び、これが社の始まりとなった。


御祭神は山嶽を守る神である木花咲耶姫命で家庭円満、安産、子安の神とされ火難消除、航海、漁業、農業などの守護神として崇敬されている。


古墳(荏原台古墳群)の上に鎮座する神社として知られ、参道が富士登山を思わせるような造りになっている。石段途中には富士講による石碑などもあり、いかにも浅間神社らしい。


多摩川沿いに位置し石段を上りきると左手に手水舎があり、その向こうの見晴台のようなスペースからの眺めが良い。参道正面は社殿になるが浅間造の建築様式は都内唯一らしい。


参道の右手には境内社として小御岳神社、稲荷神社、三峯神社、阿夫利神社が並び、夫婦銀杏の御神木や神楽殿も見える。


御朱印は石段を上る手前にある社務所で拝受できる。インターホンで呼び出し、窓口で御朱印帳を渡して待つ形式。社務所入り口に椅子が用意されているのでそこに座るように案内される。


玉川神社

世田谷区等々力にある神社。社の栞によると創建年代は不詳だが、一説には文亀年間(1501~1504年)に世田谷城主吉良頼康が紀州の熊野三山から勧請したと伝えられ、元の社号は熊野社だった。


熊野の分霊を迎い入れたことから伊邪那岐命、伊邪那美神、事解男神を祀り、末社には祓戸社、八幡社、天神社、稲荷社、えびす大国社、三峰社がある。


明治四十一年に村内奉祀の神明社、御嶽社、諏訪社の三社、天照大御神、櫛眞知命、少彦名命、建御名方神、事代主神を合祀したことから、地名をとって玉川神社へ改称した。


目黒通り沿いに鳥居が見え、石段を上っていくと広い境内に出る。右手に手水舎、左手に神楽殿があり二対の狛犬の向こう側正面が拝殿となる。この他に岩獅子もあって意外に狛犬が多い。


祓戸社は拝殿手前に遷されたようだが、拝殿左手奥には天神社と八幡社の合祀殿、その他、大國社、稲荷社、三峰社、神明社が祀られている。


御朱印は拝殿右手にある社務所でいただける。インターホン呼び出し形式だが、この日は台風により落ちた枝の掃除をしていたところ、わざわざ対応していただいた。10分位話し込んでしまい、帰り際に世田谷神社マップをいただいた。



2017/09/18

上目黒氷川神社

目黒区大橋にある神社。由緒書きによれば創建は天正年間(1573~1592年)に甲州の武田信玄の家臣であった加藤家が上野原より産土の大神をこの地に迎えたのが始まりとされる。


御祭神は素盞嗚命、天照大御神、菅原道真公の三神で、昔から氏子が疫病知らずと言われ、現在では厄除の神様として親しまれている。


国道246号沿いに鳥居があり、その先はすぐに急勾配の石段を上る。上りきった正面が拝殿で、手水舎は少し離れた右手にある。また左手には神楽殿で、社殿の左右に境内社がある。


左手にあるのが稲荷神社、右手にあるのが浅間神社。浅間神社は上目黒一丁目の目切坂にあった元富士を明治十一年氷川神社に遷した。


昭和五十年頃に富士山を登っている感覚が味わえるようにと登山道が造られた。昭和六十年くらいまでは頂上から富士山を見ることができたらしい。


御朱印は参道右手にある社務所で拝受できる。御朱印帳を渡して待つ形式だが、ベンチが用意されているので境内を眺めながらゆっくり待つことができる。