2018/03/28

下神明天祖神社

品川区二葉にある神社で、蛇窪村が立会川の上流地域と下流地域とに分かれるに伴い下蛇窪村の鎮守として創建されたと伝えられる。したがって正式名は「天祖神社」としながら近くにある上神明天祖神社と区別するため下神明天祖神社と称される。


東急大井町線の下神明の駅名の由来ともなっているのだが、現在の地名は上神明天祖神社も下神明天祖神社も品川区二葉なのでややこしい。公式サイトに他社と間違って連絡する方がいるとの注意書きがあるが上神明天祖神社だと思われる。


最寄駅としては下神明が近いが、大井町駅からも徒歩10分ほどの場所にあるのでわざわざ乗り換える必要は無さそうだ。長い参道と鳥居が見えるのですぐにわかる。


一の鳥居、二の鳥居と進むと正面に拝殿が見えてくる。左手に手押しポンプ式の手水舎があり、その先では品川区内最大とされる大迫力の狛犬が出迎えてくれる。社殿は神明造りの社殿で昭和四十八年に再建されたものらしい。


社殿左手には境内社の稲荷社が鎮座。明治四十二年に遷座されたらしいが、こちらの狐の像は先ほどの狛犬と対照的にとてもかわいらしい感じ。笑っているように見えて親しみを感じる。


なお御朱印は拝殿右手にある社務所で拝受できる。今回は御朱印帳もいただき初穂料は御朱印も含めて1,500円。雅楽の普及活動もしていて雅楽の雑面(舞楽面)をモチーフにしたお守りもある。


2018/03/27

駒繋神社

世田谷区下馬にある神社。平安時代後期の天喜四年四月(1056年)に源義家公が父頼義公と共に朝廷の命を受け、奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向う途中、当社に立ち寄り武運を祈ったと伝えられる。


御祭神は大国主命で当社が子の神、子の明神と呼ばれて親しまれてきたということもあり、今でも安産祈願や初宮詣のご祈願で多くの人が訪れるという。源氏の伝承がいくつもあり、参拝のしおりにも源氏ゆかりの子の神と謳われている。


三軒茶屋と祐天寺の間くらいの場所に位置し、現在は暗渠となっている旧蛇崩川に掛かる赤い橋の向こう側に鳥居が見える。鳥居をくぐると石段があり上りきった右手に手水舎がある。


参道正面に見える社殿は鉄筋コンクリート造だが、龍の彫刻など凝った造りになっていて風格すら感じる。高台にあるせいか、本殿が非常に大きく感じられ歴史ある神社であることがわかる。


また明治時代に竣工された神楽殿や境内末社として三峯神社、御嶽神社、榛名神社の合祀殿と稲荷神社2社、招魂社が鎮座しており、各末社とも下馬の氏子崇敬者の尊崇を集めている。


なお御朱印は社務所でいただける。インターホン呼び出し方式で、今回は書き手不在のため書き置きのものをいただいた。


2018/03/25

日比谷神社

港区東新橋にある神社。創建の詳細は不明だが由緒書によれば古くから日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神、旅泊稲荷明神と称していたらしい。


江戸城築城に際し慶長十一年(1606年)日比谷御門を造営することとなり新橋の地に遷座。その後、関東大震災の影響で昭和三年の都市計画区割整理により愛宕下町二丁目に換地され、現在の現在の新橋四丁目に社殿が造営された。


平成二十一年には環状2号線の建設により社殿を東新橋二丁目に建造することになり現在に至る。その他、過去には幾多の災厄に遭うも、氏子崇敬者の厚意により再建され現在も周辺地域の氏神として崇敬を集めている。


場所は汐留駅からが一番近いが新橋駅からも徒歩5分程度。環状2号線と第一京浜が交差するところに赤い鳥居が見える。鳥居をくぐって階段を上がると正面が拝殿で、左手に手水舎、その脇に境内社の稲荷社がある。


社殿右手に授与所があり、そこで御朱印を拝受できる。本日は書き置きでの対応と掲示されていたが、たまたま書き手がいらっしゃったため御朱印帳に直書きいただけた。




2018/03/18

小岩神社

江戸川区東小岩にある神社。天文五年(1536年)『五社大明神』と呼ばれ広く尊崇を集めていた東葛西領行徳に鎮座されていた古社を下小岩村の萬福寺に遷座。その後、天保11年(1840年)に現在地に遷座し、明治初年に小岩神社と改称された。


御祭神は天照皇大御神、住吉大神、天児屋根大神、八幡大神、衣通姫大神でほぼ毎月祭典が予定されているが、大きな行事として5月には和霊神社例祭、8月には例大祭が執り行われる。


JR小岩駅から徒歩10分ほどの場所にあるが、住宅街の中にあって鳥居を見るまではそこに神社があることが信じられないほどだ。しかし鳥居をくぐると左手に手水舎、さらにその先に神門があり、正面が拝殿となる。


境内には富士塚や稲荷神社複数の境内社が鎮座。またわらじ石を撫でながら祈願すると、足の怪我や病気などが治るというわらじ石も置かれている。広い境内ではないが古くから信仰の場所だったことがわかる。


なお御朱印は拝殿右手にある社務所の窓口でお願いできる。御朱印帳を渡して待つ形式でオリジナルの御朱印帳もあるようだ。御朱印といっしょに由緒書とせんべいをいただいた。


2018/03/15

久富稲荷神社

世田谷区新町にある神社で、創建の資料が現存していないため詳細は不明だが400年ほど前と言われている。兼務社として伊富稲荷神社が別の場所にあり例祭は二社同時に行われるようだ。


由緒書資料によると現在の社殿は昭和四年一月に改築が企画され昭和六年十一月二十二日に遷座祭りが行われた。その年の祭禮は、一週間に渡り執り行われた氏子の間でも語り草になったという。


御祭神は宇迦之御魂命、大宮女命、猿田彦命。昭和の中頃に境内にふくろうが住みつき、参拝の際にふくろうの姿や鳴き声を聞くと願いが叶うと噂になり、ふくろうのお社が造られ現在でも祀られている。


住宅街の中を通る長さ約250メートルの参道が名物として知られており、例大祭にはたくさんの露店で賑わうようだ。南側にも大きな鳥居があり、そこをくぐって右手に手水舎、左に折れるかたちで拝殿が見える。


御朱印は授与所で拝受できるが、無人の場合はインターホンで呼び出して御朱印帳を渡す形式。今回は午後2時頃にはご不在で、桜新町周辺を1時間ほど散歩して再度伺うと対応いただけた。


桜神宮

世田谷区新町にある神社で、由緒書によると明治15年に伊勢神宮の禰宜であった芳村正秉が、「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方向に政府方針を変更したことに危機感を抱き創建した。


社殿は明治十七年に神田今川小路に建立され、大正十三年に現在の地に移築された。これにより関東大震災による被害から免れることができたとされ、また第二次大戦時も無事戦災から免れたため「災難よけ」としても崇敬を受けている。


田園都市線の北口から歩いてすぐの場所に境内があり、さくら幼稚園が隣接する。鳥居をくぐると右手に手水舎があり、正面が拝殿。大中臣神道の作法なので一般的な二拝二拍手一拝ではなく四拝八拍手一拝とされている。


御朱印は拝殿左手にある社務所窓口で拝受できる。桜神宮と名が付くこともあってか季節の関係からか桜で満たされている。境内には河津桜が満開に咲いていた。


2018/03/11

第六天榊神社

台東区蔵前にある神社で、第六天神の総本宮とされる。古くから第六天神宮と呼ばれていたが明治の神仏分離令の際に榊神社と改称された。ツイッターのアカウントでは第六天榊神社となっているが現地では第六天の文字が表記されていない。


日本武尊が、景行天皇四十年年(110年)に創建したと言われ、御祭神は天神第六代坐榊皇大御神、面足尊、惶根尊で、元々は森田町(現蔵前3丁目)に鎮座してたが昭和三年に、浅草文庫の跡地だった現在の場所に移ったらしい。


都営浅草線の蔵前駅から近く、須賀橋交差点を少し入ったところに鳥居が見える。鳥居をくぐると右手に手水舎、正面が拝殿で左手には神楽殿がある。ビル街の中にありながら境内だけ澄みきった空気が流れている。


境内社として繁昌稲荷神社と七福稲荷神社、豊受神社、事比羅神社の合祀殿がある。また境内には浅草文庫跡碑があり、当時の和・漢・洋の蔵書数は11~13万冊とも言われている。


なお御朱印は拝殿右奥にある社務所でいただくことができる。授与所のような建物があるが無人の場合はインターホンで呼び出してお願いすることとなる。初穂料は300円で御朱印帳を渡して外で待つ形式。丁寧に対応していただいた。


2018/03/04

高木神社

墨田区押上にある神社で、創建は不詳ながら、由緒書によると応仁二年(1468年)、室町時代に旧寺島新田の鎮守として尊崇され、古くは「第六天社」と呼ばれていたらしい。


御祭神は高皇産霊神だが、神仏習合の時代に第六天魔王を祀る神社だったと考えられる。現在も隣接する正圓寺は旧別当寺で、明治の神仏分離令により現在の高木神社に改称された。


押上駅から7分くらい歩いて道幅の狭い道を入っていくとまず飛木稲荷神社があり、その先に小さい鳥居と大鳥居が並んでいる。大鳥居をぐってすぐ左が神楽殿、拝殿の正面に手水舎がある。


拝殿の左側、神楽殿の先に社務所があり神輿庫も見える。御朱印は社務所でいただくのだが、御朱印の種類が多く事前に申込用紙にチェックして御朱印帳と一緒に預けて番号札をもらう形式。混雑時はかなり並ぶらしい。


境内はそれほど広いとは言えないが、椅子が用意されていて番号を呼ばれるまでそこで待つことになる。御朱印といっしょに「むすび石」もいただいた。


2018/03/03

子安神社

八王子市明神町にある神社。天平宝字三年(759年)に橘右京少輔が第47代淳仁天皇の皇后御安産祈願のために創建されたとされる。


以後、安産の神として知られるが八幡太郎義家が奥州下向の折に戦勝を祈念して欅十八本を奉納し、これを船形に植樹したことから船森と称されるようになったらしい。


御祭神は木花開耶姫命、天照大御神、素盞鳴尊、大山咋命、奇稲田姫命で古来から八王子は素より多西郡と呼ばれた多摩川の西側の総鎮守として崇敬を集めている。


JR八王子駅から5分程度の場所にあり少し小高くなったところに鳥居が見えるのですぐにわかる。鳥居をくぐると左手に神楽殿、手水舎があり正面に拝殿が見える。


参道右手に授与所があり、その右奥は池のある庭園で末社の厳島神社が鎮座。そして本殿右奥には金刀比羅神社と末社五社の合祀殿がある。


本日は初午祭で神楽殿では狐のお囃子と舞、夕方になると狐の化粧をしたりお面を付けてキツネの行列といって八王子の街を練り歩くらしい。午前中から行ったので行列には参加しなかったがプラスチック製のお面を購入した。


御朱印は初午祭の限定ということで、金刀比羅神社の方で受付をしてQRコード付きの整理券をもらい書き終えるとツイッター上に番号が掲載されるというシステムになっている。御朱印帳を預けてゆっくりとお祭り気分が味わえた。