2018/04/29

笠間稲荷神社 東京別社

中央区日本橋浜町にある神社。安静四年(1859年)に日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社から分霊し、笠間藩主牧野氏の江戸の邸内に勧請したのが始まりとされる。


御祭神は宇迦之御魂神で五穀豊穣のの守護神として古くから人々の崇敬を集めているが、現在は日本橋七福神めぐりの一社にもなっていて寿老人を祀っている。


都営線の浜町駅からすぐの場所にあり、鳥居からすぐに手水舎と拝殿が見える。日本橋界隈の神社は小規模のものが多く、末廣神社も近くにある。おそらく正月の七福神巡りの際はここも混み合うと思われる。


御朱印は拝殿左手にある社務所の窓口で拝受できる。御朱印帳を渡すとその場でさっと書いていただける。初穂料は500円でオリジナルの御朱印帳もあった。日本場七福神巡りは別の機会にしたいので今回は神社の御朱印のみ。


2018/04/26

拝島日吉神社

昭島市拝島町にある神社。由緒書によれば創建の詳細は不明ながら江戸時代初期、天正年間(1573~591年)に隣接する大日堂再興の折に旧拝島村総鎮守山王社として現在地に建立されたとある。


桜町天皇の寛保元年(1741年)に山王大権現の称号を許されたが、神仏分離令により明治二年に現社名に改称。御祭神は大山咋神命、香山戸命、羽山戸命で現在も地域の氏神様として崇敬を集めている。


立川駅から拝島駅方面のバスに乗り「拝島大師」で降りると目の前に鳥居が見える。鳥居をくぐって参道を進み二ノ鳥居を先、石段を上って左手に手水舎、正面が拝殿となっている。


途中に藤棚のある拝島公園があり、公園右手には拝島大師がある。日吉神社と並ぶように建っているのは大日堂で神社と寺が同居しているように見える。藤の木は樹齢推定800年と言われ、東京都の天然記念物になっている。


また日吉神社の本殿の彫刻や拝殿格天井花鳥画、板壁絵などは安政二年(1855年)に造られたと言われ、昭島市有形文化財に指定されている。拝殿左側から順路案内があり、本殿を周ってこれらの素晴らしい文化財を鑑賞できる。


なお、御朱印は拝殿左手にある授与所でいただくことができる。御朱印帳を手渡し10分ほど待つと書き上がったものを受けることができる。初穂料は500円以上となっているがお守りも授与いただけるので大変ありがたい。


2018/04/22

東大島神社

江東区大島にある神社。江戸時代からこの地区に永平神社、子安神社、小名木神社、北本所牛島神社、南本所牛島神社があったが昭和二十年の東京大空襲ですべて焼失。その後、街の復興とともに再建の声があがり、昭和二十四年に合併し東大島神社が創立された。


しかし月日とともに社殿等の老朽化が進み、昭和五十三年に現社殿・参集殿が建立。平成十四年に御鎮座50年事業として社殿の修復、平成十九年に境内玉垣改修工事等も行われ、現在の姿になった。


場所的には都営新宿線の大島駅と東大島駅の中間あたりに位置し、新大橋通りから少し北に入ると江東区有形文化財に登録されている大鳥居が見える。境内は広く立派な社殿の他にも庚申塔や力石など様々な石材物も並ぶ。


境内の一角が公園になっており、たまたま植木市が開かれていた。大きな通りの近くにありながら静かで清々しい空間が広がっているのは神社ならではの光景と言える。ベンチも用意されていたのでしばらく休憩することにした。


なお御朱印は社殿右手にある社務所でお願いできる。インターホン呼び出し形式で入り口で御朱印帳を渡して待つ。江東区内の神社のリーフレットもいただきありがたかった。



2018/04/19

穏田神社

渋谷区神宮前にある神社で創建年代は不詳。江戸時代までは第六天社と称しており、明治時代の神仏分離の際に社号を穏田神社に改め、その後は縁結びや技術や芸の上達にご利益のある旧穏田村の鎮守として崇敬を集めている。


渋谷からキャットストリートを進み、路地を入った裏手に境内がある。鳥居をくぐると駐車場として利用されているのか車が並び、なぜか肥前狛犬に迎えられる。右手に手水舎があり参道を進むと本殿。その手前には通常の狛犬もある。


キャットストリート沿いは裏原宿とも呼ばれ、閑静な住宅街の中にあるので境内は静かな空間となっている。子供の頃、渋谷川が暗渠になる前の記憶がかすかに残っていてしばしば川が氾濫したらしい。


戦災により消失した社殿は昭和三十一年に再建されたが、老朽化したため平成十年に新築され現在の姿になったらしい。境内社として出世稲荷神社が鎮座し、その傍らに漢方医薬の大家である河野カタ女史の像が置かれている。


御朱印は拝殿右手にある社務所でいただくことができる。書き置きのみだが穏田神社と出世稲荷神社の両方があり日付を入れたものを拝受できる。境内社の御朱印には水車のスタンプも押されている。


2018/04/10

神楽坂若宮八幡神社

新宿区若宮にある神社。鎌倉時代の文治五年(1189年)秋に源頼朝公が奥州の藤原泰衡を征伐するため当所にて宿願し奥州平治の後に宮鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を分社して創祀したとされる。


その後、一時衰退するも文明年間(1469~1487年)に太田道灌が江戸城鎮護のため再興させた。昭和二十年の空襲で社殿は焼失したが昭和三十四年に再建。現在の真新しい社殿は平成十一年に造営されたものらしい。境内社として小さな稲荷神社もあった。


神楽坂駅から早稲田通りを飯田橋方面に歩いて飯田橋駅の手前で右に入った奥に鎮座する。鳥居をくぐりすぐ左手が手水舎、正面が社殿というシンプルな構造。境内は大きくはないが手入れが行き届いている。


御朱印は右手にある社務所でいただける。インターホン呼び出し形式で、宮司さんにとても丁寧に対応していただけた。お聞きするのを忘れてしまったがお守りや御札などは見当たらなかった。


2018/04/08

亀戸浅間神社

江東区亀戸にある神社。日本武尊が東征の折、相模から上総へ船で向かう際に暴風に遭い、日本武尊に従っていた弟橘媛が自らの身を海に投じたところ暴風が止み船は無事に着くことができた。


その後、弟橘姫の笄と櫛が奥湾に漂着し、それを埋めた笄塚に祠を立てて祀ったのが始まりとされる。大永七年、後奈良天王・室町時代(1527年)里人・甘露寺元長が富士山より木花咲耶比売を勧請し、浅間社として創建した。


現住所は亀戸9丁目だが、都営新宿線の東大島駅からの方が近く、高層マンションに囲まれながら住宅街の中に立派な鳥居が見えてくる。境内の東南にある六ッ目地蔵小屋には他の供養塔と一緒に庚申塔がある。


大鳥居をくぐると左手に手水舎、さらに参道を進むと右手に社殿が見えてくる。また境内北側には旧社地だった亀戸の富士塚(笄塚)がある。現在は公園として整備されているが石碑や奉納碑、猿の石像が残る。


境内社として稲荷神社と下浅間神社が鎮座する他に富士せんげん道道標、水盤、石燈籠、天水桶など数多くの文化財が置かれている。


御朱印は社務所で拝受が可能。インターホン呼び出し形式で、御朱印帳を渡して待つタイプ。初穂料は500円で御朱印と一緒にしおりもいただいた。


2018/04/06

駒込妙義神社

妙義神社は豊島区駒込にある神社。当時東国にいた民族である蝦夷を討つために日本武尊が東征した際に当社地に陣営を構えたと伝えられる。


その後、この地に社が社が建てられ、日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から白鳥社と号したと言われる。


また太田道灌が文明三年(1471年)戦の前に当社を参詣。神馬、宝剣を寄進し戦勝を祈願し戦勝したことから豊島区最古の戦勝の宮とされている。


駒込駅から本郷通沿いを北上すると参道入口の案内板があるので、ビルの間を入っていくと鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり石段を上ると左手に龍の手水舎があり正面が拝殿となっている。


また拝殿右手奥には境内社として太田道灌公が祀られた末社道灌霊社が鎮座。そのすぐ隣には寛永十九年(1642年)庚申塔(豊島区有形文化財)もある。これは昭和40年に現在の社殿を再建する際、境内から発掘されたものらしい。


拝殿の左手に社務所があり、通常はそこで御朱印をいただけるようだが今回は留守のため、拝殿に置かれた書き置きの御朱印を手に取り、初穂料を賽銭箱に入れる形式になっていた。


大國神社

豊島区駒込にある神社で天明三年(1783年)に宮司大島家が現在の地に移り住みお祀りしたのが始まりで、明治十二年(1879年)元老院幹事細川潤次郎男爵の協力を得て神社となった。


昭和二十年の空襲で消失し、戦後間もなく再建されたが老朽化のため2012年に社殿や境内の再整備が行われ現在に至る。御祭神は大己貴命(大國主命)で、十一代将軍徳川家斉が参詣し後将軍職を継いだため出世大黒とも呼ばれた。


場所はJR駒込駅北口を出てすぐ目の前で、鳥居と社殿が見える。鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎、正面が社殿、右手は鉄筋造りの社務所という配置になっている。


なお御朱印は社務所でいただけける。窓口に人が不在の場合はインターホンを押すと対応してもらえ、由緒書等の資料もお願いするといただけるようだ。