2019/02/18

駒留八幡神社

世田谷区上馬にある神社。徳治三年(1308年)に当地の領主北条左近太郎入道成願が八幡宮を勧請。世田谷区の資料によれば手綱を緩めて馬の止まった所に経筒を埋めて塚を築き、その上に本殿を造営して駒留八幡として祀ったとされる。


永禄年間(1558~1570年)に世田谷城主・吉良頼康の側室だった常盤が不義の疑いをかけられ、子どもを身籠もったまま自害。後に無実だったとわかり死産した男児を若宮八幡として祀り、常盤は弁財天として祀られた。これを常盤姫伝説という。


境内は環状七号線と世田谷通りが交差する地点から少し奥に入った場所にある。一之鳥居をくぐり参道を進んで石段を少し上がると二ノ鳥居、その先左手に手水舎、正面が拝殿という配置で、右手には神楽殿も確認できる。


また、社殿左奥には多くの境内社が鎮座。常盤を祀った厳島神社、戦没者慰霊殿、駒留稲荷神社、女塚社、御嶽社と菅原社・榛名社・三峯社がある。厳島神社は常盤姫伝説を知っていると気になるが戦前まであった池は埋め立てられたらしい。


なお御朱印は社殿右手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を預けて書き上がるのを待つ形式で初穂料は300円。とても丁寧に対応していただきありがたかった。


2019/02/14

装束稲荷神社

北区王子にある神社で、王子稲荷神社の摂社。大晦日になると関東一円の狐がこの神社の榎に集まり装束を整え、近くの王子稲荷神社へ初詣をしたという伝説があり、歌川広重の浮世絵にも描かれている。


境内掲示には「昭和20年4月13日の大空襲の際猛烈な勢いで東南より延焼して来た火災をここで完全に食い止めて西北一帯の住民を火難から救った」とあり、火防の神としての信仰も厚い。


JR王子駅から徒歩3分程度の場所にあり、社殿の他に装束榎の碑も確認できる。関東三大稲荷の一つとする説もあるが、王子稲荷神社が源頼義より「関東稲荷総司」の称号をいただき、当社が王子稲荷神社の摂社であることから考えると王子稲荷神社の誤りでは?と考える。(あくまで個人的な推察)


通常は社務所は閉まっており無人だが、初午祭と二の午祭には火防凧やお守りなどの授与や書き置きの御朱印をいただくことができる。なお、御朱印は4種類くらいの書体のものが用意され、選ぶことができる。


2019/02/10

江島杉山神社

墨田区千歳にある神社で、鍼灸師杉山検校が徳川綱吉公の難病を治療・回復させた功により、元禄六年(1693年)本所一ツ目に領地を与えられ、屋敷内に江ノ島弁財天を勧請したのが始まりとされる。


その翌年には荘厳な社殿が建立され、「本所一ツ目弁天社」として江戸庶民の信仰を集めたと言われる。明治四年に総録屋敷が没収されるが弁財天社は残され、社名を江島神社と改称する。


明治二十三年には杉山和一霊牌所即明庵が再興し、境内に杉山神社を創祀するが震災戦災により江島神社と杉山神社の社殿が焼失。その後、昭和二十七年に合祀し現在の江島杉山神社となる。


境内はJR両国駅から徒歩7分の場所にある。参道は南と西にあるが西側が表参道と思われる。鳥居をくぐって真っ直ぐに進むと拝殿が正面に見える。南側の参道と交差するあたりに二ノ鳥居、右手に手水舎がある。


手水舎の裏側には銭洗いや南側参道方面には太鼓橋がかかる弁天池、弁財天の石像なども確認できる。弁天池にある「いわやみちの碑」の奥には江の島岩屋を模した岩窟があって中に入ることができる。


中に入ると杉山和一検校の石像、宗像三女神の像、宇賀神の石像が並ぶ。また岩屋の左手には境内社として杉多稲荷神社も鎮座。想像していたよりも見どころが多く興味が尽きない。社務所の建物が杉山和一資料館にもなっている。


御朱印は社務所窓口で拝受できる。御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、初穂料は300円。今回はいただかなかったがオリジナル御朱印帳もあるようだ。大変丁寧に対応いただいた。


2019/02/04

簸川神社

文京区千石にある神社で、配布の資料によれば創立は第五代孝昭天皇御宇三年と伝えられ八幡太郎源義家が参籠した名社とある。御祭神は主祭神を素盞鳴命として稲田姫命、大己貴命の三柱で福徳円満、商売繁盛、縁結び、文芸の神として信仰が厚い。


当初は小石川植物園のある御殿坂辺にあった貝塚の古墳上にあったが、その後何度かの遷座を経て、元禄十二年に景勝地と言われた現在地に遷座した。社殿は戦災で焼失したが、1958年に再建。


社号は長年氷川神社を使用していたが、大正時代に疑問を持った神主毛利十世昌教が学者に研究を依頼した結果、簸川の文字が適合ということになり簸川神社に改めたらしい。


境内は都営線千石駅と東京メトロ茗荷谷駅との中間くらいに位置し、小石川植物園の裏手に入ると高台に鳥居が見える。鳥居をくぐって参道を少し進んだ左手に手水舎があり、少し回り込む感じに拝殿が建つ。


境内社は手水舎の右手前に五社神社、右手に白宝稲荷神社と水神社が鎮座。その左奥が社務所になる。境内には現代風の神楽殿があり、空きスペースは駐車場として利用されている。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印を渡して書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円で由緒などが記された資料もいただいた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。



2019/02/03

新小岩香取神社(間々井神社)

江戸川区中央にある神社。創建年代は不詳だが公式ページには元和三年(1617年)に經津主命を祀り再建されたとある。当地にはその当時16軒の農家しかなく、これらの農家が創立したと言われている。


神社庁の記述では旧名で「間々井神社」と言い、元和年間に悪霊を祓い清め鎮座とある。また明治の初期には間々井神社と称されていたらしい。御祭神の經津主命は刀剣の威力を象徴する神で厄除神として領内外の崇敬が厚かったとされる。


境内はJR新小岩駅から徒歩10分の場所にある。船堀街道を船堀方面に進み、小松川親水公園の手前の道を左に入ると鳥居が見えてくる。参道の右手に手水舎があり、鳥居をくぐった先が拝殿となる。


意外と境内社が多く、水神社、稲荷神社、鷲神社、猿田彦の命を祀る道祖神の他に「一之江の一つかみなり」と称された大雷神の碑も置かれている。またこの辺りは小松菜ゆかりの地としても知られ小松菜産土神の碑もあった。


なお御朱印は社務所で拝受できる。拝殿の左手前に御札殿があるがそこは閉まっていた。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で初穂料は500円。オリジナルの御朱印帳も頒布しているようだ。


2019/02/01

小石川大神宮

文京区小石川にある神社。いただいた資料によると、昭和41年3月、伊勢神宮崇敬者総代熱烈な起請により、神宮大宮司の決済を経て皇大神宮別大麻(特別神璽)を授与された。


これは特例に属するもので伊勢神宮の分神たる社格と由緒をもち遙宮と呼ばれ、現在に至る。なお平成8年の社殿修復では第61回神宮式年遷宮の際の月讀宮の古材を使用した。


小石川大神宮は境内がビルの敷地内にあることで知られているが、現在このビルが工事中で、河合塾の裏手に仮殿遷座している。手水舎や社殿は簡易的なもので社務所もプレハブ造りとなっている。


御朱印は仮の社務所で拝受できる。窓口から御朱印帳を渡し書き上がるのを待つ形式。なお御朱印も仮殿遷座記念の文字が入った特別なものとなっている。正式な社殿の完成時期をお聞きしたところ約1年後とのこと。元のビルには戻らず、現在の仮殿の奥の敷地に造られるようだ。