2018/11/18

磐井神社

大田区大森北にある神社で、敏達天皇の二年(573年)八月の創祀と伝えられる。公式ページによれば貞観元年(859年)官社に列した延喜式内社でこの神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたとされる。


鈴森八幡宮とも呼ばれ由緒書には江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。永正年中兵火にかかり社殿が焼失したが、享保十年(1725年)に徳川八代将軍吉宗公が造営したという記録がある。


境内は京急の大森海岸駅から3分ほど第一京浜沿いに歩くと鳥居が見えるのですぐにわかる。周辺は高層マンション等に囲まれているが、その場所だけ異なる雰囲気の流れる空間になっている。


鳥居をくぐると右手に手水舎があり、参道を少し進んだ正面が拝殿となる。一対の狛犬が出迎えてくれるが、子獅子6匹いる珍しいもので子宝の象徴として親しまれているようだ。この日は七五三の写真撮影に訪れる参拝客が多かった。


この他、境内には磐井の井戸跡や力石などもあり、特に大きな二本のご神木は存在感がある。また比較的規模の大きい神楽殿がありその周辺にはいくつかの石碑が見える。


境内社としては社殿右手に海豊稲荷神社、境内左手は小さな池に囲まれている笠島弁天社が鎮座。東海七福神の弁財天となっていて正月には七福神巡りが開催される。


御朱印は拝殿左手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、月ごとにカラフルな御朱印があるので人気があるようだ。今回は霜月(旧暦11月)と新嘗祭の御朱印をいただいた。


新嘗祭の御朱印


霜月の御朱印

2018/11/16

染井稲荷神社

豊島区駒込にある神社。創建年代は不詳だが、いただいた資料「染井稲荷神社の由来と染井村」によれば『江戸図説』安政二年(1773年)や『新編江戸志』寛政年間(1789~1801年)などの古文書に記録されていることがわかる。


古くから旧染井村の鎮守として知られているが、昭和七年以前までは東京府北豊島郡巣鴨町上駒込染井○○○番地と称していた。周辺は日本を代表する桜「染井吉野(ソメイヨシノ)」発祥の地と言われる。


最寄駅はJR駒込駅が近いと思われるが今回は自転車で巣鴨方面から染井よしの桜の里公園を目指し、境内の前に出た。住宅街の中にあるが春の桜の季節には桜里祭りも開催され賑わうようだ。


鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎があり正面に拝殿が見える。300年以上の歴史がありながら関東大震災や東京大空襲からも免れたため、火防の神として信仰を集めている。拝殿前には狐像ではなく可愛らしい狛犬が置かれている。


境内右手の参道を外れて奥に入ったところに境内社があるのだが、こちらも稲荷社。その手前には神輿庫もあり小規模ながら現在でも地域の鎮守の役割を担っていることがわかる。


なお御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。階段を上がった2階に入り口があり御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。染井村の資料や「駒込桜物語」のパンフレットも一緒にいただいた。


2018/11/05

芝東照宮

港区芝公園にある神社。元和三年(1617年)に増上寺境内に安国殿と称し徳川家康を祭神として創建。安国殿とは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」に由来する。


明治初期の神仏分離のため安国殿は増上寺から分かれ明治六年に東照宮と改称して郷社に列格。御神像を本殿に安置・奉斎した。昭和二十年(1945年)の東京大空襲で社殿は焼失したが、昭和四十四年(1969年)に復興奉賛会により現社殿が完成した。


都営三田線の芝公園駅から日比谷通りを歩いてすぐの場所に鳥居が見える。参道に一対の大きな狛犬があり、そのまま真っすぐに進んで石段を少し上ると右手に手水舎がある。その先が社殿で左手には「葵の井戸」と呼ばれる井戸もある。


また手水舎の奥には東京都の天然記念物に指定されている御神木。これは寛永十八年(1641年)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光公が植えたものと伝えられているもので、1993年の調査では高さが21.5m、幹囲約6.5m、根元の周囲が約8.3mあった。


戦後再建された社殿は鉄筋コンクリート造で色も鮮やか。旧社殿の面影はないが、御神像の寿像は御神木とともに残存する。芝公園内にあるため東京タワーも間近に見ることができ観光スポットにもなっているようだ。


御朱印は社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で初穂料は500円。御朱印は手書きで丁寧に対応していただき大変ありがたかった。


今回は日光杉並木の古材を使用した木製の御朱印帳もいただいたので御朱印と合わせて2,000円。大判にもかかわらずとても軽く、置いておくだけで木の香りがして癒やされる。


御田八幡神社

港区三田にある神社。公式ページによれば和銅二年(709年)に東国鎮護の神として鎮祀され延喜式内稗田神社と伝えられ、その後の寛弘八年(1011年)武蔵野国御田郷久保三田の地に遷座され嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇されたとある。


明治七年に三田八幡神社と改称したが、明治三十年には三田の冠称を御田の旧名に復し御田八幡神社と称するようになった。昭和二十年の東京大空襲で社殿を焼失するが、昭和二十九年には本殿権現造、幣殿・拝殿・神楽殿・社務所が再建された。


田町駅または泉岳寺方面から第一京浜沿いを進んでいくと、ビルに大きな社名をつけた看板?があるのですぐにわかる。鳥居をくぐり参道を進むと石段があり上りきった先が拝殿となる。


石段の手前には小さな池があり金網で囲まれた一対の狛犬に出迎えられる。石段の先右手に手水舎があり、その左前方には神楽殿が見える。拝殿の手前にも一対の狛犬があり元禄九年(1696年)に奉納されたものらしい。


社殿左手には境内社の五光稲荷神社と御嶽神社が並ぶ。その先に見立たないが稲荷社があって鳥居には伏見稲荷神社という表記がされていた。昼時は周辺のビジネスマンの休憩所になっているらしくかなりの人がいた。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。オフィス街にある神社だが竹林などもあってここだけ異空間という感じになっている。


2018/10/29

牟礼神明社

三鷹市牟礼にある神社。いただいた由緒書によれば天文六年(1537年)に北条早雲の家臣・北条(高橋)綱種が、上杉家の家臣・難波田弾正のたてこもる深大寺城に相対して陣を敷いた際、その陣営内にこの地の守護神として芝大神宮の御分霊を勧請したのが始まりとされる。


以来「お伊勢様」「神明様」と親しく尊称され、家内安全・五穀豊穣に御神徳があり、三鷹の氏神様としてはもちろん、広く各地の人々からも崇敬されている。また相殿の倉稲魂大神は高山で祀られていたのを明治時代に合祀したもので、商売繁昌の神様として崇敬されている。


境内は京王線の三鷹台駅から徒歩10分くらいの高台にある。駅からは回り込むようにして道を入ると石段を上った先に鳥居が見える。参道には石灯籠があり鳥居をくぐると一対の狛犬が出迎える。


さらに進むと左手に手水舎があり、石段を上った先に拝殿が見える。なお嘉永三年に造られたとされる本殿は覆殿の中に納められているらしい。裏手は駐車場があり社殿の脇は車祓所スペースになっている。


社殿左奥には境内社として三峯神社と榛名神社の合殿が鎮座。境内社についての詳しいことはわからないが、可愛らしい狛犬などもいてきちんと整備されている。付近は閑静な住宅街だが本殿とともに参拝客が多い。


御朱印は境内右手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式。女性の宮司さんに声をかけられ丁寧に対応していただいた。なお仏滅の日は閉められるようなので注意が必要だ。


2018/10/25

大泉氷川神社

練馬区大泉町にある神社。創建年代は不詳だが東京神社庁の公式ページによれば橋戸村(現大泉町)の鎮守として長い歴史があり、境内には嘉永二年(1849年)伊賀組衆108名が奉納した水磐と鳥居があり区の有形文化財に指定されているとある。


関越道の大泉インターの近く、目白通りに面した場所に鳥居が見える。電車だと最寄り駅は大泉学園駅になるのだと思うがかなり距離がある。今回は自転車だったのでわからないがバスを利用した方がよいかもしれない。


一の鳥居をくぐり灯籠が並ぶ参道を進むとその先に二ノ鳥居。そこから石段を上って右手に手水舎がある。柱に設置されたボタンを押すと水が出る仕組みになっているが勢いは強くないので飛沫が飛ぶようなことはない。


そこからさらに参道を真っ直ぐに進むと右側は開けていて一部駐車場として利用されているが立派な神楽殿があり、左手には社務所。そこから一対の狛犬に出迎えられながら正面が拝殿となる。


社殿の左手には境内社が並んでいて、社務所のすぐ脇にあるのが弁天社。さらにその右に境内社の祠があって一番右側が稲荷社。ここがかつて橋戸村を所領した伊賀衆の守護神だったとされる。


なお御朱印は社務所で拝受できるが、宮司さまの話しによれば留守がちなので、できれば連絡してから来てほしいとのこと。その他、練馬区内の神社は兼務社となっているところが多いのでやはり連絡後がよいと助言をいただいた。


2018/10/24

品川神社

品川区北品川にある神社。東京神社庁の公式ページによれば創建は文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請したのが始まりで品川大明神と称したとされる。


その後は後醍醐天皇の御世(1319年)に当国の守護職二階堂出羽入道道蘊(貞藤)が、五穀豊鏡・産業発展を祈って宇賀之売命を勧請し、文明十年(1478年)六月に太田道灌が、風水害、疫病退散を祈り牛頭天王を勧請した。


社名が現在の品川神社になったのは明治からで、新編武蔵風土記稿には稲荷社と記されていた。品川神社は北品川宿、荏原神社は南品川宿の鎮守を担っていて両社は朱印地争いを起こすほど対立していたらしい。


境内は京浜急行「新馬場駅」から第一京浜を渡ってすぐの場所にある。一の鳥居は昇龍・降龍が彫られた双龍鳥居で、阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社と宿鳳山高円寺境内の稲荷社のものと合わせ東京三鳥居と言われる。


一の鳥居から石段を上っていくと二ノ鳥居が見えるが、途中の左手には浅間神社の富士塚につながる入口がある。二ノ鳥居の先にはさらに鳥居があり、右手に神楽殿が見える。参道を進んで拝殿手前左手に手水舎がある。


拝殿の右手奥には境内社の阿那稲荷神社が鎮座し、さらに右奥に進むと別の社殿と八百萬神社・大國主恵比須神社・天王白龍辨財天社の祠が並ぶ。またその横には「一粒萬倍の泉」という御神水があり、お金を洗うと万倍になると言われる。


御朱印は拝殿左手にある社務所の玄関を少し入ったところに窓口があるのでそこで御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。なお品川神社は東京十社の一つに数えられるが、東海七福神めぐり発祥の碑もあり、当社には大黒天が祀られている。



2018/10/16

小日向神社

文京区小日向にある神社。もともと小日向の鎮守として栄えていた氷川神社と現在の音羽三丁目に鎮座していた田中八幡神社が明治二年に合祀され現社名になったとされる。明治五年には村社に列せられた。


東京メトロ江戸川橋駅から神田川を渡り、目白通りから一本奥の道を飯田橋方面に少し歩いたところにある服部坂を上ると鳥居が見える。交差点に小日向神社入口という表示があるのでわかりやすい。


服部坂とは江戸時代この地に旗本の服部権太夫の屋敷があったことに因んでそう呼ばれたらしいが、実は服部氏屋敷跡に移されたのが小日向神社となる。おそらく江戸時代は今よりも眺望のよい場所だったと推測される。


鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎がありやや右手正面が拝殿となる。参道には古い台座の一対の狛犬がある。狛犬本体は新しいもののようだ。


社殿の右側には境内社として秋葉稲荷神社が鎮座。そういえば参道途中に謎の鳥居と火の用心の石碑があったので火除けに関係があるのかもしれない。


なお御朱印は社殿の右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。社務所は自宅も兼ねているような建物で呼び出す際に少し気が引けたが快く応じていただいた。