2018/08/19

幸稲荷神社

港区芝公園にある神社で、いただいた資料によれば江戸初期の寛永年間に府内古社十三社に定められ、東京でも最も古い神社の一つと言われている。創建は応永元年(1394年)4月、武蔵国豊島郡岸之村(現在の芝大門公園十号地)の鎮守として勧請されたのが始まりと伝えられる。


当初は岸之稲荷神社と称せられていたが、氏子・信者中に幸事が続出したため、幸稲荷神社と尊称されるようになったという。また東京タワーの氏神としても知られ、開業時の地鎮祭から現在も数年に一度行われる安全祈願祭に奉仕するなど縁が深い。


境内は東京タワーのすぐ近くで、東京メトロ日比谷線の神谷町駅から徒歩5分程度の場所にある。芝学園(中学・高校)に隣接しているので学校を目印にすればわかりやすい。


鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎があり、正面が拝殿。手水舎の先には境内社の茅野天満宮と松野天満宮の合祀殿がある。またその脇にある御祠石影向石に水をかけて心願すると熱病や子供の夜泣きが止まるとある。


拝殿の扁額は幸神社と瘡護神社の二社が掲げられいて、瘡護神社は病気の際に土の団子を供え、平癒したら米の団子を供える風習があり、かつては病気平癒祈願での参拝者が多かったらしい。


御朱印は社殿右奥にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で、今回は書き置きのみの対応。夏詣の印が押されたものを由緒などが記された資料といっしょにいただいた。


2018/08/17

赤堤六所神社

世田谷区赤堤にある神社。社務所でいただいた由緒書によれば天正十二年(1584年)十二月に平定盛の子孫である服部貞胤が府中の六所宮(現在の大國魂神社)の御分霊を戴き、赤堤の鎮守としてお祀りしたと言われる。


御祭神は大国魂命、伊弉冊尊、素戔嗚尊、布留大神、大宮売命で、天明七年九月に社殿が再建され、明治七年には赤堤村社と定められた。昭和二十一年に宗教法人六所神社として再出発。鳥居や参道、境内の整備、本殿の再建などが行われた。


最寄駅は東急世田谷線の松原駅で徒歩3分程度の場所に境内がある。今回は自転車だったため詳しくはわからないが小田急線の豪徳寺からも歩けるくらいの距離にある。


一の鳥居をくぐって参道を真っ直ぐに進むとやがて二ノ鳥居。その先の左手に手水舎が見える。手水舎の手前の左側に鯉が泳ぐ小さな池があり、境内社として厳島神社が鎮座する。その手前には芸能の始教神とされる天宇受売命の石碑も確認できる。


参道をさらに進んで正面が拝殿になるが、その左手には天祖神社、子安神社、御嶽神社、大鳥神社、神明社が祀られている合祀殿、さらに本殿左奥には松澤稲荷神社がある。その他、拝殿右手には神楽殿もあって見た目より奥行きがある。


なお御朱印は参道入口右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で玄関の中に通され、そこで御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。大変丁寧に対応いただきありがたかった。


2018/08/14

山王日枝神社

千代田区永田町にある神社。創建は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、文明十年(1478年)太田道灌が江戸城築城の際に、鎮護の神として川越山王社を勧請したのが始まりとされる。


その後、天正十八年(1590年)徳川家康公が江戸城を居城とするにあたり城内鎮守の社・徳川歴朝の産神として、また江戸市民からも江戸の産神として崇敬された。


赤坂日枝神社とも言われるが、日枝神社の称号を用いることになったのは明治元年以降で、古くから「山王社」と称され、「山王さん」の名で親しまれてきたという経緯があるため、ここでは山王日枝神社とした。


場所は赤坂見附駅から外堀通り沿い溜池山王方面に歩くと左手に大きな鳥居が見えるのですぐにわかる。表参道は溜池山王駅の方が近く、赤坂見附側から鳥居をくぐると稲荷参道か西参道から入ることとなる。


いずれにしても石段をかなり上った先が境内となる。今回は稲荷参道を利用したため、本殿より先に山王稲荷神社、猿田彦神社と八坂神社の合殿の前を通って神門前に出た。手水舎があり神門をくぐると正面に立派な社殿が見える。


社殿の右手には山王夢御殿、拝殿の左右には雄雌の猿像がある。神門を内側から見るとそこにも猿像。外側には左大臣と右大臣があり、かなり凝った造りになっている。


なお御朱印を拝受できる場所は時期によって違うらしい。今回は神門を入ってすぐ右手に御朱印所が設けられていて、そこで御朱印帳と御朱印をいただいた。番号札を受け取って書き上がるのを待つ形式となる。


2018/08/12

柳森神社

千代田区神田須田町にある神社。東京都神社庁の公式ページによれば御祭神は倉稲魂大神で太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことが始まりとされる。


現在は秋葉原の電気街の裏手のひっそりした場所にあるが、江戸三森(烏森神社、椙森神社、柳森神社)の一社に数えられ江戸時代には徳川家より社殿造営の寄進を受けるなどして多くの人に崇敬された。


また以前はこの周辺は火除地を兼ねた広場となっていて八方に道が通じていたことから八ツ小路と呼ばれていたらしい。境内は鳥居をくぐって石段を降りる下り宮になっており右手に手水舎、左手が本殿となる。


この神社で有名なのは「おたぬさん」の呼び名で親しまれている福寿神で、他に抜きん出る=「たぬき」ということで立身出世や玉の輿、勝負運などのご利益があると言われている。


境内は決して広くはないがとにかく境内社の数が多い。鳥居の先、すぐ右手には小規模ながら富士塚があり富士浅間神社が祀られている他に、明徳稲荷神社、秋葉大神、水神厳島大明神・江島大明神、金刀比羅神社、幸神社がある。


狸もいれば狐もいて力石を囲みながら賑やかな感じ。雑然としていそうでなぜか落ち着いた気分になるのは不思議だ。少しわかりにくい場所にあるのだが参拝客は意外と多く、この独特なパワーに吸い寄せられるのかもしれない。


御朱印は拝殿横に御朱印と朱肉が入った箱があり、そこから出して自分で押印する方式。初穂料は100円で正面の賽銭箱に入れるように案内書きがされていた。


花園稲荷神社

台東区上野公園にある神社。創建時期は不詳で神社でいただいた資料によると、古くからこの地に鎮座し「忍岡稲荷」が正しい名称で石窟の上にあったことから俗称で「穴稲荷」とも言われていたらしい。


承応三年(1654年)、本覚院の住僧晃海僧正が霊夢に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神とした。明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家により再興され現在の花園稲荷に改称した。


上野恩賜公園内にあり五條天神社と隣接しているが、境内社ということはなく別の神社となる。公園の道から赤い鳥居をくぐって入ることもできるが、五條天神社側から境内に入った方が真っ直ぐなのでわかりやすい。


参道を少し歩くと右手に手水舎があり正面が拝殿。手水舎の先の右手は赤い鳥居が立ち並び上野公園の道につながっている。外国人観光客が頻繁に入ってくるのでゆっくり参拝できないかもしれないが、雰囲気はとてもよい。


御朱印は宮司様がいれば対応いただけるようだが、不在の時も多く五條天神社の社務所で対応いただける。その場合、御朱印は書き置きだがシールになっているのでそのまま自分で御朱印帳に貼ることができる。


2018/08/06

瀬田玉川神社

世田谷区瀬田にある神社。創建は永禄年中(1558~70年)にこの村の下屋敷に勧請し、その後、寛永三年(1626年)瀧ヶ谷に長崎四郎右衛門嘉国が寄付をして遷宮したという記録が旧社名「御嶽神社」の書類に残っている。


明治四十一年、在郷の小社数祠を合祀して御嶽神社を地名により「玉川神社」と改称。大正三年に社殿を改築し、その後関東大震災の被害を受けながらも補修。しかし昭和四十一年の台風26号で東京都指定天然記念物の赤松が倒れ、これを機に社殿が新築された。


電車だと最寄り駅は二子玉川になると思われるが15分程度かかる。今回は自転車だったためその必要はなかったが、境内は高台にあるため押して歩くことになった。玉川病院の脇の道を入っていくと鳥居が見える。


一の鳥居、二ノ鳥居と石段を上っていく参道となっている。二ノ鳥居をくぐると左手に手水舎があり、二対の狛犬の先が拝殿となる。境内社として稲荷神社、境外にも坂をさらに上った場所に飛地末社として瘡守稲荷神社がある。


石段を上っている時にはそれほど規模の大きさを感じなかったが、社殿周辺は広々としていて児童公園があったり神楽殿もありゆったりしている。


御朱印は社殿右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で窓口で御朱印帳を渡して待つ形式。初穂料300円で瀬田・玉川の歴史などが書かれた神社のリーフレットもいただいた。


2018/08/05

亀戸天神社

江東区亀戸にある神社。正保三年(1646年)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔)が神のお告げにより天神信仰を広めるため諸国を巡り歩き、寛文元年(1661年)に江戸の本所亀戸村にあった天神の小さな祠にご神像をお祀りしたのが始まりとされる。


寛文二年(1662年)太宰府の社にならって社殿、回廊、心字池、太鼓橋を設営し、その後350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてきた。明治六年に准勅祭神社に指定され東京十社の一つになり、昭和十一年に現在の亀戸天神社になった。


境内はJR錦糸町駅と亀戸駅の中間くらいの場所にあり、京成線押上駅からも歩ける。錦糸町駅からだと錦糸公園を斜めに抜けて横十間川を渡り、墨田区から江東区になった辺りにあるのでわかりやすい。


大鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋(男橋)。橋の上からは境内を見渡すことができ、さらに参道を進むと平橋があり、その先に二番目の太鼓橋(女橋)が見える。また参道の途中には弁天社がある。


女橋を渡ると右手に手水舎があり左手には菅公像、その少し先には、天神信仰らしく神牛像(撫で牛)。そして正面には立派な社殿が構えている。戦後に再建されたものらしいが、さすが東京十社に数えられるだけあって迫力がある。


境内社として弁天社の他に御嶽神社、花園社がある。御嶽神社は亀戸天神別当の玄関辺りにあったが延宝五年(1677年)に移されたらしい。ここに祀られている法性坊は道真公の教学、御所の師で、道真公薨去の後は太宰府天満宮の社殿造営に関わられたらしい。


なお御朱印は社殿右手奥にある授与所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して番号札を受け取り書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円で御朱印と一緒に「すみだだより」や天神まつりなどのパンフレットもいただいた。


2018/08/01

八幡大神社

三鷹市下連雀にある神社。寛文四年(1664年)、連雀新田名主松井治兵衛が村の年寄、組頭等と氏神社の創建について幕府に請願したところ許可されたのが始まりとされる。棟礼によると享保十年八月に社殿の改築が行われ、弘化元年八月に再建された。


万治元年(1658年)に神田連雀町の一部住民二十五人衆と呼ばれる人々がこの地に移住。これが下連雀の始まりでその氏神様として創建されたのが八幡大神社ということだ。


三鷹駅からは徒歩1分ほどの場所に境内がある。北側からも入れるが連雀通りに大鳥居があり参道が続く。二ノ鳥居をくぐると左手に手水舎があり、そのまま真っすぐに立派な神門がある。


門の手前にはスダジイと呼ばれる御神木があり、三鷹市の天然記念物となっている。今回は平日の昼間で参拝者もそれほど多くなかったが、神門の左右に神輿庫があるので例大祭には大勢の人で賑わうことが予想される。


神門をくぐるとすぐに拝殿がある。拝殿の奥にも入ることができ本殿を眺めながら一周することが可能。境内は縦に長く、駐車場や駐輪場もあるので遠方からでも参拝がしやすい。


御朱印は参道右手にある授与所で拝受できる。手書きの御朱印をいただけるのは毎月1日と15日だけなので注意したい。窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ形式で、初穂料は500円。御朱印と一緒に由緒書や下連雀についての資料もいただける。