2017/08/31

豐榮稲荷神社

渋谷区渋谷にある神社で金王八幡宮と隣接した場所にある。創建は鎌倉時代の頃に渋谷氏の祖河崎土佐守基家の曾孫高重によって祀られたと伝えられている。


元々は渋谷駅近くにあり、渋谷川が渋谷城の濠として利用されていたことから・文化年間(1804~1817年)の頃までは「堀の外稲荷(その後は田中稲荷)」や「川端稲荷」などとも称されていた。


田中稲荷と呼ばれていた頃に元猿楽町京極家(旧但馬豊岡藩)の下屋敷に祀られていた豐澤稲荷神社が合祀され、東京都の区画整理事業により現在の場所に遷座されることとなった。


一の鳥居の先には朱塗りの奉納鳥居が何基も連なっており、鳥居前には百度石がある。手前の左手に手水舎、奉納鳥居をくぐった先に社殿がある。田中稲荷神社にあったとされる庚申塔なども数多く並べられ、この神社の歴史が感じられる。


なお御朱印は本務社である金王八幡宮の社務所で拝受できる。金王八幡宮と道を隔てて隣接した場所にあるので同じ日にお詣りすることが可能となっている。

金王八幡宮

渋谷区渋谷にある神社で、寛治六年(1092年)渋谷氏の祖、河崎土佐守基家(渋谷重家)が創建したと伝えられる。


基家とその嫡子・重家は後三年の役(1083~1087年)において源義家軍に参向して仙北金沢の柵を攻略したが義家はこれが基家の信奉する八幡神の加護であるとしてこの地に八幡宮を勧請した。


古くは単に八幡宮または渋谷八幡宮と称していたが、渋谷重家の子とされる渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになった。


表参道にある大鳥居をくぐると社号碑があり石段を上るとさらに鳥居と神門がある。神門は江戸中期の造営と伝えられ渋谷区の文化財に指定されている。


神門をくぐって左手に手水舎と立派な神楽殿があり、正面に社殿が構える。神楽殿の脇には境内社の玉造稲荷神社と御嶽神社。神門をくぐって右手前奥には金王丸御影堂がある。


御朱印は社務所で拝受でき、窓口で御朱印帳を渡して待つ形式。社務所の横は宝物殿となっており待ち時間に都内最古と言われる神輿を無料で見学できる。なお兼務社である豐榮稲荷神社の御朱印もこちらでお願いできる。


奥澤神社

世田谷区奥沢にある神社。社伝によれば室町時代に世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築く際に世田谷郷東部の守護として八幡神を勧請したのが始まりとされる。


御祭神は誉田別命、倉稲魂命で、当初は八幡神社として吉良氏が建立した世田谷七沢八八幡の一社に数えられていたらしい。


江戸時代中期に疫病が流行した際に、名主の夢枕に現れた八幡神が「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と告げ、それに従ったところ疫病は程なくして治まったという。


以後も藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになった。鳥居にかけられている「厄除大蛇」は迫力があり、現在も続くこの行事は世田谷区から無形民俗文化財の指定を受けている。


その鳥居をくぐると一対の狛犬に出迎えられ、すぐに手水舎がある。そこから右に折れて正面に見えるのが室町期の建築様式を再現したという社殿だ。その右手には神楽殿があり左手奥は奥沢弁天社へ続く道が整備されている。


御朱印は社務所でお願いできるが呼び出しはインターホンではなく魚板を鳴らす。御朱印は書き置きのみで初穂料は500円。お昼の11:40~12:30は頒布されないので注意が必要だ。


2017/08/30

江北氷川神社

足立区江北にある神社で創建年代は不詳だが、古代から御祭神である素盞鳴尊を治水守護神としてお祀りしており、荒川を出雲の國・簸川(ひのかわ)の故事に見立てて氷川神社を創建したとも伝えられる。


沼田村(旧地名)の鎮守社だったが明治初年村社に昇格し同時に旧江北村(沼田、鹿浜、鹿浜新田、加賀皿沼、高野、谷在家、宮城、小台、堀之内)九ヵ村の総本社となった。


荒川沿いを走る首都高川口線のすぐ下にあり、鳥居から社殿までまっすぐの参道が見える。左手に手水舎があり、正面の拝殿は明治八年(1875年)に造営されたものらしい。なお本殿は天保四年(1833年)に再建されたものとある。


参道の途中左手に稲荷社や弁天社などの小祠が並び奥には庚申塔などもあるが、いくつもの村が合併してできた江北村の歴史から、各所に祀られていたものが総鎮守である当社に遷されたと考えられる。


この他にも拝殿右手前には大黒様・恵比寿様を祀る小祠、さらに右奥には境内社の諏訪神社が鎮座。現在も足立区西部一帯の総本社として近隣17社の神社を兼務されている。


御朱印は社務所で声をかけると対応していただける。見開きの毎年変わる和歌が書かれた御朱印で、お願いする際に記帳する形式。手製の栞を挟んでくださり宮司様の心遣いがありがたい。


2017/08/29

廣尾稲荷神社

港区南麻布にある神社。創建は慶長年間(1596~1615年)徳川秀忠公が鷹狩りの折に当地に稲荷社を勧請したのが始まりとされる。


麻布宮村の千蔵寺が別当だったため千蔵寺稲荷とも呼ばれていたが、明治四十二年に現社号となった。またこの頃の麻布広尾周辺は萩の名所として賑わっていたためハギナメ稲荷という俗称もある。


広尾駅から有栖川宮記念公園方面に歩いて途中で右に折れすぐのところに鳥居が見える。鳥居をくぐると参道右奥に拝殿が構えるが、その手水舎があり奥には神輿庫も確認できる。


土蔵造りの本殿は関東大震災で破損し大正十四年に再建されたものだが拝殿は江戸時代のものが残る。拝殿の天井には洋画家の高橋由一が描いた墨竜画があり港区の指定有形文化財となっている。


社務所に声をかければ拝殿に上がって龍の天井画を鑑賞することができる。由一の仕えていた堀田摂津守の下屋敷が当稲荷神社と接していたのが縁で弘化四年の社殿の再建の際に天井に墨絵を描いたらしい。


なお御朱印は社務所でお願いできる。御朱印帳を渡して天井画を鑑賞した後にちょうどいただける感じになっており、丁寧に対応していただきありがたかった。


2017/08/27

日本橋摂社日枝神社

中央区日本橋茅場町にある神社で山王日枝神社の摂社。由緒書によれば天正十八年(1590年)、徳川家康公が江戸城に入城し、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所のある八丁堀北嶋まで神輿が船で神幸されたことにはじまるとある。


明治元年(1868年)の神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院が分離され明治十年(1877年)に山王宮が無格社日枝神社に、その後、大正四年(1915年)に摂社日枝神社に改称された。


最寄駅は東京メトロ茅場町で徒歩1分。ビルに挟まれた参道の先に鳥居が見え、左手に手水舎がある。鳥居をくぐり上向きの狛犬から右斜の方向に社殿がある。


社殿は関東大震災後、昭和三年に造営。東京大空襲で被災したがすぐに補修が行われ、その後何度か修理が加えられ現在に至る。


末社として明徳稲荷神社が境内に鎮座する。創建年代は不明だが元禄年間(1688~1704年)に現在の茅場町交差点角に祀られていたらしい。関東大震災後に遷座された。


御朱印は参道を進み正面にある社務所で拝受できる。御朱印帳を渡して待つ形式で初穂料は500円。御朱印を受け取る際にしおりとストラップ、由緒書資料もいただける。


2017/08/23

日野八坂神社

日野市日野本町にある神社で、かつては牛頭天王を祀る牛頭天王社と呼ばれた日野の総鎮守。創建は不詳だが社伝によると応永五年(1398年)普門寺が創建され、牛頭天王社の別当寺となったとされる。


御祭神は素戔嗚尊で慶安元年(1648年)には徳川家光から社領免除と朱印地十四石を拝領。明治二年(1869年)に八坂神社となった。


日野という地は幕末に新選組と深い関わりを持っていたことで知られるが、当社には近藤勇や沖田総司などが奉納した天然理心流奉納額が残されている。この額は9月に行われる例大祭当日に公開されるようだ。


JR日野駅から日野宿跡の方向に3分ほど歩くと鳥居が見えるのですぐにわかる。鳥居をくぐると正面が社務所になっており、右手に手水舎がある。


社殿は右手の奥にあり、その左には境内社の八幡社、山王社などが並んでいる。後から建て直されたからなのかもしれないが、全体的に建造物の配置が点々とした感じがした。


なお、御朱印は社務所で申し出ると拝受できる。八坂神社の他に兼務社の日野宮神社や境内社の御朱印もいただけるようだ。八坂神社の御朱印は新選組を思わせるだんだら模様が描かれている。


2017/08/22

稲荷森稲荷神社

世田谷区桜丘にある神社。創建は不詳ながら新編武蔵風土記稿に菅刈社という名称で記載があり、社殿は寛政年中(1789~1800年)に造営されたものらしい。


御祭神は宇迦之御魂神と倉稲魂命の二神で稲や食べ物に関係が深いことから「農業・工業・商業等の守護と繁栄を司り、さらには人々の心身の健康・生活の平安等のすべてをお守りくださる」という御神徳がある。


最寄り駅は小田急線の千歳船橋駅で商店街を進んでいくと鳥居が見えてくる。買い物客で賑わう中で境内はとても落ち着ける空間になっており、児童向けの遊具などもあって昔ながらの神社という雰囲気だ。


参道を進むとほぼ正面に手水舎があり朱色の鳥居をくぐるとお稲荷様がお出迎え。その先が拝殿となる。旧社殿が神輿庫になっており東京23区内で最大の大太鼓が保管されている。


10月に例大祭が催されるが、公式サイトを見ると大学教授を招いて無料の文化講座も開いているようだ。規模はそれほど大きくないが頻繁に参拝に訪れる人がいるので地域に根ざした神社だということがわかる。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式だが書き手不在で御朱印をいただけないこともあるようだ。


2017/08/20

湯島天満宮(湯島天神)

文京区湯島にある神社で創建は雄略天皇二年(458年)に天之手力雄命を奉斎したのが始まりとされる。正平十年(1355年)に郷民が菅公の御偉徳を慕って合祀。文明十年(1478年)太田道灌により再建され、天正十九年(1591)には徳川家康から朱印地5石を与えられた。


明治維新から湯島神社という名称だったが平成十二年に正式名称を湯島天満宮に改めた。湯島天神というのは通称で、東京を代表する天神さまとして合格祈願に訪れる参拝者が多い。


境内へは春日通りの湯島天神入口から入り銅鳥居があるのが表参道だが、この他にも男坂や春日通り沿いには夫婦坂から入る参道もある。表参道から入ると左手に手水舎、その先の正面に社殿が構える。


手水舎の近くには石造りと鋳造の撫で牛がありいかにも天満宮という雰囲気がある。また境内社として社殿の裏手に笹塚稲荷神社と戸隠神社が鎮座。また毎年2月に梅まつりが開催される梅園も美しい。


御朱印は拝殿左手の参集殿内に専用の窓口があり、御朱印帳を渡して番号札を受け取り待つ形式。梅をあしらったオリジナル御朱印帳もあるようだ。