日本橋人形町にある神社。江戸時代初期に遊郭街の吉原(葭原)がこの地にあった元和三年から明暦三年まで葭原八力町の地主神・産土神として信仰されていた。
延宝三年(1675年)の社殿の修復の際、末廣扇が見つかったことから末廣神社と名付けられたという。
明暦の大火で吉原が浅草に移転した後は跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰された。
境内は狭いが鳥居、手水舎、参道、狛犬とすべて揃っており、正面には社殿が構える。ちょうど紫陽花が咲いていていい雰囲気が流れていた。
御朱印は社殿右手にある社務所でお願いできる。インターホン呼び出し形式だがとても丁寧に対応いただきありがたかった。
御朱印をいただいた時の鋏み紙に社名とともにカワイイ招き猫のスタンプが押されていて、ほっこり幸せ気分になった。
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