長禄年間(1457~1460年)太田道灌がしばしば当社に詣で松一株を植栽したと伝えられ、昭和十二年に枯死するまで御神木として存在していたという。
太平洋戦争による戦禍は免れたものの戦後の混乱の中、境内の整備は進まなかったらしい。由緒書きによれば念厚い氏子により昭和二十九年に神楽殿が新築され、以降は大祭の復活して昭和六十三年に社務所が完成した。
境内は坂になっており一の鳥居をくぐると二の鳥居まで石段を上る。左手に手水舎、正面には拝殿が構える。また境内社として稲荷社、八幡神社、天王社、天神社が合祀されている。
御朱印は社殿右手の社務所でいただける。ボタンを押して呼び出す形式だが、たまたま外出中だった神職が戻ってきたところだったのでそのままお願いした。
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